2006年1月号
巻頭言
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黒川 清 Profile
(くろかわ・きよし)

日本学術会議 会長




新しい研究の成果、技術、市場にマッチした製品等の「ねた」の多くは大学、企業等での研究成果を開発したものである。この「ねた」は特に目的があって求めているものでもない。1905年のアインシュタインの相対性理論は、1938年に巨大エネルギー源の可能性が実験的に示され、1945年に広島、長崎に2つの原子爆弾が落ち、その60年後の日本の電力の30%は原子力発電となる。アインシュタインの当初の目的とはまったく違う。時の社会情勢、つまり世界戦争こそが20世紀前半の最大の投資、マンハッタン計画を可能にしたのである。

エジソンは電球を作ろうと毎日、毎晩、研究室に寝とまりして目標に没頭し、1,000回以上の失敗を繰り返し、そこから学び、日本の竹を使うなどの工夫を重ねて電球作成に成功した。

失敗経験のない人に成功はない。「失敗は成功のもと」といっていたではないか。ゴルフもテニスも失敗から学び、うまくなる。実体験、実践のない座学からは評論家しか出てこない。ましてや、終身雇用、年功序列、組織の論理の社会であれば何事にも失敗は当然なのに、そこから学ぶことを誇るより、隠す文化ができてしまう。出世の妨げだからである。

研究も開発もひたすら没頭する「バカ」でなければ、世の中を変えるほどのことはできない。そんな人は数多くはいない。今までの日本社会で、どれだけこんな「バカ」な人たちが大学、企業等で評価されたであろうか。「評価、評価」といってもうまくはいかない。どれだけリスクを許容できるか、なのである。市場では投資の問題であり、透明性の問題である。

研究に、TLOに、大学発ベンチャーに公的投資を増やしても、うまくはいかない。 モラルハザードが大きいばかりだからである。「政産官の鉄のトライアングル」で経済成長してきた雇用、法規制、税制等の社会制度の問題なのであり、どこにメスを入れるかの創造的、戦略的政策の課題なのである。「タテ社会」の大学、企業、行政等が障害なのである。アメリカの「マネ」をしてもうまくはいかない。社会の価値観、社会制度と構造が基本的に違うのである。失敗の経験と知恵は生かされなくてはならない。実体験のない人たちの議論はむなしい。所詮は評論家のコメントだからである。

失敗を恐れずにチャレンジする人たちが、国内外から参加して生き生きと仕事ができるか、そのような「場」を作れるか、これこそが日本の「産学官連携」の課題なのである。