2008年4月号
特集  - キャリアパス多様化
早稲田大学
都心の地の利活かし、産業界、学会と連携
文部科学省の「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」に平成18年度採択された早稲田大学が目指すのはノンアカデミックのパス。若手研究者に産業技術分野で幅広く活躍してもらう環境を整備する。都心に立地する地の利を生かして多くの企業、学会と連携し、多彩な顔ぶれの行事を行っている。

理工系の博士号取得者等の高度な専門性を有する人材が、大学などの研究機関以外でその能力を活用する道を探るのが、文部科学省が取り組んできた「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」。若手研究者のキャリア選択に対する組織的な支援と環境整備を、大学などに委託している。採択された機関が、大学、企業、業界団体、学会、NPO(民間非営利団体)などのネットワーク形成と、それを背景とした人材と企業の交流、ガイダンス、研修などを行っている。

早稲田大学は平成18年度に採択され、中間評価で、広く普及させたい「特に優れた取り組み」とされた機関の1つである。

企業が博士に求めるのはマーケティング感覚

この事業の実施状況を詳しく見る前に、同大学が行った調査から興味深いものを紹介しよう。

図1

   図1 企業が博士号取得者の採用に求める
        スキル



表1 10年後学術機関で研究活動を継続するか

表1


図2

図2 学術機関以外のキャリアパス

まず、企業を対象にしたアンケート調査である。2,100社に送り、博士人材の採用に関心がある212社から有効回答を得た。

「博士号取得者を採用する際、求めるスキルは?」という質問では、12の選択肢のなかで一番多かった項目は「マーケティング感覚や社会的ニーズに敏感であるかどうか」だった(図1)。実に半分の企業が選択した。2番目は「留学などによる海外研究機関での活動実績があるかどうか」の9.3%だったから、博士号取得者といえどもマーケット感覚への要求がいかに強いかがわかる。

もうひとつはポスドクに対するヒアリング調査である。「10年後学術機関で研究活動を継続するか」という問いに対して、「研究活動を継続していると思う」と答えた人は20代でも約60%、30代では約80%だった(表1)。ポスドクのほとんどがアカデミックパスの継続を望んでいるわけである。

この傾向は「学術機関以外のキャリアパス」という質問にも表れている。ここでは、民間企業の研究開発職を検討している人が一番多かった(図2)。次いで、「学校等教育機関での教育職」。

また、「専門研究以外でのスキルニーズ」を問う質問では、「外国語コミュニケーションのスキル」への関心が極めて高いことがわかった。また「文書作成・プレゼンテーションスキル」も21世紀COE・学術振興会・特別研究員等を中心に高い。

幾つかの調査で浮き彫りになった問題点は何か。同大学の理工学術院理工学研究所ポスドク・キャリアセンター教授の西嶋昭生氏に聞いた。

「若手研究者は基礎研究で目覚ましい成果を挙げているが、将来のキャリアパスが見えない。キャリアパスの多様化には、産業界等の実社会で活躍することが求められているが、このためには、若手研究者の意識啓発、能力開発、産業界との交流促進やグローバル化への対応が欠かせない。また、博士号取得までに基礎能力や幅広い知識を身に付けておくことがぜひ必要で、大学院改革を避けて通れない」

目指すはノンアカデミック

同大学が環境を整備して促そうとしているのはノンアカデミックのパスである。産業技術分野などの多様な進路への関心をもってもらい、若手研究者が社会で幅広く活躍できる環境を整備することである。

事業の柱は「理系若手研究者の意識啓発」「若手研究者の能力開発」「産業界との交流促進」の3つである。

それぞれについて、セミナー、シンポジウム、講演、研修、ワークショップ、相談会などさまざまな行事が行われ、しかも、それらの講師、パネリストなどの顔ぶれが実に多彩なことに驚かされる。東京の大学であり、理工系学部・研究所のある大久保キャンパス(新宿区大久保)はJR山手線の高田馬場駅から歩いて十数分。こうした地の利も大きな武器になっているのだろうが、多くの企業、学会、機関と連携している。

例えば「産業界との交流促進」に関する事業の1つである「化学系ポスドクへの期待~21世紀を担うイノベーション人材~」と題したフォーラム。パネルディスカッションのパネリストとして同大学教授のほか、文部科学省、日本経済団体連合会、富士フイルム株式会社、理化学研究所(理研)からも参加。また、産業界への研究事例紹介として、同フォーラムの共催者にもなっている日本化学会、高分子学会、日本化学工業協会、産業技術総合研究所(産総研)、理化学研究所などから推薦された若手研究者15人ほどが、実用化が期待される研究成果についてプレゼンテーションした。

-各催しのプログラムなどで特徴的なことは?

