2006年1月号
海外トレンド
6人のコーディネーターが見た中国の産学連携(1)
顔写真

野崎 努 Profile
(のざき・つとむ)

千葉大学 知的財産本部 研究推進
部長 客員教授/文部科学省 産学
官連携コーディネーター


1. はじめに

2005年3月6日から13日まで8日間、千葉大学知的財産本部 野崎 努、東京農工大学産官学連携・知的財産センター 藤井 堅、東京海洋大学社会連携推進共同研究センター 田村英世、電気通信大学共同研究センター 小川俊也、群馬大学地域共同研究センター昭和分室 大石博海、(株)キーラック 池永威彦の6名が中国の大学、ベンチャー企業のいくつかを視察した。その目的は、中国での産学官連携の実情を調査するとともに、日中共同研究開発のニーズを探り、その調査結果をもとに、将来に向け、息の長い日中関係の改善と、「未来志向」の友好関係の構築、増進の基礎作りへの一助となることを目指したことにあった。さらに、日本人が、中国での経済活動や、研究活動を行う上での問題点や、留意すべき事項を探ることとした。大学は東北大学(瀋陽)、上海交通大学、清華大学、北京師範大学の4大学、国立研究所として鋼鉄研究総院(北京)、大学企業(校弁企業)としてNEUSOFT、日本からの進出企業として、ダイドー、能美防災を設定した。視察団は、質問調査票を作成し、視察の前に、関係先に配布し、回答を依頼した。なお、本報告は、視察者6名が実際に見て感じた中国の産学連携の実情を書きとどめた出張報告記をもとに野崎がまとめた。本海外報告は文部科学省の「産学官連携推進企画」に採択されて、本視察が実現したことによる。関係各位に謝意を表したい。

2回にわたり掲載するうち、本号は視察した大学に関する報告である。

2. 中国の産学官連携の現状とそれに基づく提言
2.1  現状
国の競争力をつけるため、大学に対して、国策として、211工程や985工程等の諸施策を矢継ぎ早に打ち出し、早期に、大学の強化、重点化を図っている。
日本の企業と異なり、中国企業は研究開発力が弱体である。産業界が、各大学や国立研究所に技術開発を依存しているため、産学連携や共同研究が強力に見える。
産学官連携活動を大学経営の手段とし、大学から独立した経営の仕組みを構築し、活用している。
教員に対して、大学主導で、柔軟な予算管理をして、成果主義も徹底している。
訪問した大学の歳入は、国家からの交付金35%、残りの65%は自ら工夫して稼いでいる。
訪問した国立研究所は、交付金を毎年20%ずつ削減され8%になり、株式会社化していた。
産学官連携に国際交流機能を導入し、積極的に先進技術導入を図っている。
産学一体の感がある大学企業(校弁企業)が中国全体で5,000社あり、活躍しているが、競争激化で業績悪化に直面している企業も出てきている。
事業推進のスピードについて、官主導より民主導が速いとの認識が共通である。その典型が道路と鉄道で、民主導の高速道路建設は、どんどん進み、官主導の鉄道建設は、牛歩のごとくである。

2.2  提言
○実効ある大学改革の推進
法人化後の大学改革のスピードアップを図る仕組みの構築が必要である。
大学への経営マインド、経営システムの導入、及び経営人材の投入が不可欠である。
大学における教職員のモチベーション向上のため、成果主義を導入し、大学運営の効率化を図る。
大学における予算管理に柔軟性を付与し、教員の研究促進に活力を持たせる。
○実効ある産学官連携事業の推進
大学の経済的自立性を目指しうる、成果を重視した事業の推進を図る。
それに基づき、特に経済的成果を重視した知的創造サイクルの仕組みを構築する。
試験研究用分析機器、測定機器の開発や、リスクの高い長期的研究開発等、大学にしかできない事業を選択し、それに集中する。
独立法人化した大学は、それぞれの特長を生かした、コアコンピタンスの明確化とその重点的活用を図る。
○人材・情報交流の継続と促進
日本への留学経験者が多い中国の産学連携関連の先生方を日本に招き、全国コー ディネーター会議等で、日中産学連携セッション等を開催する。
産学官の国際連携、交流を促進するためにコーディネーター横断のワーキンググループを新設し、国際的連携に関する各大学間の情報交換、情報分析、学学連携を図る。
産学官連携の国際交流機能として、受け入れた留学生、教員を通じた学学連携、産学官連携活動を各大学で推進する。
中国の大学及び日本の大学との双方が、互いの国にリエゾンオフィスを有し、継続的な国際交流が可能となるように働きかける。
今回訪問した先々で、熱烈な歓迎を受け、訪問者を“お客様は神様”の精神で厚遇して頂いた。ともに食事をすることにより、初めてうち解け、話が始まるということは、東アジア全般の人々に、当てはまる一つの文化ではないだろうか。日本の学学連携、産学連携においても、このもてなしの精神は見習うところがあるのではないだろうか。

