2005年11月号
特別寄稿
コンピュータの次世代基幹産業は何か?そして世界のどの国が主導するか?
顔写真

原 丈人 Profile
(はら・じょうじ)

DEFTA PARTNERS(デフタ・
パートナーズ)グループ会長/
米・共和党ビジネス・アドバイ
ザリー・カウンセル名誉共同議
長/国際連合 UNONG Wafunif
代表大使 後発発展途上国担当


コンピュータIT産業の成熟化にともなうシリコンバレー時代の終焉(しゅうえん)

「次の基幹産業は何か」に対する答えは、コンピュータ産業がなぜ成熟産業になったのか、かつてのような勢いを失いつつあるのはなぜなのかについて考えてみると、その輪郭が見えてくる。

コンピュータIT基幹産業の中身は何かというと、コンピュータというハードを作る物的製造業とソフトウェアを作る知的製造業が両輪であり、80年代から90年代、そして2000年初頭まで基幹産業として世界の経済をけん引した。この時代の流れの中で、先進国は物的製造業から知的製造業へと産業構造が変遷し、この結果、物的製造業の拠点は、欧米から日本へ、さらに日本から韓国、台湾、東南アジア、そして中国へと移行していった。しかし、現在においても付加価値の高い知的製造業の分野は欧米が中心であり、付加価値、粗利益率の低い物的製造業の分野はアジアが中心である。

さらに知的製造業の分野でも知的肉体労働ともいえるソフトの、コーディング、変換、耐久試験など時間と人手がかかるが、付加価値の低い部分からインドやフィリピンへ移行している。このようにして、パソコン産業においてはハードもソフトも付加価値の低い分野はアジア諸国が欧米の下請けをするという明確な国際分業といった形で、世界規模での産業構造の枠組みが出来上がっている。IBMによるパソコン部門の中国企業への売却でその流れはほぼ完成したとも言える。

一方2000年秋に起きたネットバブルの崩壊によって世界的な市場、信用が収縮し、不況のない経済を意味するニューエコノミー説は挫折。結果的に景気循環説が息を吹き返し、循環する経済をけん引する主役は何かという議論に戻ってしまった。多くの人々は再びコンピュータを中心としたIT産業がリーディング産業として復活することを願っているのだろうが、その可能性は限りなく低いと言えよう。

なぜ可能性が低いのかここで説明したい。スーパーコンピュータ、メインフレームから小さなパソコンまでコンピュータの設計思想は計算機能を最適化することであり、この思想のもとにハードもソフトも作られている。そして、あらゆる問題もCPUの演算速度を上げることとメモリーの記憶容量を増やすことによって解決できるものであると世界中の人々が信じ込まされるまでになった。

しかし今、われわれがパソコンに期待しているのは演算能力のスピードではない。多くの機能の中で、最も利用頻度が高く、重要視されているのは、インターネットやEメールに代表される快適な相互通信の環境、コミュニケーション機能である。しかしながら、計算機能中心で進化してきたコンピュータは、コミュニケーション機能を最適化する道具ではないのである。そして今世紀に入ってからは急激に計算機能中心主義(コンピュテイション・セントリック・アーキテクチャー)の時代から、相互通信機能中心主義(または通信機能中心主義ともいう、コミュニケーション・セントリック・アーキテクチャー)の時代への歴史的転換を迎えている(太字は筆者の名づけた言葉である)。

通常、コンピュータ産業における“三種の神器”とは、オペレーティングシステム、マイクロプロセッサ、リレーショナル・データベース(RDB)アーキテクチャーを指す。しかし、こうした三種の神器からなる計算機能中心主義の設計思想の元に、この先いくら技術開発に取り組んでいっても、快適なコミュニケーションツールとはなり得ない。さらに高度化していくネットワーク型社会を支えるための技術は、もはや既存技術のイノベーションだけでは生まれないのである。パソコンは計算機能中心主義の設計思想の元に設計されているが、インターネットでパソコンのユーザーが結ばれるようになった90年代半ばからは、パソコンに相互通信機能を期待して購入し利用するのであって、計算機能を求めて購入するのではなくなった。しかし、本来計算機能を最適化するために作られたパソコンを、相互通信機能という別の目的に使うわけであるので使いにくい。さまざまな応用ソフトを開発し、ヒューマンインターフェースを改良しようと努力はしているが、自動車をいくら改良しても飛行機にはならないのと同じで本来の設計思想が時代の変化に合わないのである。

これからは、人間が機械に合わせるプラットホームではなく、機械が人間に合わせるプラットホームを新たに考える必要がある。この「機械が人間に合わせるプラットホーム」という発想が、次の新しい基幹産業を生む原動力となる。と同時に、現在のコンピュータ中心のIT産業の伸びが止まり成熟化する理由でもある。