西嶋氏 「キャリアパス多様化の話は1つの大学で対応できる課題ではない。そこで、産業界、学協会、他大学・研究機関に協力をお願いし、幅広い連携の下で各種イベント・研修等を推進することを心掛けた。また、学内の関連組織、具体的には研究推進部、理工学術院、各COE、女性研究者支援等とも連携し、できるだけ横断的・組織的に事業活動を推進した」

早稲田大学は都心にあることから、他大学や他機関の大学院生、ポスドクなど若手研究者が多数参加した。例えば、ロジカル・コミュニケーションのイベントでは86人の参加者のうち16人は他大学や企業の人で、フォーラム「化学系ポスドクへの期待」でも東京大学、理研、産総研から若手研究者が参加した。また、別の能力開発研修では過半数が学外からの参加になるケースもあった。

これらの催しは、首都圏で先導的な役割を果たしており、波及効果も大きいと考えられる。文部科学省の当該プログラムに参加していない大学、研究機関、学会などからの問い合わせ、訪問も多い。

【ポスドクの現状】
同大学の学生数は5万4,228人、大学院生は8,471人(いずれも平成19年5月)。理工系学部・大学院研究科は19年度から、「基幹理工学部・研究科」「創造理工学部・研究科」「先進理工学部・研究科」に再編した。理系のポスドク数は助手(3年の任期付き)を含めて約600人である。内訳は任期付きの助教、講師、准教授が計250人、理工系の助手(任期3年)が240人、その他、客員研究員など約100人である。

【これまでの取り組み】
従来、理系博士人材の就職支援は研究室単位で個別に行われていた。しかし、「キャリアパス多様化促進事業」に参加する前から、全学的な環境整備に向けて検討が始まっていた。平成18年10月、理工学術院総合研究所内にポスドク・キャリアセンターを設立した。理系若手人材が産業技術分野で活躍するためのシステム構築(環境整備)、および構築したシステムによるキャリアパス多様化を目指している。

低い知的財産学習への関心

課題も浮き彫りになった。多くのポスドクがアカデミックパスの継続を望んでいるという調査結果は、前に紹介した。「理系若手研究者の意識啓発」を、取り組みの3つの柱の1つにしているのはそのためだが、一朝一夕には進まない。研究者の関心が広がらないのである。

例えば、初年度の知的財産権にかんする講義とインターネットを利用した特許検索の技法を学ぶ「研究者のための知財研修」の4回シリーズ。それぞれ14~18人の参加者を見込んでいたが、各回5人にとどまった。研究室の知財管理、権利書類の扱い方を学ぶ研修会(2回シリーズ)も30~35人の予定に対し、それぞれ5人だった。

ただし、より一般的な知財研修では90人程度の参加があり、若手研究者も20人以上が参加した。

-若手研究者の関心が広がらないことをどうみるか。

西嶋氏 「環境整備が整っていないためと考える。若手研究者は産業ニーズに関心を持っているが、残念ながら産業界との交流の場がほとんどない。急に別の世界の話が飛び込んできても対応できていないのが現状かと思う。科学技術基本計画策定から10年間キャリアパス多様化に向けた国の施策がなされていなかったこと、大学では研究指導者の意識醸成が進んでいないこと、大学院改革の遅れも問題である」

成果

-とはいえ、学内では、キャリアパス多様化の事業に取り組んでよかったという声が多い。

西嶋氏 「今まで避けられがちであった若手研究者問題について学内で議論が始まったことは大きな成果だろう。一部とはいえ、若手研究者が目覚めたことの意義は大きい。数字で成果を表すのは難しいが、19年度は前年度より各種イベント等への参加者が格段に増えた。また、当該センターのホームページへのアクセス数が月4,000件を超えた。他大学等からの訪問や問い合わせが格段に増えている」

-日本を担う若手研究者をどう考えるか。

西嶋氏 「日本がいわゆるイギリス病になる中での自覚と自信を持つことが必要。これから必要な人材は産業人材ではなく高度産業人材、博士だ。産業人材はアジア諸国で次々と養成されている。海外では博士人材が世の中を動かしている。グローバル化の波が押し寄せており、日本の将来を担うのは博士人材が中心となるだろう」

展望

-まだ事業の途中だが、キャリアパス多様化へのこれまでの取り組みから見えてきたこと、キャリアパス多様化への展望について。

西嶋氏 「これまでに見えてきた課題は2つ。1つはポスドク等のすでに博士号を取得している方々のキャリアパス多様化で、意識改革、能力開発、産業界との交流促進を図るとともに、人材関連企業とも連携し人材流動化を進める予定だ。もうひとつの課題は、実社会で活躍できる博士養成。これについては理工学術院と連携して大学院改革の一環として推進する予定である。また、事業終了後もセンター機能(若手研究人材が実社会・フラット世界で活躍するための環境整備)を大学として一層強化し組織的・戦略的に取り組んでいくことが必要と思っている。科学技術の大競争時代を迎え、人口が減少するわが国において若手研究人材は極めて貴重な人的資源だ。わが国の持続的発展には、科学技術・産業におけるイノベーション創出を担う若手研究人材の養成が喫緊の課題となっており、これは大学のミッションと考える」

(本誌編集長:登坂 和洋)