2007年1月号
巻頭座談会
「第2期・科学技術立国論」に向けて
-日本型創造的研究の在り方を考える-
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西澤 潤一 Profile
(にしざわ・じゅんいち)

首都大学東京 学長/国際工学
アカデミー連合会長


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林 主税 Profile
(はやし・ちから)

株式会社アルバック 社友



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森 健一 Profile
(もり・けんいち)

東京理科大学MOT大学院 教授
/独立行政法人 科学技術振興機
構 研究主監(プログラムディレ
クター)

世界にインパクトを与えるような創造的なイノベーションを起こしていくには、計画されたロードマップの中にはまだ書かれていない、未来を拓く科学技術研究を起こしていくしかない。われわれは未知なものを評価する基準を持ち得ていない。とすれば、まだ見えていないものを見通し、それを実現するための戦略的な構想力とリーダーシップを持ち合わせている「人」に、その夢を託していくしかない。プロジェクトリーダーとして、またプロジェクトディレクターとして国家プロジェクトを牽引してきた3人が、第2の科学技術立国論へ向けて、再びロマンを語り合う。

創造的研究の原点に立ち戻る

●2006年は、ERATO(創造科学技術推進事業)*1のスタートからちょうど25年と節目の年を迎えたわけですが、今後の日本の創造的研究の在り方を考えたときに、「人にプロジェクトを託する」というERATOの当初の発想は非常に重要なモデルになると思われるのですが。

 やはりそろそろ原点に戻って、「独創的な科学技術を育てるとはどういうことか」を見つめ直すべきではないかという議論が出ています。当初の千葉玄彌さんの時代*2には、プログラムディレクターやプログラムオフィサー*3自身が「この人ならば」という研究リーダーを選んでプロジェクトを任せるという、「人が人を見込む」という色合いが強くあった。それが時代とともに、委員会による審議方式へと移行してくると、大勢の人の意見を集約する中で、角がある提案が通りにくく、八方美人的な提案が通りやすいということになってきてしまった。創造的研究の原点に立ち戻って考えたときに、そうした傾向はいかがなものかと…。やはり独創的な構想力を持っている人を選んで、その人の構想に未来を託して新しい科学技術の潮流をつくるという、そもそもの出発点にもう一度立ち戻ってみるべきじゃないかということです。

西澤 あの当時の日本では、民主化が進んだのはいいけれど、平等主義があまりにも強く出過ぎたがゆえに、画一化の方に強く振られてしまっていて、「個性を生かす」ということができなくなっていた。そんな中で、ERATOが構想され、当時の科学技術庁長官だった中川一郎さんが「科学技術立国元年」という言葉を打ち出した。ERATOの発想は斬新だったし、実際、国際的にも非常に高い評価を受けました。

 最近、国内外の人たちにお願いして国際的な評価を行ったんですが、「この制度は非常に成功している」「特に人を選ぶということを中心に据えているのが良い」と高い評価を受けています。すでにプロジェクトが終了したものについて、「その研究リーダーの出した成果によって、新しい科学の潮流が生まれたか」という質問についても、実に75%以上の研究リーダーが、世界の研究者たちからそのように思われているという結果を得ています。と同時に、「委員会制度にだんだん偏ってきたのは、良くないのではないか」というコメントもいただいています。

  「透明性」ということがよく言われますが、委員会制度にしたからといって、果たして透明になるのか疑問です。

 確かに、委員会制度が透明性の代名詞のように思われているところがありますが、それは大いなる誤解です。でも競争的研究資金の流れの中で、時流はますます委員会制度を要請する方向になっています。

 どうも競争というものが入ってきてから、考え方がおかしくなっていませんか。「競争的研究資金」という言葉を初めて聞いたとき、国際競争のことかと思ったら、プロポーザルの競争だという。しかしその実態を見てみれば、競争と言いながら、研究資金のバラマキと同じような構造になっているように思います。

