2005年9月号
海外トレンド
ケンブリッジ大学の産学連携を効率的に進めるケンブリッジ・エンタープライズとは?

ピーター・ヒスコックス Profile
(Dr. Peter Hiscooks)

ケンブリッジ大学 ケンブリッジ・
エンタープライズ所長


はじめに

ケンブリッジ大学は、1209年に設立され、科学技術分野での長年にわたる優れた研究、発見、発明の業績によって高い評価を受けてきた。しかし1980年代まで大学は、一部の例外を除き、研究者と企業との共同研究に積極的に取り組んでいなかった。その例外を挙げるなら、1960年に研究成果の知的所有権を一括管理する小さな事務局を工学部内に設け、1970年にWolfson Industrial Liaison Office (WILO)と正式な名称を掲げて、大学全体の知的所有権の管理業務を運営するようになったが、せいぜい1~2名程度の職員を配するのみで小規模の状態は変わらなかった。大学は、その知的所有権(IPR)の扱いは比較的寛大な姿勢で臨んだ。そして、IPRは自動的に大学に帰属しなかったが、大学の研究者は、その研究が研究審議会の研究費を受けたならば、WILOと共同する必要があった。1987年には収益分配制が導入され、IPRから出た収入は発明者、大学の所属学部、大学本部間で分配されるようになった。ただし、研究が同大学以外の研究費を得ている場合や、研究者が研究助成を受けたプロジェクトとは無関係に発明を行った場合は、その研究者はその発明のIPRが自身に帰属すると主張できた。この制度は、研究者がIPRについて研究費を出した企業と交渉し、研究者が研究の商業化に携わる上で、研究者に大きな独立性を与えている。

1998年から2002年にかけて、技術移転の新しい構造が新しいIPR政策と併せて現れた。大学は産学連携に対してより先取り的な立場を取るようになり、特許、著作権といった知的資産の商業化に本腰をいれるようになった。同時に、大学は、大学発信のアイデア、発明、ビジネスコンセプトをベースとした新規事業ベンチャーの起業と創出を奨励し、支援するようになった。これら一連の方針転換の結果、大学内には新組織が多数誕生し、研究の商業化を後押しすることとなった。

大学発研究成果の商業化の奨励

以上述べたケンブリッジ大学での方針転換は、1996年のケンブリッジの副総長(大学の長)の着任、さらに1997年の英国の新政権誕生が契機となった。

ケンブリッジ大学の新学長に就任したSir Alec Broersは、IBM研究所の技術者として20年間勤務した経歴の持ち主であった。彼は共同研究、知的所有権の活用(特許、ライセンス、コンサルタント活動)、大学の豊富な知識ベースを背景にしたベンチャー企業の創設を通じて大学と企業との緊密な関係構築を支援、奨励するという非常に明確な主張を持っていた。

また、英国は1997年に政権が交代すると、新政府は大学にその深い知識ベースを活用して地域社会に新製品、事業をもたらし、それによる富の創出に貢献させるという大学責任論を明確にした。大学側にこの役割の認識を深めさせるため、政府は大学にとっての「第三の使命(third stream mission)」の概念、すなわち、地域コミュニティーへの知識移転を導入し、その活動に別枠の資金提供を行った。

英国では「第三の使命活動資金」として知られるこれらの資金は、2010年の1億5,000万ポンドを目標として、1998年の2,000万ポンド、1999年の4,500万ポンドと年々着実に伸びてきた。イングランドに約90校ある高等教育機関(HEI)への2007年の拠出水準は、総額1億1,000万ポンドと見込まれる。この費用は、この第三の使命の活動への拠出が研究や従来的教授活動費に流れないように「特別枠」を設けて確保されている。

当初何年かは、第三の使命活動資金の範疇の事業計画は以下の通りである。

大学内の新組織

ケンブリッジ大学は、以上述べた商業化推進策に基づく補助金を申請し、各分野で成功を収めた。この結果、2001年までに同大学では、学内の企業化や起業家精神育成支援をそれぞれ目標に据えた4組織が設置されるに至った(後述)。これら組織による手法は企業化を支援する上で大きな活力となったが、同時に互いの活動の間に若干の齟齬(そご)ももたらした。例えば、「縄張り」問題、なかでもどの制度がどの業務を担当し、支援分野を提供するかという問題は最大の悩みとなり、学術界の内部で一部混乱を巻き起こした。

このような状況から、企業や企業家組織と大学を統合した、ケンブリッジ・エンタープライズ(Cambridge Enterprise)と呼ばれる一つの組織を形成するプログラムが実施された。同組織の目的とは、「ケンブリッジ大学で生まれた構想、発明、ビジネスコンセプトを商業化する際の支援を行い、国内経済に寄与するとともに、研究者、ひいては同大学の研究および教育にその恩恵を還元できるようにする」ことである。

ケンブリッジ・エンタープライズは、ケンブリッジ大学の統合管理サービス(Unified Administration Service: UAS)内に設立され、研究者と業界のパートナーが交渉できる「ワンストップ・ショップ」となることを目指している。ケンブリッジ・エンタープライズは以下の事務局が統合された組織である。

