2005年9月号
連載3  - 実録・産学官連携
企業から見た産学連携と松下電器の取り組み(1)
顔写真

吉田 昭彦 Profile
(よしだ・あきひこ)

松下電器産業(株)産学連携推進
センター 参事



はじめに

2004年4月に国立大学が独立行政法人化された。“制度”としては、学長が社長の権限をもち、先生は非公務員になり、研究活動に成果主義が導入され、学外委員の評価も大学運営に反映されるようになった。各大学法人はそれぞれの特徴を活かして、教育・研究に関する事業運営を学長の裁量で推進されている。一方、民間企業はバブル期のような幅広い分野での多額の研究開発投資が困難になってきた。自前でできるR&D分野の選択と重点化の結果、リスクを考慮した“先端技術研究”、波及効果の大きな“基盤技術研究”、R&Dを支える“理論バックボーン構築”などの視点で、大学の研究活動との連携を重要視するようになってきた。

このような社会情勢のもと、日本学術会議・日本経団連・内閣府などの主催で「産学官連携推進会議(京都会議)」が2002年6月から毎年開催され、多くの視点から産学官界の活発な議論がなされ、国は新しい施策を出し、大学は組織改革を行い、民間企業は大学とのより効果的な共同研究を推進するなど、わが国の産学連携も大きな時代のうねりとして動き出した観がある。松下電器でも2003年9月に「産学連携推進センター」を設立し、大学との新しい形の連携による技術力の向上と新規事業創造を目指して、模索・推進中である。

本稿から2回にわたり、産学連携を一過性のブームに終わらせることなく、大学と産業界がWin-Winの関係を築くために我々民間企業がどのように対処すればよいのか、また大学に何を期待するのか、など松下電器におけるいくつかの事例を紹介しながら述べていく。

エレクトロニクス産業のR&Dとモノづくり
図1

図1 1990年を境にR&Dとモノづくりが大きく変化

現在の日本のエレクトロニクス業界は、デジタル家電市場に支えられ活況を呈している。しかしながら、1990年代の電機各社の売り上げ利益率は徐々に下降し続けた。その要因のひとつは、1990年代にR&Dとモノづくりに大きなパラダイムシフトが起こり、これへの対応のミスマッチであると考えられる。すなわち図1に示すように、“アナログ時代からデジタル時代へ”、“資源利用の時代から環境共存の時代へ”の移行期としての90年代に日本の産業界に大きな変化が要求された。改良型の技術開発から世界のトップランナーとしての技術開発が要求され、ライン型大量生産のモノづくりから材料プロセス革新を伴うセル型モノづくりが必要になった。さらにマネジメントの面では、階層型からフラットアンドウエッブ型の組織運営が要求されるようになった。このような変化への対応が必要であるにもかかわらず、旧来の技術開発、生産手法、マネジメント手法から抜け出せていなかったところに、エレクトロニクス産業の低迷の原因があった。

R&Dへの要求も以下の3つの点が強く要求されるようになった。第1は、R&Dのスピードが競争に勝つ大きなファクターになってきたことである。電話が世帯普及率10%になるまでに78年要したが、インターネットは、たったの5年間で普及率10%になった事実からも、R&Dで成功するには時間勝負に勝つことが必須条件である。第2は、開発費に占める付加価値比率が大きく変化したことである。従来のアナログTVではアナログ回路の開発設計にほとんどの資源が費やされたが、デジタルTVでは、開発資源の90%以上がソフトウエア開発設計とLSI設計である。ソフトとLSIの開発効率を向上することと、ブラックボックス技術を制するものが競争に勝つようになった。第3は、環境法制化への対応である。家電リサイクル法制定をはじめとするいろいろな法規制が施行される中、環境を意識したエコ設計、エコモノづくりが不可欠になり、コストパフォーマンスのみでなく環境パフォーマンスが製品に求められるようになった。