 今、そこの改善策に知恵を絞っているところです。競争的研究資金には、一つはピアレビュー、つまり大勢の専門家の人の公平な判断がなければいけない、もうひとつは公募でなければいけないという、二つの前提条件があります。この条件の下で「人が人を選ぶ」という原点に戻るための方策として、「人が人を推薦する」ことを一つの公募形式ととらえようと考えています。「この人は素晴らしい人だ」と周囲の人から推薦された1,000人ぐらいの候補者の中から、書類選考で40、50人に絞って、それぞれの構想を聞いて選考するというやり方を取ります。   

具体的には、5人のプログラムオフィサーが率いるアドバイザ・グループが、それぞれ40、50人の中から1人を選ぶ。つまり5人のプログラムオフィサーが、5人のリーダーを選ぶというかたちです。この仕組みの中で、その人の研究によって世界で新しい科学技術の潮流が起きうる、そういう可能性を秘めた人を選ぼうじゃないかと考えています。   

これからさらに諸先生のご意見を伺いながら、どのように制度を改革していけるのか、考えていかなければならないところです。

名馬を走らせる名伯楽を選び出す

●「人を選ぶ」というのは、具体的にどういうことでしょう。その人の何に着眼するのでしょうか。

 これまで西澤先生、林先生をはじめ、80名余りの方が、ERATOの研究リーダーに選ばれていますが、その方々に共通しているのは、広い視野で俯瞰(ふかん)して問題をとらえていることだと思います。鷹の目というか、自分の構想についての見通しがよくて、既存の専門分野を超えて、はるか遠くまではっきりと見えている。そういう方は必ずしもアカデミズムの世界にだけいるのではなく、時には民間にもおられる。そこを分け隔てなく選んできたことも特徴的だと思います。

西澤 あの当時、私は「目利き」という言葉を使いました。もしかすると日本で初めてかもしれません(笑)。人が人を選ぶためには、目利きが必要なんです。

図1

図1 ERATOが変えた日本の研究システム(出典:
     科学技術振興機構「ERATO-25周年記念誌」)

 千葉玄彌さんは、まさにそういう方でしたね。

 千葉さんの言葉を借りれば、研究プロジェクトというのは「名伯楽と千里を走る名馬」によって初めて成立する。研究リーダーはいわば「名伯楽」でなければならない。千里を走る若い研究者を、全国から、さらには海外から集められる力を持っている名伯楽を選び出し、存分に力を発揮できる権限をその方に与えるということをERATOは目指してきたし、実際にやってきたわけです。

西澤 しかし、名馬は常にあれど、名伯楽は常にはない。名馬だけあってもしようがないところがありますから、名伯楽を見つけるために、プログラムディレクターは常に精度の高いアンテナを張っておかないといけないし、独創的な人を選ぶための難しい選択ができなければならない。「名伯楽を選ぶ名伯楽」でなければならないわけです。

ところが日本ではそこが極めてイージー・ゴーイングで、どこかで年功序列だったり、出身大学だったり…。自分の目で人を選ぼうとしない。「競争」というからには、そんな甘い考え方でやっていたらだめです。

 やはり独自のモデルをはっきりと持って、科学技術を見ている方を選ばなければ意味がありません。実際、「この人が有望だ」と推薦された方々にお会いしてきましたが、年齢も出身も関係ないです。

 ただどうしても、その方が持っている素晴らしい力を、選んだ人は確信を持って見ているけれど、ほかの人から見ても分からないというところは常にあるわけで…。

西澤 一人ひとりの物差しは違って当たり前なんです。その上で「自分の物差しはこう」「あの人の物差しはこう」と、お互いに尊重しあって、ときには徹底的に議論もするということが、正当な評価を生き返らせると思うんですね。完全には理解できなくても、おぼろげながらつかんでいるということが必要です。

ところが日本人というのは「自分の物差し」を持っていない。狭い専門分野の切れ切れの知識で、それぞれ好き勝手な方向から見ようとするから、システマティックな評価基準にならない。だから委員会方式が機能しないんです。結局、自分たちで自信をもって判断できないから、外国人に聞きに行きたがるし、海外での評価が逆輸入されたりする。ずっと言われていることですが、この習性はなかなか直らないですね。

