2005年10月号
編集後記

“産学官連携をサッカーに例えると”……スポーツ好きの友人としばしば語り合う。さてフォワードは? これは産である。学はディフェンダー、特に外国から攻め込まれた時に得点を許してはならない。すかさず公設試や研究所からは「我々はミッドフィールダー」という声が上がった。コーディネーターはボランチか。官は? 「サッカー場」と言ったら叱られた。やはり監督でなければならない。金融はフロント。ユーザーはサポーターである。ゴールキーパーのファインプレーにも沸くが、やはり得点シーンだ。産学官連携には強力なストライカーが是非とも必要……そこでこのジャーナルには松下電器をはじめとするエースストライカーに登場願っている。さて、ボールは何? そうです、知財なのです。

(荒磯委員)

父親から米つくりを教わって、10年目。その父親も昨年亡くなった。父親いわく「まだ米つくりも50回しか行っていない」との言葉に農業の難しさがあると感じた。工業製品は、設計・製造と何回もトライできるが、米つくりは年1回のトライである。米は88回の手を加えて作るものと言われているが、本当にそうだと実感する。企業支援、産学官連携も米つくりと同じではないかと感じる時がある。手を差し伸べないと良い結果が生まれてはこないが、あまり手をかけすぎると経営基盤の弱い企業になる可能性もある。

私がこの仕事を始めた頃、ある人が「コーディネーターは農業経験者が良いかもしれない」と話されたことがあった。結果をすぐに求めるのではなく、根気よく手を差し伸べていくことが重要であるとのことだったかもしれない。今年も秋の収穫が近づいてきた。美味しい新米が待っている。台風などの被害がないように祈るここ数日である。何事も、最後は神様・仏様に祈るしかないか。

(佐藤委員)

日本は太平洋戦争によって国土が荒廃しましたが、戦後は復興の旗印としての科学技術行政が始まりました。いわゆる産学官連携の考え方が始まり、それは産業復興、技術立国を旨とするものでした。1961年の新技術開発事業団の設立もその考え方を具体化する施策でした。しかし、日本の急速な復興の過程では、先進諸国からは基礎研究の成果や知的財産への日本のただ乗り論が起こり、また、ジャパンバッシングをうけた時代もありました。産業と経済で成功を収めた日本の戦後の歴史をたどった興味深い記事が掲載されています。

大学と企業(主として大企業)の両者の技術開発力の強化を目指した産学連携のあり方、方式の変遷についての記事や、win-winであるべき産学連携のあり方について述べた記事もあります。今月号も、産学官連携の実情、あり方についての記事を色々とり上げております。

(加藤編集長)