2006年3月号
連載1  - 産学連携と法的問題
第4回 マテリアル・トランスファー・アグリーメント(研究材料提供契約)
顔写真

平井 昭光 Profile
(ひらい・あきみつ)

レックスウェル法律特許事務所
所長 弁護士・弁理士/東北大学
客員教授/東京医科歯科大学
客員教授


総説

産学官連携にはさまざまな実務的・法的課題が存在するが、法的な課題で最も中心的な役割を果たすのが技術移転である。そして、この技術移転(契約)は、主としてライセンス契約などの無体物を扱うものと、本稿の主題である有体物を取り扱うマテリアル・トランスファー・アグリーメント(Material Transfer Agreement、 MTA)に大きく分かれることとなるのである。ここでMTAとは、Material、すなわち研究材料や試料(以下、まとめて「研究材料」という)を移転する際に用いる契約を指す。この種の契約は、日本において古くからなじみのあった契約ではなく、そのため英文名称を略してMTAと呼ばれることが多い。この契約の特徴的なところは、表面上は単なる動産の売買契約、贈与契約、賃貸借契約、使用貸借契約のように見えるものの、実際はその動産に化体したあるいは一体不可分のものとして運命を共にする知的財産が取引の対象として見られている、というところにある。それが故に、MTAの中には、動産の所有権とノウハウ、特許権等のさまざまな観点の法的構成が混在するように見えて、時折理解に苦しむこととなるのである。

MTAについて検討する場合には、基本的には所有権の部分にはあまりとらわれない方が良い。大腸菌やベクターの「動産の所有権」としての価値は、1円にも満たない、取るに足らないものであり、マウスやカニクイザルのように大型の場合でも、動産としての価値に目を奪われるとマテリアルの適正な評価・取り扱いはできないであろう。MTAにおいては、基本的にノウハウが取引の対象であると考えた方が理解しやすい。ノウハウを運ぶ運搬体としてたまたま動産が存在しているのである。例えば、あるcDNAを組み込んだベクターがあるとして、このマテリアルにおいて最も重要かつ価値があるのはcDNAによって表される塩基配列である。また、このベクター自身の持つDNAや外来遺伝子を組み込む部分の配列情報、ベクターの持つ抗原性や増殖に関する情報、抗生物質や蛍光による選択性に関する情報等が重要なのであり、これらはまさしくノウハウである(場合によっては発明ということもあろう)。このようなノウハウをキャリアーとしての動産とともにどのように移転するのが良いのか、移転後の提供者と受領者との関係はどのようにしたら良いのか、移転に伴う対価関係はどうするのか、法的な責任についての処理はどうするのかが、MTAの主な主題となる。そして、このような主題を適切に取り扱うためには、このMTAが通常行われるアカデミアという、または研究開発(企業におけるものも含む)という特殊な環境に配慮することが必要である。その意味では労働法が民法の特殊な適用場面であると同様に、MTAも民法の特殊な適用場面であるということができよう。

研究者間において研究材料の授受または研究に関する情報を交換することは、科学の世界では極めて日常的な現象としてみることができる。このような研究材料の提供は、世界全体の研究・開発の促進に極めて有益であり、かつ、研究者間の英知への挑戦という共通の意識を高める意味で極めて有益なものであると思われる。そもそも学問の分野では、全体としての「知」の増進が最も重要な問題である。ひとりの得た知識や新規物質は、可能な限り無償でかつ等しく他の研究者へ伝えられるべきであり、そのような貢献に対しては、論文等によって適切な評価が与えられるのである。このように、学問の世界では、こと研究材料に関しては「独占」とは対極にある情報および研究材料の自由流通という思想と実務が確保されてきたのである。

しかしながら、ひとたび学問の世界を離れ、こと法律が絡むと問題が複雑になるので注意が必要である。アカデミックな世界からビジネスの世界へ、そして、情報の自由流通から「独占権」の世界へフェーズがシフトすると、そこには極めて困難な問題と実務上の障壁が横たわることとなる。すなわち、動産である研究材料には当然のことながら所有権が成立しており、まず最初に、その所有権の帰属に気をつける必要があるのである。また、情報についても秘密保持義務や特許権などの知的財産権が成立している場合もあり、これらの取り扱いに気をつける必要があるのである。このようなアカデミックな世界へのビジネス社会のルールの侵食は、ある意味では不可避なことである。アカデミックな世界が、人間の社会の一部として機能しかつ存在している以上、一定の範囲で他の規範を受け入れざるを得ないのはやむを得ないことである。MTAは、このような規範の衝突の場面において活躍し、機能する契約である。その半身はアカデミックな世界に、他の半身はビジネスの世界に置くこととなる。MTAの法的な性格および内容については以下詳述するが、このようなMTAの性格を正しく理解し、あまりにアカデミックな(権利関係に無頓着な)MTAや、あまりにビジネスライクなMTA(科学者がサインをためらうような分厚いMTA)を避け、適切なそして使いやすいMTAをドラフトし、使用するように心掛けるべきである。