「人を選ぶ」ことでしかできないすごい研究とは

 7、8年前に、英国ケンブリッジのキャヴェンディッシュ研究所*4を訪問したときに聞いた話ですが、キャヴェンディッシュ研究所では、教授は一つの部門に1人しかいない。その1人をどうやって選ぶのかと質問したところ、教授がもう自分は引退したいと言ったら、その分野はピークを超えたと見なす、後継者うんぬんという話は一切なしだという。理事会で「われわれは次に、どういう分野を切り開くべきか」という議論をして、新しい分野を一つ選ぶ。当然、人は新しく探してこなければならない。そこで教授陣が、自分たちの専門ではないその分野の動向を一生懸命調べて任せたい人のリストを作り、トップにある先生から順番に招聘(しょうへい)状を出して、この新部門の教授を引き受けてくれないかと声をかけて面接をする。1番目の人が駄目なら2番目の先生といった具合に順に当たって、合意した時点でその人にお任せするのだそうです。             

西澤 キャヴェンディッシュ研究所の歴代の所長の中でも、ブラッグ・ジュニア*5の采配(さいはい)は特にすごいです。所長になったときに、「今後、原子核の研究は一切やめる」と宣言した。その代わり、これからのテーマとして電波天文学、生体物理学、宇宙線の3分野を掲げた。これに対して、「何というくだらない所長が来たか」と、米国から留学していた人たちがみんな帰国しちゃった。しかし今になってみれば、実に素晴らしい選択だったと思います。新たな分野からノーベル賞受賞者がたくさん出ました。つまり、流行のテーマをさっさと切り捨てて、将来を見通したテーマを優先するということをやっているんです。             

そのころ、すでに米国ではローレンスがサイクロトロンを作り始めていた。原子核物理がビッグサイエンス化し始めていたんです。そういう状況を見て、ブラッグは判断している。「お金じゃ、米国にかなわない」と思っているから、勝算のないことはさっさとやめて大胆な舵取りをやるわけですね。ブラッグを見限って米国に帰国しちゃった人が、後から「あんなバカなことして、自分の愚劣さにほとほとあきれる」といったことを書いています。その時は分からなかったけれど、後になってみてようやく分かる凄さというのは、本物です。             

 まさに「人を選ぶ」ことでしかできない凄さですね。             

西澤 ウィリアム・トムソン*6がグラスゴー大学の教授になったときは、22歳ですよ。しかもそのころの教授というのは、学科に1人なんですよ。年功序列の正反対で、すごい新人を連れてきて、40歳、50歳の部下を束ねさせる。そういう冒険を絶えず試みている。これが英国の典型的なやり方です。人を選ぶことにかけては、やはり英国人が一番うまいと思います。             

 結局、研究の自由があるということです。中世のキリスト教支配の時代にさかのぼって、ローマの権力に屈しないという、ロジャー・ベーコン以来の自由の伝統を英国は持っていますからね。             

西澤 英国の研究者に、「英国人はどうして人の選び方がうまいんだ」と聞いたら、しばらく考え込んでやおら言うには、「けちくさくて、しつこいから」だと(笑)。             

英国人は、他人に言われてあの人はすごいなんて絶対に思わない。全部、自分で確認する。例えば、「あの人はあのときこういうことを言った」ということをしつこく覚えていて、何年か経ってその通りになると、「ああ、この人は見通しが立っているんだな」「言うだけじゃなくて、きちんとやれる人なんだな」と初めて信用する。それも1、2回じゃだめで、10回も続くと初めて「あの人は信用できる」と思う。そういう人のリストを個人個人でみんな持っているんですよ。で、いざというときに「じゃあこの人でいこう」というのが出てくる。そういう「人を選ぶ評価能力」が身に付いています。             

 英国ではパトロン制度がまだ生きていて、教授の生活費は政財界の重鎮や学界OBの有志が手を挙げて、一切面倒みる。研究費も生活費も心配なしに、世界一流の研究をやってもらうための仕組みが確立しているんですね。             

