2005年7月号
産学官エッセイ
産学官連携とは?
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原山 優子 Profile
(はらやま・ゆうこ)

東北大学 教授/
文部科学省 科学技術政策研究所
大学評価・学位授与機構 特任教授


はじめに

「産学官連携」は、今日、日本の大学および産業界において日常用語の1つとなった。また、学問分野としてのイノベーション論の浸透とともに、概念としても認知されるようになってきた。

大学内における位置付けも、教員レベルで副次的に発生する活動から、全学的な戦略として取り組むべき課題へと重心が移ってきた。国立大学法人の中期計画・中期目標の中に盛り込まれるに至ったことは象徴的である。産業界においても、技術革新のパートナーとして大学を認知しはじめており、大企業のみならず、中小企業、特に製品開発型のベンチャー企業にも「産学官連携」の波が押し寄せてきている。

内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省、日本経済団体連合会、日本学術会議が主催する産学官連携推進会議*1もこの6月で4回目を迎え、当初の「産学官連携」の啓蒙活動としての役割から、本質的な課題を抽出し、討議を展開する場へと質的な変革が問われるようになってきた。

1998年の大学等技術移転促進法(TLO法)*2の施行を機に、一連の産学官連携推進施策が取られ、制度改革が刻々と進む中、政府誘導型で大学と産業界が接近していった。これらの新たなルールによって、産と学の関係に透明性がもたらされ、大学が生み出す知識に社会的付加価値を付与するプロセスがより効果的になると期待された。また、数年前からは地域経済活性化の原動力として「産学官連携」が注目されるようになり、2001年に経済産業省が「産業クラスター計画」を、2002年に文部科学省が「知的クラスター創成事業」を立ち上げるに至った。

このように進化する枠組みの中で、産と学は幾多の経験を積み重ねてきた。そこには、想定されたシナリオに沿った成功事例もあるが、その陰には、新たな価値観が規範として制度に内化される際に噴出する矛盾に立ち向かうことを余儀なくされたケースも多々存在する。

時とともにその形態、実践する主体、インプリケーションの多様化が進んできた「産学官連携」であるが、この時点で実感として言えるのは、「産学官連携」の流れは不可逆なものになったということである。

本論では日本における「産学官連携」を「進化」という視点からとらえることにする。ある社会制度が変革を遂げる背景には、それを取り巻く環境の変化への対応と制度自体が内包する問題の解決というドライビング・フォースが考えられる。「産学官連携」に関わる事象を、この2つのベクトルに沿って整理することを試みる。

次に、過去10年間、ドラスティックに変革を遂げた科学技術政策が「産学官連携」の台頭の背景にあるという認識に基づき、「産学官連携」を政策という視点から分析する。

最後に、「産学官連携」のプリズムを通して、主体としての大学および社会制度としての大学のあるべき姿を、私見を交えて論じ、まとめとする。

なお、本論に入る前に「産学官連携」に対する基本的な考え方を示しておく。「産学官連携」は何らかの目的を達成するために「産」と「学」が活用するツールである、という認識が本論の根底を成す。「産」と「学」が連携する、そのこと自体に意義があるのではなく、また、「産」と「学」が第三者から誘導されてアクションを取るというものでもない。あくまでも主体は「産」と「学」であり、自らの目的関数を最大化する、といった合理性に立脚して行動を取る際にオプションの1つとして存在するのが「産学官連携」である。

「産学官連携」の特徴の1つにスピルオーバー(波及効果)がある。「産」と「学」が当初の目的を達成すべく「連携」する際に、経済的、社会的、ひいては文化的な付加価値が派生的に生み出されることがしばしばある。一部を「産」あるいは「学」が回収することもあるが、多くの場合、受益者は社会全体であり、公共経済学で言う外部性の問題が発生する。またこれらの派生効果を事前に特定することは難しい。それがゆえに、個々のアクターの最適化の解と社会的最適の間に相違が生じるのである。

そこで登場するのが「官」である。本論では「官」を、公的研究機関としてではなく、「政府」と解釈する。ここには、中央府省と地方自治体が含まれる。「官」の主な役割は、この外部性の内部化となる。その手段として、インセンティブの付与*3、ルールの設定*4などが挙げられる。また、先にも述べたように、「産学官連携」がもたらすのは必ずしも正の効果ばかりではない。負の効果*5に対する措置を取るのも「官」の役割の1つである。

進化する「産学官連携」

「産学官連携」が社会的容認を得るに至った道のりは長い。古くから、「学」は良質な人材を労働市場に供給する、あるいはシグナリング機能を果たすことにより「産」に貢献してきた。また研究機関である「学」では、情報の収集、分析、発信が最も基礎的な活動となるわけで、情報処理能力において比較優位性を持つ「学」を、これまで「産」および「官」は効果的に活用してきた。これらのリンケージより1歩踏み込んだ「知識の生産」という新たなチャンネルが加わったことにより「産学協同」が登場したが、この試みは「実験」の域を脱することはなかった。1990年代後半、政府が「産」と「学」の仲介機能としての「技術移転」に着目したことを機に、一気に「産」と「学」の関係は「産学官連携」へと進化していったのである。また、TLOの設置、兼業規制の緩和、マッチングファンドの導入、「大学発ベンチャー」推進施策などの制度整備も着実に進んでいった。今後の方向性として「産学官公民連携」、「産学官共生」も現実味を増している。