3. 大学
3.1  東北大学(瀋陽市)

産学連携分野のランクは第5~7位程度にある。

産学連携活動は1980年から開始した。2004年の大学研究費総額は4.8億人民元(以下元)。内訳は政府の支援1億元(20%)、自己資金3.8億元(80%)である。大学と企業間の共同研究等は500件/年程度で、先生個人と企業とが契約を交わして実施している。

知的財産活動では、科学研究員が申請した特許の大部分は職務の発明で、その申請費は大学が負担あるいは研究経費の中から支払い、特許権を獲得した後は、特許の所有権は大学が所有し、特許の譲渡で獲得した収益の一部は、特許発明者個人を奨励することに用いる。毎年各類の特許出願は約50件、特許を得たのは約30件にのぼる。

連携活動の内容は次の3つに分けられる。

1)政府関連の予算配分としては、

イ)プロジェクト(テーマ)別に研究費を支援(補助率は10%~20%)。
ロ)国家目標を決めた重点技術開発を実施する大型企業を中心に、大学との連携で5年単位の提案を政府にさせて支援する。その資金は国→省へ、国→市へ投資される。

2)遼寧省からの関連予算として、

イ)産学連携会議を毎年1回開催。
ロ)約100社の企業から課題や問題を収集し、この結果を大学へ提示して、先生と企業とがマッチングを図っている。

3)大学内活動としての予算措置は、

イ)科学技術所内に産学促進委員会を設け、先生と36の企業との合作上の問題点などを議論して解決策を講じている。
ロ)大学と宝山製鉄所との合作委員会を毎年1回開催し、前年度の実績を総括し、次年度の実施計画を決定している。これは12年間継続していて大きな成果を挙げている。事例として超級鋼の研究で100万トン/年の生産が可能となった。

東北大学が擁する科技産業集団の役割は、大学が投資した関連企業(東軟集団等)の業績の管理をすることにある。

東北大学の科学研究経費は企業からの費用と政府からの費用との比率が1991年の1.26:1から2001年の3.55:1となり10年間で緩やかに増加している。大学が1991年以来取得した科学技術賞合計は800(うち国家級のものが40)であった。

こういった多くの成果は企業との合作から得られた。国外大学、国外の研究機関、国外の企業との合作プロジェクトは約100件で、IBM, Rockwellなど十余りのハイテク合作企業が設立された。

全国にある30の「国家レベルの研究センター」の内、東北大学は以下の3つを有す。

[1]コンピューター・ソフトウェアの国家レベルの研究センター

[2]オートメーションの国家レベルの研究センター

[3]デジタル化医学画像の国家レベルの研究センター

1988年に東北大学で中国初の大学サイエンスパークが設立され、現在国家級のサイエンスパークとなり、その生産高は300余億元に達している。

東北大学の2002年ハイテク産業の生産高は24億元である。

国際合作交流センターは産学連携の窓口で、次の役割を持つ。

[1]国際的連携と人材交流の推進

[2]大学の重点的学科の情報の発信

3.2  上海交通大学(上海市)

上海交通大学は清代の1896年に設立され、中国でもっとも古い歴史をもつ大学の一つで北の清華大学、南の交通大学と並び称されている理工系の名門校である。

1) 上海交通大学国家技術移転センターおよび上海交通大学国際技術移転センターの活動

上海交通大学国家技術移転センターの活動目的は、大学と産業界の連携を促進させ、社会および地域の活性化にある。事業内容は、以下の6つに大別できる。

[1]国内外の企業、大学、研究機関における技術移転の支援

[2]海外先進技術の取り入れと2次開発

[3]海外技術研究調査

[4]知的財産管理

[5]総合的コンサルタントサービス

[6]人事交流および育成

国際技術移転センターは企業運営体制を取り入れて、市場ニーズに対応した国際技術移転および提携のプラットフォームとしての役割をもつ。同センターは、国際技術移転に重点をおいており、例えば日本国内大学20校と提携している。

2) 上海交通大学の状況

上海交通大学は1995年に独立法人化した。現在、歳入全体の35%しか国から財源(昨年度は8.5億元)をもらえない。50%は産学官連携推進事業からの財源をあて、15%は寄付金と学費からの収入である。

上海交通大学の産学連携は1985年からである。上海交通大学のインキュベーションセンターは、市内に4カ所あり合計200社以上が入居し、キャンパスの近くにある6階建てのビルには60社が入居している。