アカデミック・ドネーションの制度化が必要

●国の研究資金も重要ですが、英国や米国をみると、やはり日本の大学には、自分たちの采配で使える研究資金がもっと必要ですね。             

写真1

西澤潤一:東北大学教授、同・総長、
     岩手県立大学学長などを歴任の後、
     現職。半導体工学の第一人者、「ミ
     スター半導体」として世界に知られる。
     ERATOでは、西澤完全結晶プロジェ
     クト(1981-1986)総括責任者、西澤テ
     ラヘルツプロジェクト(1986-1991)総括
     責任者を務める。

 日本の大学は、私立も公立も含めて、極言すると、資産を持っていない。大きなプロジェクトを起こすだけの、お金を持っていないんです。米国の大学などでは、例えば100億円、200億円の予算をかけて研究所をつくりたいと言えば、1人で50億、60億をポンと寄附しちゃう人がいる。ところが日本で寄附を集めるといっても、なかなか集まらない。それには税制の問題も絡むんですね。             

よく、日本の企業は米国の大学には寄附をするのに、日本の大学になぜ寄附しないんだと文句を言われますが、税制の違いが大きいんです。例えば、米国の現地法人で稼いだお金からアカデミック・ドネーションを1億円したとしますと、その2倍の金額が経費として落とせます。つまり、1億円の寄附に対して、仮に法人税40%とすると、2億円の40%と換算して8,000万円分の税金が控除される。つまり企業からしてみれば、1億円のうち実質的な負担分は2,000万円で、残り8,000万円は税金控除分という感覚です。この効果は大きいです。             

ところが、日本で先生に1億円寄附しようと思ったら大変です。税務署が、それをアカデミック・ドネーションと認めてくれない。先生にお金を出すからには、優秀な生徒を紹介していただくとか、研究成果を早めに教えていただくとか、先生が企業に何かアドバイスをするとか、何かしら見返りを期待しているんだろうとみられてしまう。「そういうのは寄附とは言わない、それは交際費だ」というのが税務署の言い分です。交際費になると、税率は50%を超えてしまいますから、1億円寄附するには、逆に1億円に税金分をプラスして負担しないといけない。それならまだ法人税40%払ったほうがいいということになります。日本ではアカデミック・ドネーションを奨励する税制にまったくなっていないということです。             

 確かに私も経験があります。最新の装置を3つも4つも製造したけれど、売れない。それをおしゃかにしてもしょうがないから、大学に寄附しますと言うと、日本ではだめなんですね。税務署は、「この装置の市場価格はいくらなんだ」って聞いてきて、それに税金かけてくる。「あなたのところはそれだけ利益が出たから、こういうことができるんでしょう。だからそれは利益なんだ」という話になるんですよ。             

 科学技術を国という単位で考えるのであれば、そういう制度の見直しも含めて、科学技術基本計画の中に入れないと話になりません。             

 しかしそれは中国よりも遅れていますね。             

いかにして島国根性を脱するか
写真2

林 主税:日本真空技術(株)(現アル
    バック)を設立、社長、会長、最高顧
     問を経て現職。応用物理学会副会
     長、北京科学技術大学名誉教授、
     科学技術会議専門委員などを歴任。
     ERATOでは、林超微粒子プロジェクト
     (1981-1986)総括責任者を務める。

西澤 今の日本人には歴史に学ぼうとする姿勢がなさすぎます。懐古主義になるということではなくて、自分たちがたどってきた経緯をきちんと見直して、これからを考えることが必要だと思います。日本人、もっと広くみればアジア人は、欧米崇拝主義の中でプライドをなくしているのです。もっと自分たちの歴史を見直して、プライドを持たないと。             

歴史を振り返っても、日本人は世界に先駆けたアイデアをたくさん出している。例えば、原子炉の研究だって、大連の旅順科学技術大学にいた彦坂忠義という人が、「原子炉っていうのはできるはずだ」という論文を世界に先駆けてちゃんと書いています。東北大学にそのテーマで学位申請しています。ところが審査でうろうろしているうちに空襲で焼けちゃった。             