なぜ、「産学協同」が衰退したにもかかわらず、「産学官連携」が社会に浸透していったのか、という点であるが、ここには、環境の変化が大きく作用したように思える。知識経済の到来、日本経済の停滞、財政問題、国際間・地域間の競争の激化、などの外生要因がよく挙げられるが、これらマクロレベルの課題に対する処方箋として、知的基盤の強化と活用が登場し、大学がその主体となるべく期待が寄せられた。また、高等教育は社会制度として揺らぎ無い存在となっているが、その媒体となる大学においては、財政的圧迫、教育ニーズの多様化、従来型教育市場の縮小といった環境変化に対して、自らの存在意義を社会に訴え、アクションを取らざるを得ない状況にあった。その手段の1つとして、新たな財源の確保、研究パートナーの発掘、教育市場の開拓を可能にする「産学官連携」が台頭するに至った。さらには、産業界とのインターアクションが増えるに従い、国立大学においてはこれまでのような微調整では対応しきれない組織体として問題が表面化していった。「産学官連携」を国立大学の法人化、非公務員化の1つの要因として位置付けることができよう。

政策論としての「産学官連携」

90年代後半から顕著化した「産学官連携」の流れは、「政府誘導型」と特徴付けることができる。科学技術基本計画という枠組みの中で、「産」を所管する通商産業省(現・経済産業省)と「学」を所管する文部省(現・文部科学省)とが、それぞれのミッション、行動規範、カルチャーを掲げつつ、「産」と「学」の接点を見いだす作業が進められ、その成果は、大学等技術移転促進法、それに続く数々の産学連携推進施策の形で具現化された。

「産学連携」と言いつつも、当初その解釈は「産業界に貢献する大学」であり、「産」と「学」は非対称的に取り扱われていた。イノベーション論のリニア・モデルをその根拠にすることも可能だが、通商産業省が文部省の領域に1歩踏み込んだというパワー・バランスの表現と読み取ることもできよう。

総合科学技術会議*6が登場するに至って、「産学官連携」は政策ツールとしての色彩を強めていき、その活用範囲は優に技術移転の枠を超え、高等教育政策、科学技術政策、産業技術政策、中小企業政策、地域経済政策へと広がっていった。また、2001年に経済産業省、文部科学省と名を改めた2つの省は「産学官連携」の深化とともに競合の域から脱却し、競争、連携、協働へとその関係を多様化させ、さらには互いに補完性を活用する術をも身に付けていった。この両省による実験が、総合科学技術会議の提唱する「連携施策群」に、ある種の現実味をもたらしているように思える。

おわりに

「産学官連携」に対する政府のインセンティブを受け、また、国立大学においては法人化の波の中で、「学」の現場では「産学官連携」の制度化が着々と進んでいる。「産」においても産学連携の窓口が見られるようになってきた。既存の組織体に新たな制度を埋め込む作業は、従来の均衡から新たな均衡への移行を促す。受動的な立場を保持し続ける、あるいは自らのポジショニングを優位にすべく「産学官連携」を活用していく、さらには、現場における体験を活かし制度そのものにも働きかけていくなど、その反応は一律ではない。「産」と「学」の目的意識、力量が問われる次第である。

最後に、大学、特に国立大学に焦点を合わせて論じることにする。法人化を機に、「交付金の縛り」という条件付きではあるが、組織運営に関する意思決定権の大半が大学本体に移された。遮二無二に与えられたコンピテンシーを活用していくという経営手法では、ステークホルダーである「社会」にアカウンタビリティーを果たすことはできない。今、大学は、何のために存在する社会制度であるかが問われているが、法人化対策に追われたことから、目指すべき「大学像」を明白にするという作業は先送りにされてきた。アメリカにおいては、利益相反、知的財産にかかわる訴訟問題といった「産学官連携」が内包する陰の部分がトリガーとなって、この課題に大学は正面から取り組んだ。「産学官連携」の制度のみならず、この点においてもアメリカから学ぶところは大きい。「大学像」を模索する際に、ヒントとなるのが「Entrepreneurial University」の概念であるが、この議論は読者にゆだねることにする。

それと同時に、異なる価値観、異なる環境の存在を認め合うことに始まる「産官学連携」は、「社会の中の大学」、「社会の中の産業界」をどのように位置づけるのか、社会全体に問いかけている。

*1産学官連携推進会議(京都会議)
産学官連携の推進を担う実務経験者などを対象に、具体的な課題について、研究協議・情報交換・交流・展示などを行う場として設けられた全国会議。毎年6月ごろに京都で開催されることから「京都会議」と呼ばれている。
http://www.congre.co.jp/sangakukan/index.html

*2大学等技術移転促進法(TLO法)
正式名称は「大学等における技術に関する研究成果の民間事業者への移転の促進に関する法律(平成10年5月6日法律第52号)」。大学で開発された技術や研究成果を民間企業に移転する承認TLO(技術移転機関)の活動を、国が支援するために施行された法律。
http://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/tlo/tlolow.pdfを参照。

*3
例えば「産学官共同研究の効果的な推進」、「大学発事業創出実用化研究開発事業」、「地域新生コンソーシアム研究開発事業」がある。

*4
例えば「産業活力再生特別措置法第30条」、「産業技術力強化法」がある。

*5
例えば、利益相反、マテリアル・トランスファー等の問題がある。

*6総合科学技術会議
http://www8.cao.go.jp/cstp/