MTAを締結するケース

最も典型的な例として考えられるのは、ある研究者が、大学等内で研究・開発を行い、その結果、一定の成果物たる研究材料を得た場合において、当該研究の成果を何らかの形で公表した場合である。このような場合において、当該公表に接した他の研究者は、そのような発表を行った研究者に対して当該研究材料の提供を求めることがある。それは、そのような研究の追試の目的や研究主題に対するさらなる研究のためである。別段研究成果の発表を伴わなくとも、何らかの形である研究者の研究材料の存在を知るに至った他の研究者が、当該研究材料の提供を求めることもある。

また、研究者間または研究者の属する組織間において共同研究が行われるような場合に、当該共同研究の一部として、一方当事者の有する研究材料が他方当事者に移転することもある。この場合には、共同研究契約中において、実質的にMTAが規定されることとなる。共同研究が委託研究である場合にも同様である。

さらに、このようなMTAは、ライセンスの準備段階およびライセンス契約締結後の履行の一部として行われることがある。すなわち、ライセンス契約の締結を検討するにあたってライセンスの対象となる知的財産権の評価を行うために当該研究材料が必要となるような場合である。このような場合には、秘密保持契約(NDA)または技術評価契約(Testing Agreement)の中で実質的にMTAが定められる場合もある。

その他、さまざまな場合において、ある個人または組織が他の個人または組織に属する研究材料を必要とし、その提供を求める場合にはMTAの締結が必要となる。このような提供が一方的な提供ではなく、研究材料の交換という形で行われることもある(無償による研究材料の提供の場合に、交換という方法は極めて有用な方法である)。

MTAの取扱者

このようなMTAは、誰が相手方と締結すべきであろうか。考え方としては、大学や研究所が機関として締結する方法と研究者個人が締結する方法の2種類が考えられる。機関が締結する場合のメリットは、契約締結権限として自然で、組織法上理解しやすく、また、管理が容易なことである。デメリットは、契約締結までに時間がかかることが多く、迅速性を必要とするMTAには向かないということがあろう。他方、研究者個人による契約締結のメリット・デメリットはこれらの全く逆である。

従って、研究実務の運用から考える場合には、なるべく現場に近い部署または機動的に契約締結が決裁できる部署に契約締結権限が委任されており、かつ、速やかに(例えば数日から1週間以内)に締結されることが望ましい。問題は、これをいかに実現するか、ということである。

まず、現場の研究者の判断でMTAを適切に行うための理論構成としては、一つには、民法に規定する「加工」の法理を利用する考え方があろう。加工とは、他人の材料を用い、または他人の物に変更を加えて、新たな物を製作することである*1。民法第246条第1項によれば、製作物の所有権は、原則として、材料の所有者に帰属することとなるが、工作によって生じた価格が著しく材料の価格を超えるときは、製作物の所有権は加工者に帰属することとなる。

もう一つの考え方は、発明の場合における特許を受ける権利の発明者帰属の考え方を敷衍(ふえん)して、マテリアルに関する知的財産権の創作者帰属を認めるものである。

このような法的な議論は別にして、結局のところ、素直に考えると創作者たる研究者に成果物が帰属して、これが組織に承継されるのが自然なようである。そこで、各組織において、マテリアルを含む成果物取扱規定を設けて、マテリアルと発明を同様に取り扱うのが最も実務的には適切な方法であろう。

MTAポリシー

各組織がMTAに関してきちんとしたポリシーを持つことは極めて重要である。MTAに関するポリシーはそれ自体で単独に存在し得るものではなく、組織の知的財産権の帰属に関するポリシー、職務発明に関するポリシー、ライセンシングのポリシー、秘密保持に関するポリシー等とともに複合的にかつ有機的に設計されなければならない。また、MTAのポリシーは、科学・技術の革新や社会のコンセンサスの変化等によって、時代とともに変遷していくものでもある。いずれにしても、これらに関する統一的なポリシーを形成し、常にその妥当性を検証し、社会や組織において当該ポリシーが適切な機能を果たしているか検討していくことが必要と考えられる。

(1)研究目的使用のためのマテリアル・トランスファー

研究目的による使用の場合には、情報の自由な流通と研究の促進といったアカデミアのルールが優先的に考慮されるべきである。したがって、契約事務等を取り扱うバック・オフィス機能の研究の現場に対する関与は最小限にすべきであろう。しかしながら、マテリアル・トランスファーを全く自由に認めるというわけにはいかない。それは、そもそもマテリアルという動産の所有権や知的財産が機関に帰属すること(法律上の帰属の問題)と、他の機関とのトラブルを回避するためにマテリアルの持ち込みと提供を管理する必要がある(政策的な管理の問題)という理由からである。

(2)商業目的使用のためのマテリアル・トランスファー

商業目的による研究材料の使用の場合には、研究目的の場合に比べて商業的なルールの色彩を強めることが必要であろう。すなわち、情報の自由な流通よりは当該研究材料に関する権利および対価の機関による管理が重要となるものと考えられる。商業的な利用である場合には、商業的に価値のある研究材料が有償で使用されるわけであるから、当該使用の対価がきちんと収受されなければならない。また、当該研究材料を基礎として発生する知的財産権の取り扱いにも目を配る必要があろう。さらに、研究者と機関との間のプロトコルをきちんと定めておくことが必要である。この両者の利益をバランスしたMTAを用いることが重要である。

*1
我妻栄・物権法(民法講義II)207頁