戦争末期でしたから出版もできず、結局オーソライズされることがありませんでした。そういうとき欧米の学界だったら、みんなで「彦坂先生が確かにやっていた」と海外に向けて声を上げるのですが、日本人は絶対にそれをやらないのですね。             

そんな例はまだいくらでもあります。日本人っていうのは不思議な民族、「自分の国の誰かが何かをやった」ということに対して、ものすごく遠慮深い。遠慮深いと言えば聞こえはいいが、結局は足を引っ張り合っている。どうしてそうなるのか分からないですね。             

 封建的ですな。私の同級生の大沢文夫さん(名古屋大学名誉教授)が、1954年にある論文を出したのですが、ずっと世界で認められていなかったのが、つい2年くらい前に米国で「こういうことをやった人がいる」という話がワッと広がったのです。私にも同じような体験があって、米国で1955年ごろにある研究について講演しましたが、それがつい2年前に別の米国の研究者から「昔、こういうことをやった人がいる」という話をされて、「それは私だ」って…(笑)。             

 日本いじめというのもありますね。単に知らないからだけでもなくて、知っていても知らんふりされたり…。             

写真3

森 健一:東京理科大学MOT大学院
     教授。(株)東芝 総合研究所 取締役
     パーソナル情報機器事業本部長、東
     芝テック(株)取締役社長などを経て
     現職。郵便番号自動読取装置や日本
     語ワープロの先駆的開発者としても
     知られる。現在、ERATOのプログラム
     ディレクターを務める。

 やっぱり向こうには、自分たちがサイエンスやエンジニアリングについては先輩だというプライドがありますから。             

●欧米が上だという序列がやはり厳然としてあるわけですね。             

 ありますね。英国、米国、それから、フランス、ドイツ、イタリア、そこから下がって、ようやくその後ろくらいに、イスラエルと日本がいるという、そういう世界観のベースでわれわれは見られているし、いろいろな判断もされている。ここを変えるのはなかなか難しいですよ。産業界だって、グローバル化とか言ったところで、欧米の企業は相変わらずそんなふうに日本やアジアを見ているわけです。             

私のところで開発した技術が、長い間、欧米の企業から全然買ってもらえませんでした。それをようやくIBMが買ってくれて、そのときにIBMのシニアエンジニアに「日本にはバイアスがかかっているということを、よく考えなきゃいけないんだよ」と言われて、改めて壁の存在を痛感しましたね。  

西澤 そういう中で、日本やアジアはよほどうまくやらないとだめなのです。日本からイノベーティブなものを積極的に出していかなければ、もはや日本の工業も経済も成立しない。なおのこと日本人同士が協力して、戦略的にアピールしていかなくてはならないのに、むしろたたきつぶしに回るわけですからね。このいじめの構造は、日本人全体の社会心理学的な問題じゃないですか。             

 基礎的な研究をした人がいたら、それをみんなで守ってやろうという気持ちがもっとあっていいはずなのに…。私なんかも、こっちは基本特許1つで一生懸命やっているのに、大企業が「その特許いいね。それを使った装置を買うよ」と寄ってくる。ところが逆に、周辺特許をバーッと取られてしまって、商品化のところを全部持っていかれる。200くらいも特許を押さえられたのもありました。弱い者いじめです。そういう日本の島国根性的なところは早く消してほしいなと思います。             

●それはなかなか、なくなっていかないものですか。             

 外国にどんどん出ていって海外の一流の人たちと付き合っていれば、だんだんなくなるでしょう。おのずから「オレたち島国根性だな」ということが痛いほど分かると思うのですけれどね。             

ロマンこそ創造力の源泉

西澤 日本人は今、ロマンをなくしています。ロマンが創造の源泉だということが理解できていないから、科学技術というものが日本の経済に非常に大きな影響力を持つということも、本当の意味で分かっているわけじゃない。             

 今の世の中、ロマンなんて現実離れしたものは、描いたらいけないかのように思われている気がしますが、それはおかしい。創造の芽を摘むことになりますよね。             

 まったくその通りですね。             

 ロマンに向けて自由に羽を伸ばしつつ、もちろん一方で、それを支持させるだけの説得力もないと駄目です。そのことが、どう社会に貢献するのか、そのための議論は大いにやるべしですね。             

