2007年2月号
インタビュー
日本を知財立国世界一へと推進
-荒井 寿光氏に聞く-
顔写真

荒井 寿光 Profile
(あらい・ひさみつ)

知財評論家/財団法人
機械産業記念事業財団 参与


聞き手・本文構成:江原 秀敏 Profile

(本誌 編集委員長)



日本を世界一の知財立国にするためのリーダーシップをとってこられた前知的財産戦略推進事務局長に知的財産戦略について聞く。

知的財産戦略推進事務局の始まり

●荒井さんは知財戦略の諸葛孔明ではないかと思っています。

それは、何かといいますと、手のひらで軍事を操るかのように先が見えているということです。 10年後には知財で世界一になると。これを達成しなければ、首を切ると。100の提言、4つの視点、7つの戦略だという。やっぱりこれは諸葛孔明かなと。これは小泉さんの時代だからそうなったのか、それとも荒井事務局長のキャラクターですか? 昇竜の時を得て、表舞台に立たれたということでしょうか。

荒井 特許庁長官時代を終えて、しばらくした2001年に理研の研究者が米国で産業スパイ容疑で捕まったり、中村修二さんが青色LEDの職務発明の裁判を起こしました。当時は、ものすごい構造不況で、日本はどんどん奈落の底に落ちていました。でも待ってほしい。日本には1億2,000万人の優れた人材がいる。もう一度原点に戻ろうというので、知的財産国家戦略フォーラムというボランティア団体をつくりました。これは一人で考えたってしようがない。法律家だけではなくて理科系の学者とか、TLOの社長とか、企業経営者とか、マスコミの人とか、幅広く集まってもらって、日本再生の一つの切り口として有効な産学連携の進め方、それと知財戦略を立てました。

日本は今から100年前は世界の中でも中進国か、あるいはもっと低いレベルの発展途上国だったのが、「坂の上の雲」を見つめ、一流国の仲間入りをして、その後、戦争でゼロになって、もう一度短期間のうちに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれる世界一の工業国家になったわけです。こういう歴史的にすごいことを短期間でやったんだから、もう一度根性を入れかえて、体制をつくり直してやればできるという目で見たわけです。

日本を世界一の知財立国へ

●日本人のありさまを見てきた中で、10年でやれるぞと、今のこの時期だったら3・3・3の3期で、10年でやれるはずだというふうに気合をかけたという話ですか。

荒井 今はドッグイヤーと言われるように、昔に比べて技術も社会も進歩のスピードが速い。会社はマイクロソフトだって短期間に大きくなったし、グーグルだって、あっという間に世界一になったわけです。従って、日本も気合を入れたら、あっという間に世界一になれると思います。それは、国も企業も同じだから、10年でやろうという目標を立てました。

●他の誰も、こういう10年という発想はしないと思うんですけどね。

荒井 まずゴール設定をしようではないかと考えました。逆に言うと、今まではこういう産学連携の話や知的財産の話は積み上げの方式できました。こつこつ積み上げが大事という。もちろん積み上げは大事です。100里の道も一歩からだから。だけど、100里の先はどこかというのをはっきりさせてない限り、一歩を歩いても気合が入らない。50年後、100年後のことは誰もわからないし、そんなころには世界の様子がすっかり変わっているから、やるなら10年。3年では無理だなということで、僕は10年後の2010年をゴールにすると言ったわけです。

しかし本当に2010年にできるか。過去の日本や米国や、英国の産業革命の歴史、最近だと企業の歴史、例えばIBMの歴史、マイクロソフト、日本でいえばソニー、そういう歴史からいって、どのぐらいでできるだろうかということを大ざっぱですけど検証してみたわけです。そうすると、これはやる気になれば10年でできる。10年でできなければずっとできない。そういうものだということを、一応検証したんです。