3) 大学の法人化とその対応

国家の市場化の方針に基づき、独立法人化した。法人化にともない、国家からの交付金は、100%→50%→35%と減額されてきた。減額された分、国際的連携を含め、各種連携で外部資金を獲得している。

4) 知財部門

国際技術移転センターとは別に、知財部門がある。知財部門のライセンス収入は約700万元である。日本企業へのライセンス実績はまだない。

3.3  清華大学(北京市)

清華大学におけるベンチャー企業群は、持ち株会社、清華企業集団によって管理統括されグループ企業の売上高は2003年に152億元(約2,000億円)、国への納税額は5億元(約65億円)、上場企業数6社と一企業グループとして存在感のある規模に達し、今後の成長も極めて高い模様である。

同学では1980年以来と早くから大学における事業を立ち上げ、経済的成果を挙げることに目的を絞り込んで、政府と一体となって産業の振興を推進するとともに、大学側の現場も法人化を梃子にしてフレキシブルな対応を思い切って打つなど、現在の仕組みを作るために戦略面、戦術面で真剣に取り組んできた様子がうかがわれた。

日本における産学官連携の在り方については、両者の社会構造等の違いがあることから必ずしも全く同じ取り組みをする必要はないものの、大学における経営システムの導入や成果主義の徹底など、今後検討すべきと思われる内容が多い。それらを以下に示す。

1) 大学の体質の変遷

改革前の従来の清華大学では職員の人数が多く問題があったが、産学官連携活動が開始されて、清華企業集団が雇い雇用を吸収した。まだそこでの新しい仕事を職員は十分にこなすことができた。

2) 大学の収入の分類とオーバーヘッドについて

(収入の分類)

大学には大きく分けて2種類の収入がある。材料系の場合の内訳は以下のとおり。

[1]縦の金:90%程度、国からの収入(競争的資金を含む政府からの補助)

[2]横の金:10%程度、民間等からの収入

(オーバーヘッド)

共同研究等で学外から得た収入に対して、大学側はオーバーヘッドを要求する。

[1]大学経営分:6%

[2]光熱費等の利用料金:6%

なお、プロジェクト事業に採択された場合は、教員は5%のポケットマネーを得ることができるインセンティブを有す。

3) 日本の大学が産学官連携で成果を出すためのアドバイス

[1]日本社会は平等主義で、かつ教員の給料が高い。

[2]個人的に努力して成果をあげても収入が増えない仕組みになっている。

[3]ひとつの要因は、大学におけるお金の使い方の管理が厳しすぎる面がある。

→ ヒント: 日本における大学の予算等の管理を緩くし、成果主義を徹底すべきではないか。

4) 日本の大学との提携の可能性について

日本の大学、産業との提携は可能である。現在、すでに進んでいる例は以下のとおり。

[1]教育面の提携:東工大との間に修士課程の学生の交流を進め、双方の大学で修士号を取得できる。年間5人程度を予定。

[2]民間との連携:現在の主要な提携先は、トヨタ自動車、三菱重工、石川島播磨重工等で、それらとの間に共同研究を推進中である。

3.4  北京師範大学

前述の3大学に比較して、「人を教育する先生をつくる」大学という使命のため、国からの支援には恵まれている。

紙面の都合により、訪問のまとめを下表に示す。


北京師範大学訪問まとめ

北京師範大学は、1902年に、京師大学堂師範館として創設された。
「学んで人の師になり、行為は世界の範となる。」を校訓とする。
本来、優れた教師を養成するための大学で、その創立理念から言うと、産学連携にはそぐわない。
そのため、これまでは、お世辞にも産学連携が進んでいるとは言いがたいが、短期集中中国語研修留学プログラムを実施するなど国際交流には、熱心である。
現在、教員数、約1,100名、学生数、約17,200名。
産学連携企業では、薬物、薬草の栽培を行なう会社と、遠距離教育訓練センターが目立つ程度であった。
2001年に、中国砂漠研究センターが創設され、砂漠緑化事業の中心的役割を担い始める。
同センターは、緑化事業推進のため、積極的に、海外からの研究協力や、支援を受け入れ、今後、なおいっそうの協力支援を求めている。
クリーンエネルギー使用と、環境との調和を、前面に押し出して緑化関連開発事業に取り組み始めている。
公害対策先進国である日本の、太陽電池、太陽熱利用、バイオマス技術、その他の環境関連技術が、大いに、役立つと思われる。
日本からの、技術支援、共同研究を、おおいに歓迎する。

●参考文献

(1)角南篤(政策研究大学院大学). 中国の産学研「合作」と大学企業(校弁企業).RIETI Discussion Paper Series 04-J-026,2003年12月.

(2)斉藤;松尾ら. アジア地区技術移転機関調査団調査報告書,2005年2月.