最近ちょっと心配なのは、研究現場での議論があまり活発じゃなくなっているような気がすることです。昔はね…って、そんな年でもないのにすぐ「昔はね」と言ってしまうのですが(笑)、もっと議論が活発だったように思います。ところが最近では、大学でもどこでも、一人ひとりが間仕切りの中にこもってしまっている。あちこちで立ち話の輪ができて、口角に泡を飛ばして議論しているという場面に、あまりぶつからない。これはどうしたことかなと。             

言葉でお互いに刺激し合うというのは、アイデアを発展させるうえで最も重要なことじゃないかと思います。独りでじっと考えてどんどんアイデアが出てくるのは、天才の方だけでしょう。             

 これは本当の昔話ですが(笑)、私の恩師は、長岡半太郎先生*7の息子さんの嵯峨根遼吉先生*8です。この一家の持っている議論の風土というのは凄かった。戦後すぐのころ、長岡先生のお宅に研究室一同で引っ越しの手伝いに行ったことがありました。そこで驚いたのは、長岡先生と息子さんたちが、みんなでわいわいと議論しているのですが、それがまったく上下関係も何もなくて、「おれ」「おまえ」なのですよ。親子で「おれが」「おまえが」って…(笑)。             

あるとき物理学者の会合で長岡先生が講演したところ、息子の嵯峨根先生がやおら立ち上がって、「親父が今言ったことは、あれは間違いだから」とか言っちゃう(笑)。こういう自由闊達(かったつ)な雰囲気というのは、おそらく長岡先生はケンブリッジ大学で習ってきたからだろうと思います。             

西澤 私は一度だけ長岡先生を見たことがあります。電気学会の招待講演で、京都大学の学長さんが「原子力の近況」について話されましたが、一番前の席に座っていた、寒い日なものだから着ぶくれしたじいさんが、講演が終わった途端にやおら手を挙げて立ち上がった。「あんた、こんなくだらん話して恥ずかしいと思わんか。帝国大学の総長ともあろうものが、こんな話をするのはもってのほかだ」と(笑)。後で聞いたら、それが長岡先生でした。             

 楽しい人でした。             

西澤 内容的にもぐっとくることを言っておられる。すごい人です。             

イノベーションと基礎研究では話の次元が違う

西澤 よく火薬・印刷術・羅針盤が中国の三大発明だといわれますけれど、そういう西洋かぶれ的な言い方はみっともないからやめたらどうかと思います。例えば、中国の神話に三皇五帝というのが出てきますが、三皇の1人である神農は、そこら辺に生えている植物を抜いてきて、なめて、毒と薬と食用に区別をして、人民に知らしめた。これに対して、黄帝というのは、動物の方をやったとされているようですね。             

そう考えてみると、アジアの科学のルーツはバイオなんです。バイオに関しては、アジアは歴史的にはるかに西洋に負けないものを持っていた。そんなことをもうちょっと自覚してみる必要があるのではと思います。             

写真4

司会進行・本文構成:田柳 恵美子
     サイエンス&リサーチコミュニケー
     ションスペシャリスト/本誌編集委
     員)

 これから日本やアジアが、生物学や遺伝子科学で欧米に渡り合っていくとなると、やっぱり哲学から独自に考えて出ていかなくてはなりませんし、そういう歴史のルーツにもさかのぼって考えなければならない話になってくるでしょうね。             

西澤 結局、日本は資源がまったくない国ですから、財産といえば知財しかない。だから、自分たちの国を戦争しないで守ろうと思ったら、知財で頑張るしかないのです。             

●そのわりに、「第2期科学技術立国論」の議論が、あまりきちんとやられていない…。             

 そこは本当に議論が必要なところですね。政府がイノベーションなんて言い出すと、基礎研究も近視眼的になって4、5年の成果をすぐにとやかく言い出す。でも基礎研究の歴史を見ても、本当に新しいことに挑戦するときは、前史がものすごく長くて苦闘の連続です。いくら見通しのいいビジョンを持っていても、3年や5年でそれをやれというのは無理です。             