●その検証というのは、どんなもんなんですか。外部に依頼したのですか。

荒井 いや、自分たちでやりました。

●そのフォーラムで検証したんですか。

荒井 そうです。具体的に工程表をつくってみました。10年年表の工程表をあの『知財立国』の本に入れました。1期でやること、2期でやること、3期でやることの工程を分けてみました。1年目、2年目、3年目に具体的に何をするか、書いてみて、これならいけるのではないかと思いました。同時にそれに必要な社会コストとして、法律改正が要る、予算が要る、人員はこのくらい動員をしなければいけないというようなことを組み合わせして、できるのではないかと思いました。例えば、ロースクールもつくれば卒業生が出てくるまでに何年かかるかわかる。そうすると、そういう人たちが社会に出て、数年すれば一人前になると考える。そういうことからすると、2010年に知財人材は足りるかを検証する。科学技術基本計画は第1期と第2期が過ぎ、第3期に入っていくので、科学技術はどのように振興されるか考える。多分第4期、第5期と続くとすればどうなるか予想する。そういうのを考慮に入れて、大ざっぱですけれども検証をした。これは、あまり厳密に検証しようがない。だけど、あとは意思の問題だというので、はっきりさせたのが世界一の知財立国を目指すという目標を立てることが必要ということ。10年で実現しようということを明確にする。そこから今度は逆算して、毎年どういうことをやっていくかの計画を立てる。

●そのように説明されると合理的に聞こえますが、外から見ると一連の動きは神秘的に見えます。

荒井 当然こういうものはそうしないと実現しないぞ、気合だと思ってやりました。プロジェクトマネジメント学会というのがあります。日本の道路とか、通信とか、日本のプロジェクトは非常に無駄が多いと言われる。いわばハードのプロジェクトを合理的にするということを研究するプロジェクトマネジメント学会というのがあって、そこの人が知財戦略のことを聞きつけてきて、これは非常に面白い、日本では初めての社会システムのプロジェクトマネジメントだといって褒めてくれました。

●あるところまでやって、あとは実行だよ、ゴールはこうだと、やらなければ駄目だというふうなことで、これはちょっとどう考えてもイメージとしては官僚っぽくない。どちらかというと、政治・戦略家、諸葛孔明型の規律が取れて、しかも神秘的な軍事戦略を見るようなイメージを抱きます。

荒井 当時の切迫感が背景にあります。2001年のころは、構造不況で、どこの銀行がつぶれるとか、設備過剰で工場閉鎖しろとか、人員カットしろとか、借金はまけろとか、言っていました。日本は世界の格付けランキングで1980年代は世界1位だったものが10年の間に30位になってしまい、このままでいくとお先真っ暗だと思われていた。そういう切迫感がありました。あのときは悲観的要素しかなかったです。

少し具体的にお話ししましょう。私が特許庁長官になったのは1996年です。自分は日本人がいい発明をし、実用化を進めるのが特許制度だと思っていたのですが、特許は「特に許す」と思われていて、やたらに細かい手続きミスや、書きミスを見つけて、その特許出願を「拒絶」する。これは、本来の特許の考え方と違うのではないかと思いました。審査にも時間がかかる、企業は出願から10年後に特許が成立してもかまわないという。その時点で発明者はもうその会社にいなくなっているかもしれません。これでは、おかしいと思いました。

それからもう一つ、当時は第1期科学技術基本計画の時でした。しかし同計画策定の議論の中で、特許は全く話されていない。第1期の5年間で、17兆円の税金を入れると言っておきながら、その成果を国民に還元する、経済、社会の発展に役立てるという観点が非常に少ない。その象徴が、特許の議論なしということで、私はショックを受けました。知的活動の成果をどのように保護し、どのように実用化して社会に役立てるかという配慮が足りません。日本の知の富を蓄えるなら、富が富を生む、知的なものが、さらにまた次の知的なものを生む社会にしなければいけない、と考えつつ、長官時代を終えました。

それから3年後、知的財産国家戦略フォーラムをつくり日本再生の一つの切り口として知財戦略を考えたわけです。そこで工程表をつくり、10年後のゴールを『知財立国』という本にしました。

こういう行動を私が取った理由は先ほど申し上げましたように当時の切迫感です。これを立て直すのは日本人の能力しかない。勤勉プラス創造性、大学に頑張ってもらい、産業界も頑張る、つまり産学連携その他により発明、創作を活発にしてこの危機を突破しようという切迫感がありました。大学で言うなら、大学には人的資源があります。彼らに頑張っていただき知的財産の創造や活用でも役に立っていただきたいと考えました。産学連携を生かすのも知的財産戦略次第なのです。そのうち、内閣の知的財産戦略本部の事務局長を引き受けました。

