2005年12月号
海外トレンド
深セン市虚擬大学キーパーソン 張克科氏への特別インタビュー
顔写真

江原 秀敏 Profile
(えはら・ひでとし)

コラボ産学官事務局長/
本誌編集委員長



はじめに

さる10月10日から深セン市に入った筆者は10月12日深セン市蛇口湾に面した南海酒店で虚擬大学設立のキーパーソンである深セン市政府の張克科*1氏に虚擬大学の成果についてインタビューした。

虚擬大学が位置する深セン市とは

深セン市は香港特別行政区の北隣にあり広東省の経済特区の町である。面積は東京都とほぼ同じ2,000km2である。深セン経済特区は、中国の改革開放の父といわれる鄧小平氏が提唱し推し進めて設立した中国で最初の経済特区である。1980年に深セン特別区として設立されて以来外国資本を導入した高層ビルが立ち並ぶ新興商工業都市として大きな発展を遂げた。この25年間に人口が急増し、25年前の500倍である1,200万人が住む。人口の90%以上が中国各地から流入してきている。人口の平均年齢は27.8歳と若い。

深セン市は80年代に中国の対外の重要な窓口となった。深セン港は世界第4位のコンテナ港であり、現在でも中国の主要な対外貿易と国際交流の中核となっている。対外貿易額は平成16年度で約9兆5,920億円であり、中国都市の中でトップの座を占めている。

深センには有名な大学、国家級の研究機関は1つも無い。しかし深センが置かれた経済面の優位性と良好な革新的環境により、科学技術成果の事業化深センモデルを作り出した。

1996年9月から深セン経済特区西部の深センハイテク団地の建設が始まった。

建設面積は11.5km2であり、中国の重点五大科学技術団地のひとつとなっている。2004年度のハイテク団地の工業総生産額は建設当初の1996年度の11倍で79.2億USドルである。ハイテク団地の面積は全市面積の0.6%にあたる。

虚擬大学の設立
写真1

虚擬大学の本部棟

1999年9月、深セン市委員会と市政府が虚擬大学園の設立を発表した。翌年2000年9月10日に深セン市ハイテク産業園で北京大学、清華大学など中国全土の国家級大学33校が参加し、深セン虚擬大学園連合会議の第1回会議が開催された。

大学園の草創期はハイテク産業園に3,000m2の土地を用意し、これを始動区としたことに始まる。各大学の駐在費や施設の利用などは深セン市が負担している。大学園のビルの建築総面積は1万5,000m2である。新興都市としての先天的な人材欠乏に悩まされていた深センにとって起死回生の施策であった。

ネットを通じて各大学を結び、大学園を通じて企業とオフラインで交流することを目指した。このような形式は世界でも例が無い。大学園の指導機関は連合会議である。連合会議は主に各方面の同大学園との協調を図ってゆく場である。深セン市市長自らが連合会議主席となり、市政府がその管理運営に参画する。深セン市では毎年1,000万元の運営費を捻出している。

大学園のメンバーになる条件

条件は以下の3つである。

1. 全国の重点大学であること
2. 深セン市の発展と大学の発展に相互作用をもたらすこと
3. 積極的に自主的に参加すること

虚擬大学の可能性と効果に対して1998年に調査研究を始めた。同時に各大学と協議を進め、よりよいサービスのプラットホームを提供することを重点に置いた。1998年末、人材育成と産学官連携で虚擬大学を設立することを決定した。

写真2

虚擬大学本部棟の側面。参加43大学の校旗が
     国連のようにはためいている。背景は虚擬大学
     関連施設

初期虚擬大学のネーミングは連合大学、連合大学合作連盟など様々な提案がなされたが、VU(バーチャルユニバーシティ=虚擬大学)にたどり着いた。つまり、特徴的機能は、バーチャル大学、ネットワーク遠隔教育を通して授業を行うことである。

深セン市は若い都市であるので、人材育成は重要である。VUは正式の大学システムではなく、連携する縁をつくることを使命とする。そして、サービスのプラットホームを提供するという新しいモデルであり、イノベーションの場であるという認識である。

産業界への影響と今後の展望

以下が、産業界に与えた影響と言えよう。

1. 絶えず人材をもたらした
2. 新しい技術をもたらした(応用技術)
3. 深セン市の企業は、大学が実際に交易をもたらすことができることを確認できた。これに関して、各企業は肯定的評価を出しており、大学に対し社会実践の場を提供している
4. 新しい大学教育方法を提供した
5. 考え方を解放できた

張氏に、各大学の常駐者にそれらのことをどのように意識付けしたのか?と聞いてみた。

各大学担当者はこれら5点を十分に認識している。ただし、大学の自主的認識は尊重されたのだった。深セン市から各大学にメンバーを派遣し、大学の実際のニーズを理解するために視察を繰り返したことは注目される。この視察は現在もなお常に実施されている。

最後に

毎年各大学は深セン市を訪れ、交流する機会を持つ。深セン市訪問中最大のイベントである、ハイテクフェアが開催され、私も参加した。重大なプロジェクトを大学が深セン市に依頼する場合は、深セン市も大学を視察するだけでなく、大学の学長などが深セン市に来る場合、積極的に交流の場を設けているとのことであった。これほどの意欲が日本の地方自治体に見られるかと一瞬脳裏を日本の地域振興の姿がよぎった。

虚擬大学のプランニングの中心は、1998年から2000年までの初期段階、1999年北京大学・香港科技大学が提携して大きな力を発揮した段階、そして2001年から2004年までの連携に力を貸した時期に分かれるという。この期間に各大学のメンバーは人脈、ネットワークを作り上げた。その後の展開にうまく活用できたであろうことは言うまでもない。

今後の虚擬大学の展望として、金融部門の充実と、国際的な連携に目を向けるという課題が残っているという。深セン虚擬大学園での日本の相手先としてコラボ産学官に関心を寄せた。この度の私共の訪中で協議書が交わされ、日中双方“虚擬大学”の国際的連携の一歩が踏み出された。

*1張 克科(Zhang Ke Ke)
深港産学研基地 副主任(深セン市と香港科技大学と北京大学の連合組織)