もちろんコンピュータの本来の持ち味である計算機能中心主義の設計思想が必要とされるエンタープライズ・コンピュータ分野は今後も成長するが、そのソフトウェアの構造はこれまたパラダイムシフトとも呼ぶべき設計上の大きな変化が起きる(これについては、趣旨を逸脱するので本稿では触れない)。しかしパソコンに限っていうと、近い将来には、個人と外の世界をつなぐ情報端末としての優位性は失われるとみている。

このような変化は、コンピュータ産業が基幹産業であった時代はシリコンバレーがそしてアメリカ合衆国が世界のテクノロジーの中心であったが、ポストパソコンの時代にはその優位性を失うことになる。

自動車を発明しても道路がなければ動かない:PUC技術が創る次世代基幹産業

今後、計算機能中心主義から相互通信機能中心主義に変えていこうとする潮流が新たな産業を起こす。私はこの概念を、PUC(パーベイシブ・ユビキタス・コミュニケーションズ)と呼んでいる。つまり、使っていることを感じさせない(パーベイシブ)で、どこでも遍在し利用(ユビキタス)できる相互通信機能である。PUCの技術革新は、人間をコンピュータという機械の束縛から解放する一歩へとつながる。

そのためには重ねて申し上げるが、計算(コンピュテーション)機能ではなく対話通信(コミュニケーション)機能を最適化するためにつくられたアーキテクチャー(基本設計)が必要となる。技術的な説明はここでは省くが、この構想はブロードバンド(高速大容量)のインフラがないと実用化に至る技術の完成は難しい。今、そのインフラが世界で一番整っているのが韓国であり、日本である。つまりPUCという産業は、日本、韓国、中国大都市や経済特別区そしてシンガポールなどの世界の諸地域の中で広帯域通信インフラ整備が終わっていて、なおかつ利用者人口の多い東アジア地域に優位性がある。

これまでコンピュータのIT産業の中心が米国であったのに対し、PUC技術を元に勃興する新しいIT基幹産業の中心は、日韓中といった東アジアに大きな可能性がある。かつてコンピュータが成長基幹産業であった頃、ハード分野もソフト分野も米国でその技術体系が完成されたのち、世界中にその技術をもとにした製造業やサービス産業が伝播した。そして、このことが90年代のシリコンバレーを中心とした米国中心のIT経済繁栄期をつくりあげたように、次の時代には日韓中を中心とした東アジアがけん引力となる可能性が大きい。技術の発展と需要者としての人類のニーズの質的変化を考えると、東アジア地域には歴史的に見て千載一遇の機会があるともいえる。この機会を生かすには、東アジアの政策当局者、民間企業経営者、マスコミ、研究者の意識の切り替えが必要である。

客観的に見るとPCからPUCへの産業構造の変化が起きると、たとえどのように優れたポスト・パソコン時代にふさわしいPUC技術を発明したとしても広帯域通信インフラがないと実用化はできないし商品化はさらに難しい。自動車を発明しても道路がないと走らせられないのと同じ例えとなる。

今後もしばらくの間は、シリコンバレーの余韻を求めて世界中の優れたポスト・パソコン時代の核となる技術革新を起こすような企業家が数多くアメリカに渡るであろうが、彼らの技術を使った製品やサービスはアメリカでは使えない。たとえ使えても、市場規模は小さく東アジアに後れをとる。なぜならば、すべてを自由市場主義に任せようとするアメリカ合衆国のような経済体制の国は、広帯域通信インフラといった社会的インフラも民間の投資意欲だけに頼ることになり、整備が遅れてしまったからである。現在でも、ドコモの第3世代携帯電話FOMA対応のソフトを作る企業はアメリカにもあるが、彼らの製品はFOMAを支えるインフラがないアメリカには市場がない。売るためには日本に行かざるを得ない。

ただ、こういった新しい技術を日本や韓国、中国だけで次々と現実化していくと、危機感を抱いた欧米との間にあつれきが生じる可能性もある。そこで、米国を代表するIT企業などがPUC分野の技術を導入して持続した成長ができるよう、日韓中と米の産業界が一緒になって新しい技術を世の中に出していくアライアンス・フォーラム財団*1のような仕組みがますます必要になる。

すでにデジタル家電、携帯電話、デジタルカメラなど、形としてのPUC時代のハードウェアは見えてきたが、この分野のソフトウェア部分のアーキテクチャーはいまだにはっきりとは見えていない。なぜ、PUCを想定したソフトウェアが構築できないかというと、デジタル家電、携帯電話、パソコン、その他もろもろの人間が使う情報機器の間でのデータの構造が異なり、互換性を維持できないことに大きな要因がある。

次の基幹産業の原動力となるPUC技術を完成させるには、ハードウェアだけでなくソフトウェアの技術体系をいち早く完成させることが最大の課題となる。実は、日本人はPUCの必要性を直感的につかんでいる。例えば、使い勝手をよくしたいという発想があったからこそ、携帯電話でインターネットもEメールも行える技術開発が向上したのである。これはロジックから入る米国人には真似ができず、iモードも第3世代携帯電話も日本企業が先頭を切ることになった。PUCの概念を基幹産業に具現化していくうえで、こういった発想こそ最も重要になると思われる。