 私は「イノベーション」という言葉を、基礎研究を語る時に使うのはどうも違うなと思っています。イノベーションというのは、ほとんど確立された科学技術が一方にあって、それをどう産業技術の変革につなげていくかという話であって、そもそもの創造的な基礎研究を起こしていくこととはちょっと違う次元の話だと思います。             

 そうですね。応用開発であれば、4、5年とか多少無理だと思うくらいの期限で切っておくと、何とか必死で頑張ってできるということもある。しかし、基礎研究をそれでやってはいけない。             

西澤 日本はどこが強いんだといったときに、「絶対ここは大丈夫だ」とか、「ここは絶対だめだ」なんていうものは1つもないと思います。どれもみんな改良していけば十分見込みがあるだろうし、逆に改良しないままずるずるやっていたら、みんなつぶれる。選択と集中とか言っていますが、極端に走るばかりではなくて、20世紀の蓄積を絶えず改良していく努力が必要です。そこのところが、これからの「第2期科学技術立国」に向けた重要なところじゃないかと思います。             

過去の研究開発投資の実績を徹底的に分析してみる

●最後に、新春らしく今後に向けたビジョンや抱負をお願いします。             

 私は若い人たちに大いに期待しています。今の日本には、30代にも自分の構想をきちっと持った優秀なリーダーが結構おられて、日本のたくましさを感じます。そういう若い才能ある人たちを見いだすための仕組み、その人たちが大きな成果を上げられるような仕組みを整えていかなければいけないと思っています。

ただ同じ若い人でも、企業の研究者とか技術者が何となく元気がないような気がします。もう少し元気があったほうがいいですね。ちょっとスケールが小さくなってきているような気がします。今の若い人に、「森さんの時代はよかった」とよく言われます。彼らからみると、昔はもっと自由だったように見えるのでしょう。でも「時代がよかった」というのは言い訳であって、自分で好きなことを見つけていないから、研究に情熱も持てないし、そのために何としても上を説得しようという気迫も出ないのではないか。私だって、上の人からやれと言われたことだけをやっているのではつまらないから、自分なりに好きなことを考え出してやっていたわけで、別に時代がそうだったからということではない。だから若い人たちには、「これをやることが日本社会、世界の人類に対して、これだけ貢献するんだ」と、大見えが切れるようなことを考えてみたらどうだと、いつも言っています。             

 それは重要ですよね。それで上の人が認めなかったら、「おれ、辞めていい?」って言えばいいんですよ。             

 そうです。             

 私も若い人たちには、大いにプライドを持って、お金を取るための競争じゃなくて、自分と競争してほしい。国際競争してほしい。それが私の希望です。そこでは日本にはちょっとした遅れがあるとか、そういうマイナスな意識は一切消したほうがいいです。             

西澤 私は創造的な研究をこれからもっと発展させていくには、ビジョンに先立つものとして過去に学ぶことが必要だということを、改めて強調しておきたいです。             

もっと具体的に言えば、これまでの研究開発投資について、過去の実績からどれくらいの効果があったかということを、もう一度見直してみるべきじゃないでしょうか。先を見通すときには、どうしたって過去を勉強する以外にない。例えば、文部科学省の倉庫にも古い報告書が山積みしてありますが、これらを徹底的に読み直してみるとか…。最新のものを評価するのは限られた人間にしかできませんが、少し時間が経った過去のものであれば、意外と楽に評価ができるようになっているはずです。「あの先生の仕事は、なかなか先見性に富んでいたな」とか、「評価者の人はあまり高い評価をしていないけれど、あの当時はまだよく分からなかったんだな」とか、改めて整理ができてくるはずで、そういう地道な作業からもう一度出直す必要があるのではと思っています。             