1. ケンブリッジ・アントレプレナーシップ・センター(ビジネスインキュベーターを含む)
2. 技術移転事務所
3. 大学チャレンジ基金(および大学発ベンチャー基金)
4. ケンブリッジ大学技術サービス社

ケンブリッジ・エンタープライズは、大学内で起業家教育事業の予算も持ち、その責任者はジャッジ・ビジネススクール(Judge Business School)の起業家教育委員会の会長を兼任していることから、起業家精神教育プログラムとケンブリッジ・エンタープライズのプログラムは整合性を保ちながら運営することができる。

ケンブリッジ・エンタープライズ内での研究の商業化に向けたあらゆるケースに対応するための「ケースマネジメント」プロセスと職員配備、およびライセンス供与、コンサルティング、投資あるいは新規事業設立に関して、総括と再設計が行われてきた。

統合化の利点

ケンブリッジ大学内の諸企業事務局の統合は多様な利点をもたらした。例えば、

目的、戦略および資源活用の整合化
重複業務の排除(例:ケースマネジャー)
特定事例に携わる作業グループ間の共同と意思疎通の改善
意思決定に要する時間や決定に至るまでの時間の短縮
研究者とビジネスパートナーへの支援・援助の利用手続きの簡素化
(ワンストップ・ショップ手法)
「発明」からライセンス供与あるいは新たなベンチャー事業立ち上げに至るまでの必要とされる援助すべてを提供するプロセスと資源の統合

管理資源の効率的活用から若干のコスト削減ができたが、なによりもケースマネジメントの処理プロセスが格段の迅速化を見たことが真の成果であり、この利点が、商業化のためのより効果的な管理を生み出す最大の原動力となったのである。

ケースマネジメント

ケンブリッジ・エンタープライズでは毎週スタッフ会議があり、その場でそれぞれの新しい「発明の開示」が協議され、そのケース(事例)を担当するケースマネジャーが指名される。この指名は、関連技能と現行の仕事量で決められる。

ケースマネジャーの責任は、明確な決定に向けて事例を成功裏に処理することである。発明を支援しないとの決定は、支援決定と同じ重みとかかわりがある。ケースマネジャーは、1つの事例の全業務を一人で抱え込むわけではない。その特定事例に必要な作業計画を立て、特定技能を分析してその事例の作業実施に必要な資源計画を組むことが期待される。そして、ケンブリッジ・エンタープライズチームの他のメンバーにそれらの事例の作業をさせねばならないし、また、自らの技量が求められている他の事例でも作業をすることが期待される。すなわちマトリクス・マネジメント手法である。

この事例マネジメント手法の利点は以下である。

プロジェクトチームの目的の方向性
事例ごとに担当者1名が割り当てられるため、方針、意思決定および業務計画面で大幅な簡略化が図られる。
事例の実施の能率、迅速性が飛躍的に向上

事例マネジャーの責任が重視されるようになると、事例の各担当者が取り組む「進行中の事例」の総括もでき、この総括の結果、事例数が大幅に削減できる。ひいては進行中の事例への対応速度が早まり、従って1つの事例に十分な時間と労力がつぎ込めるようになる。

技能と資源の管理

「事例マネジメント」に組織が重点を置いても、ケンブリッジ・エンタープライズ内の特定技量領域の維持と育成を忘れないことが大切である。この一助となるよう、そして、スタッフメンバーに直属の「ラインマネジャー」を付けて、スタッフ開発とキャリア工場についてレポートさせるために、一連の「スキルグループ」制度を導入してきた。スキルグループにはそれぞれスキルグループマネジャーを置く。このマネジャーの責任は、スキルグループ内のスタッフメンバーのライン管理を行うこと、担当する特定技能の満足できる向上と開発を確保することである。スタッフの各メンバーはそれぞれ「主要スキルグループ」が決められる。このスキルグループはメンバーにとって主要な技量領域があるところ、そしてラインの管理がされるところであるが、そういったメンバーは別の技量領域を強化ないし向上したければ他のスキルグループのメンバーになってもよい。ケンブリッジ・エンタープライズ内で導入されているスキルグループは以下である。

・生命科学
・物理科学および工学
・知的所有権管理およびライセンス供与
・新ベンチャー事業の創設と投資

結論

大学内の知的資産の商業化は、当該研究者、大学自身、そして国内経済にとって重要な問題である。商業化の事業計画が効果的かつ能率的な運用は、以下のような課題を取り上げるより統合的なアプローチがカギである。

企業・起業家精神を奨励する教育・訓練
知的所有権の管理、特許、著作権など
ライセンス供与、譲渡、その他の知的所有権の活用術
経営手法の展開を含めた新ベンチャー企業創生への支援
新しいビジネスベンチャーのインキュベーション
エンジェル資金やシード資金を含む初期投資へのアクセス(あるいは知識)
大学生や大学職員、および地域や全国レベルの実業界の積極的関与
(これは特に投資側からは重要である)

大学内の多様な層を巻き込んだ効果的な商業化プログラムは、現在、大学内に企業や起業家精神の文化形成に役立っており、商業化に結びつく構想や発明の開発を一層奨励している。これこそケンブリッジ大学が目指す良循環である。