●荒井さんは知財高裁の設立とか、特許審査を劇的に早めるといった柱を知的財産戦略本部の第1期でしなくてはならないというご信念をお持ちだったのですね。

荒井 そうです。知的創造サイクルを考えて、創造と保護と活用、これを早く大きく回そうと考えました。これは一番の基本的なポイントです。特許になったら実用化を早くやる、そうすると、社会の発展にも良い。実社会で実用化すると、社会からいろいろなデータが集まり学問の進歩に寄与する。「産業は学問の道場なり」と言われます。

第2期に入った知財立国への道

●第1期3年間で知的高裁の設立、知的創造サイクルの期間短縮は見事達成されました。第2期の2008年まではどういう指標を考えられていますか。

荒井 指標は情報化と国際化です。研究自身がコンピューターの発展によって変わっていくと思います。インターネットの普及で、世界中の情報が簡単に低コストで入手できる、これは知財の保護という意味でもいろんな影響が出てきましょう。論文と特許データベースを一体化すれば、国際競争に勝てる情報入手ができると信じています。

二つ目は国際化で、企業自身が国際競争に勝つ必要が出てきます。研究も国際化し、産学共同研究が進みます。大学間の国際競争が始まります。研究者が世界的な成果を上げるか、あるいはそれが実用化で世界的に役に立つか、そこにはすべて国際化という観点がでてきます。 そうしたときに、残念ながら今の知財制度は国内制度的なものです。世界特許制度を作る必要があります。それから、情報共有の国際化です。

今は工業社会から知識社会に変わるプロセスです。知識社会のルールに変わるときだからこそ、日本は知財立国で世界1位になれると考えています。

今後の抱負

●荒井さんはちょうど知財立国を実現するための第2ステージというところで、事務局長を退任されました。最後に今後をお聞かせください。

荒井 私の思いは世界一の知財立国の目標を実現したいことです。世界一の研究をすることがあって、初めて、世界一の知財立国になれるのです。次は、その研究を世界一に役立てること、日本からいいベンチャーが生まれる、いい商品が生まれるよう進めることです。 そして、産学連携関係者の隅々にこの目標を浸透させるという「知財の風土改革」を起こすことです。これまでは制度改革でしたが、これからは風土改革であると思います。

ひとつ裏話をしますと、知財事務局発足当初、各方面から出向してきた若い人に会社や団体ではなく、自分自身の意見を言ってもらいましたら、大変前向きな新しいアイデアがたくさん出て、非常に面白いブレーンストーミングができました。これにより知財事務局の未来志向の風土ができました。

●今日は大変に興味深いお話をありがとうございました。

◎インタビューを終えて

江原 書かれた本の中で「僕は事務局長までさせられた」って書いてありますね。発案、プランニングだけじゃない、実行だけじゃない、最後は事務局長までさせられたと。事務局長の位置って重要ですよね。私も本業は事務局長です(笑い)。

荒井 ほんとそう思います。

江原 定着させられるかどうかは、事務局長にかかっている。

荒井 そう。それは事務局長をやってみて自分でわかりました。

江原 私は、ほんとに荒井さんを諸葛孔明だと思っています。やはり組織論をよくご存じだ。それなくして、革命はやっぱり継続できませんよね。

荒井 従来からの経緯の積み上げだけでやったって、そんなものは駄目です。むしろ若い人にいい意見を出してもらって、それをやろうじゃないかといって、事務局発足の最初の1カ月の新鮮な議論がものすごく面白かった。ブレーンストーミングばっかりやっていました。

江原 あれ、すごかったですね。しかし、私は非常に感銘しました。知財事務局の中が、要するに自分の良心に従って発言しろと、所属機関の利益を代表するな、国益を目指せということを職員に言われた。いやー、すごいことだなと思って。

荒井 僕は思い付きでやって、間違ったことをやると国家に申しわけないから、しょっちゅう外部の意見を聞いて点検しました。正しいかどうか、そしてできるかどうかは点検しないといけない。僕、もう一つ心掛けたのは、とにかく前倒しでやること。

江原 その雰囲気ありますね。常に前倒し。

荒井 普通のやり方だと、1年目は検討、2年目は準備、3年目から実行となる。こんなことをしているうちに情勢が変わる。とにかくいいことなら早くやろう、準備は後から、走ってから考えなさいと言っていました。

江原 それがすごいですね。ほんとに革命らしい革命ですね。