このように大きく変化する技術開発やモノづくりを成功させるためには、携わる人材の育成が必須である。基礎研究を開発フェースに持っていくために乗り越えなければならない谷、開発研究したものを工場で量産するために乗り越えなければならない谷、これらの“谷”を乗り越えるためのリーダシップと開発力を併せ持つ人材の育成が過去のどの時代よりも増して強く要請されている。

経営環境、R&D、モノづくり、人材育成への要求が大きく変わる今こそ、企業はこれまでの自前開発主義にこだわることなく、内外の大学や研究機関との連携により、足らざるところを補完することが必要である。従来、当社もいくつかの大学との連携を推進してきたが、連携の“効率化”や“確実性”の観点からさらに新しい取り組みが必要になった。大学の独立行政法人化を契機に、企業が、“大学と何をしたいのかという強い思いを持って望めば”必ずよい効果が得られるはずであり、今まさに実りある産学連携推進のための千載一遇のチャンスであると認識している。

産学連携を取り巻く状況

1920年頃までの米国では、鉄道会社や電信会社などの大企業がエジソンのような個人の発明家から技術を買って事業経営を行う、研究開発の“外部化”が行われていた。ところが1920年以降、米国政府は企業に対して研究開発の“内部化”を求めるようになり、DuPontやGEが企業内に中央研究所をつくり、ナイロンやトランジスタが製品化され、研究開発から製品化までのリニアモデルが確立された。

1970年代後半、米企業はベンチャーや大学の研究成果を積極的に取り込んで事業を展開していくようになり、シリコンバレーでは中央研究所を持たないインテルがマイクロプロセッサなどの開発で成功し、システムLSIやネットワーク分野の研究開発・技術開発・商品開発にはリニアモデルが通用しなくなってきた。このようなベンチャー企業の成功は、日本製品に席巻された米国政府が、1980年制定の「バイドール法」をはじめとする法整備を行い、大学の研究成果を産業に活かす構造をつくっていった結果によるところが大きいといえる。米国企業は再び研究開発の“外部化”を進め、大学が産業競争力の源になってきた。

図2

図2 米国から18年遅れた日本の産学連携

一方、1980年代後半の日本では、「基礎研究ただ乗り論」に対応して民間各社の基礎研究所が設立されたが、1990年代後半にバブルが崩壊し、日本の産業競争力が低下してきた。これを克服するべく、「TLO法」や「産業活力再生特別措置法」いわゆる日本版バイドール法が1998年に制定された。大学の知力を産業に導入しやすくするための基盤が整備され、大学も独立行政法人化を契機として“意識と組織”の両面で改革し始めた。図2に示すように企業の研究開発の“内部化と外部化”の歴史の中で、日本の産学連携は米国よりも20年近く遅れた観がある。

米国に20年近く遅れた日本の産学連携だが、ここへ来て状況は変わりつつある。国立大学の独立行政法人化への移行にあたって、国は種々の競争的資金制度を導入してきた。スーパーCOE、21世紀COE、知財COEなど、いずれも大学からの優れた研究や教育に関する提案を公募して高度な研究開発や知の育成拠点をつくることを目標としている。企業とのマッチング研究も重要な採択基準のひとつになっており、“大学の知を産業に活かしたい”という国の意気込みがうかがえる。これらの制度はいずれも時限的なものだが、永続的な活動に定着するためにも企業の役割は重要である。

大学においても大学発ベンチャーの数、企業との共同研究の数、共同研究センターの数などが急増し、従来は考えられなかった学内部局間横断のプロジェクトやマネジメントの共同推進が実現しつつある。

松下電器では2001年後半から、真に効果のある大学との連携の在り方を社内や大学の先生方と議論して、いくつかの新しい連携形態を試行してきた。次号では、具体的な事例を挙げながら当社の産学連携の新しい取り組みについて紹介する。

●参考文献

(1)会社化する大学.日経エレクトロニクス.2003年4月14日号.

(2)西村吉雄.技術経営会議第57回講演資料. 2002.

(3)三木弼一. AcTeB Review.2002.

(4)宮部義幸.東大先端研フォーラム. 2003.

(5)吉田昭彦.第5回大学改革懇談会.関西社会経済研究所, 2004.