ほかに方法があればいいのですが、今のところ過去のデータを見るのがいちばん信用のおける方法だと思われるので、その中から審査側の審査能力の良き在り方や、研究者の創造的な企画力の特徴などを抽出して、これからの審査に活かしていく。そして過去の成功例に照らして、可能性がありそうな人にはなるべく支援をしていくという方向をとっていったらどうかと思います。             

●大きな歴史の流れの中で、プライドやロマンを持って科学技術の理念の見直しをする一方で、過去の経験に学び改良を積み重ねるという地道な努力も大切だということですね。             

西澤 そして第2期目の科学技術立国論に、この年をつないでいくことができればいいなと思います。             

●本日は長い時間、どうもありがとうございました。             

                         
●司会進行・本文構成: 田柳 恵美子(サイエンス&リサーチコミュニケーションスペシャリスト、本誌編集委員)

*1
「創造科学技術推進事業(通称ERATO)」は1981(昭和56)年に発足、その後2002(平成14)年より「戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究」として新たにスタートした。その目的は当初より、国の戦略目標の達成に向けた基礎研究の担い手として、科学技術の芽を積極的に生み出すこととされている。卓越した洞察力、指導力を持った研究者がリーダー役である研究総括を務め、全国あるいは世界から第一線で活躍している優れた才能を結集し、科学技術版「ドリームチーム」を結成することにより、国際的にも高いインパクトを持つ成果を生み出してきた。
「戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究/創造科学技術推進事業」ホームページhttp://www.jst.go.jp/erato/index-j.html

*2
千葉玄彌氏は、1980年、特殊法人新技術開発事業団企画部長を経て、1982年、同・創造科学技術推進事業室長に着任、ERATO事業の構想から創設、初期の運営を牽引してきた。ERATO事業のスタート当初のエピソードについては、本誌2006年3月号、藤川昇「産学官連携の変遷と展開-新技術開発事業団を題材として-」に詳しい。

*3
プログラムオフィサー(研究課題管理者)は、研究支援制度の個々のプログラムや研究分野において、課題の選定、評価、フォローアップ等の実務を行う責任者。プログラムディレクターは、より上位の責任者としてこれらの競争的研究資金制度と運用の統括にあたる。

*4キャヴェンディッシュ研究所
1871年、物理学者ヘンリー・キャヴェンディッシュを記念してケンブリッジ大学内に創設された。核物理学、量子力学、分子生物学などの創成に貢献し、世界で最も多くのノーベル賞受賞者を輩出している。

*5ウイリアム・ローレンス・ブラッグ
1915年、父のウイリアム・ヘンリー・ブラッグとともに結晶構造のX線解析の理論により、ノーベル物理学賞を受賞。1938年、キャヴェンディッシュ研究所所長に着任した。

*6
のちのケルビン卿。1845年ケンブリッジ大学を卒業、1846年グラスゴー大学教授となり、英国の大学で最初の物理学実験室を作った。熱力学の確立に貢献した1人として知られる。

*7長岡半太郎
大村藩の藩校・五教館、共立学校(現・開成高校)から帝国大学理科大学(現・東京大学)に進む。初代大阪帝国大学総長。土星型原子モデルを提唱したことで知られる。八男一女の父で、長男・治男は元理化学研究所理事長、次男・正男は元日本光学工業社長、四男・順吉は元東京水産大学教授、五男・(嵯峨根)遼吉は実験物理学者。

*8嵯峨根遼吉
実験物理学者。長岡半太郎の五男として生まれ、嵯峨根家の養子となった。英国、米国に留学の後、理化学研究所、東京大学教授、原子力研究所副理事長、日本原子力発電副社長などを歴任。戦後日本の学術研究体制の整備、日本学術会議の創設に尽力した。1945年 長崎に2発目の原爆が投下されたとき、パラシュートで短波通信機とともに一通の手紙が落とされた。その手紙は嵯峨根がE.D.ローレンス(サイクロトロンの発明者)のもとに留学していたときの同僚研究者3人から嵯峨根に宛てたもので、戦争をやめるようにとの要請であった。3人のうちの1人アルバレーは父とともに超一流の学者で、1968年にノーベル物理学賞を受賞した。