このPUCの考え方は、ユビキタス・コンピューティングと混同されがちだが、明確に分けなければならない。ユビキタス・コンピューティングとは、現状のコンピュータの概念(人間が機械に合わせる)を遍在させるにすぎず、使いにくいコンピュータの思想に基づいたデバイスが世界に蔓延することになるので、下手をすると本当に住みにくい社会になってしまう危険性すらある。PUCは「機械が人間に合わせる社会」の実現が思想の根底にあり、発想の基盤が異なる。

株価を上げるのは経営者の仕事ではない、目的と手段が逆転した現在の価値観を元へ戻そう

PC(パソコン)からPUCへと移行する過程では、ハードとソフトの分離できるビジネスモデルというパソコン独自の考え方も転換していかなければならない。PUCの概念では、ソフトの性能の最適化はハードの設計に依存し、その逆も真なりといえる。すなわちソフトとハードは融合、一体化していくので分離はできない。当面は、フラットテレビまたは電話のような形状の新たなディスプレイ装置が家庭と外部の社会をつなぐことになるだろう。また屋外においては携帯テレビないしは携帯電話のような形状となるであろう(もちろん、現在のテレビや携帯電話にパソコン用に開発されたソフトを詰め込んだのでは、結局使いにくいテレビや電話機が生まれるだけなので論外である。それどころか、ポスト・パソコン時代のハードに古いパソコン時代のソフトをいれたという点では技術的には退行しているといえる。先述したようにPUC時代のソフトウェアの構造が出来上がった暁には、テレビや以前の使いやすかった電話機と同様の簡単な操作で、パソコンで行なっている以上のことができるようになる)。

この融合の意味は大きい。従来コンピュータのようなハードとソフトに分離できるビジネスモデルでは、粗利益率の低いハードではなく、ソフトやソリューション分野で価値を創造するほうがROE(株主資本利益率)を押し上げ、結果として株価を上げ、株式時価総額をも増大させるので評価されてきた。ところが、ソフトとハードが一体化するPUCの時代には、ハード部分の製造原価が発生することから、粗利益率で見るとソフトだけの産業より下がることになる。結果としてROEも下がるのではあるが、それにもかかわらず、成長産業として位置付けがなされていく。PUC産業には、ROEが高ければ株価も上がるという米国のビジネススクールで教えるお手本のような財務指標は現れてはこない。

その結果、投資家の観点からも、ROEと株価を結びつける現在の手法は、新しい指標を求めて変化していく。PUC産業の利益率は、短期的に見るとパソコン時代のソフト産業よりも利益率は下がるが、ハード・ソフト一体型の製品の本質から結果的に中長期の投資が必要となる。付加価値の高い製造業においては、短期志向の経営は本質的に成長しないことがより明らかになり、ROEさえ上昇させれば株価が上がるという相関性は緩やかに消滅していくことになる。そして、本来の企業の目的である「優れた製品やサービスを世の中に提供し、その結果として株価が上昇する」というあるべき姿へと、新しい財務や投資の理論が議論されるようになるであろう。

このように、PUCを中心とした基幹産業は、産業・金融資本主義の基本とも言える株価と企業価値の関係までも変化させる勢いを持つものになる。かつて重農主義、重商主義と産業の発展段階において、あるべき経営の姿が変わってきたのと同様の変化が起きる。その次のステップとして「企業は株主だけのもの」であるという考え方は、理論的にも修正されることになる。これに伴って企業統治の在り方も大きく変化していく。企業統治から、さらには国家の統治の問題へとつながり、ポスト資本主義、改良されたポスト民主主義の時代へと展開していく可能性をも秘めている。

今後、世界経済のけん引役となる新たなポスト・コンピュータ基幹産業を育成していくためには、いかに優秀な人材を確保するかが課題である。それは同時に、国籍にこだわることなく、日本国内はもとより世界各地でPUC分野における新たな技術を発掘し、その担い手や、技術の根幹を理解する人物をわが国に招致・育成できれば、わが国こそが、新たな時代の潮流を生み出すリーダーシップを持つことが可能となる。そのためには具体的にどのような政策をとるべきなのか。シリコンバレーの創世期から今日までその良し悪しも含めて、つぶさに見てきた私としては、日本のとるべき指針について、次回の機会に述べさせていただきたい。

*1
2005年11月22日、ワールド・アライアンス・フォーラム
(会場:兵庫県淡路島、夢舞台国際会議場)でこの議論がなされるので読者の方は奮って参加されたし。招待希望の方はWAF会議事務局〈jimukyoku@mist.ocn.ne.jp〉まで、氏名、住所、職業、肩書、連絡先を記して連絡してください。