2008年5月号
連載2  - 新しい技術者像を探る
工学系卒業生のキャリア形成(中)
技術者にとっての読書
顔写真

濱中 淳子 Profile
(はまなか・じゅんこ)

独立行政法人 大学入試センター
研究開発部 助教


読書は技術者にとってどんな意味があるのかを工学系卒業生たちへの調査から明らかにする。読書の所得向上効果があるのは、実は技術者。といっても専門書ではなく、歴史小説・ノンフィクション・ドキュメンタリーとビジネス書だという。

見えにくい読書の効果

「本を読みなさい」。子供のころにこう言われた人は多いはずである。では、そのように言われながらも、結局あまり本を読まなかったという人はどうか。少なくないのではないだろうか。かくいう私もその1人である。子供時代に読んだ本といえば江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズぐらいで、本を読み始めたのは大学に入ってから。しかも専門の授業で課題図書が与えられるという義務が課されるようになってからである。

読書が敬遠されるとすれば、そこには「興味が持てない」というのと同時に、「効果が見えにくい」という理由があるように思われる。本を読んだところで、何が変わるというのか。テレビの方が面白いし、手っ取り早く情報も得られるのに、なぜ、わざわざ本を読む必要があるのか。こうした疑問ゆえに、読書から遠のいている人は多いはずである。

連載2回目である今回は、こうした読書の意味を技術者の文脈のなかで考えてみることにしたい。一見、読書から遠いところにいるようにみえる技術者だが、彼/彼女らの読書行動とその効果を探ってみると、興味深い実態が浮かび上がってくる。以下、前回と同じく、工学系卒業生たちに実施した質問紙調査データの分析結果を提示していくことにしよう。

技術者たちは何を読んでいるのか

工学系の卒業生といえども、全員が技術者になっているわけではない。なかにはマネジメントや営業、人事の分野で活躍している人もいる。今回の調査では、全サンプルのうち、現在、工学系の仕事に従事している人(技術者)は51.8%、それ以外の仕事に携わっている人は48.2%と、ほぼ半々の分布になっていた。まず、これら2つの職業タイプの読書を比較することによって、技術者の読書の特質を確認しておきたい。

私たちの調査では、 思想書(啓蒙書・人生論等含む)、 純文学、 歴史小説・ノンフィクション・ドキュメンタリー、 マンガ(マンガ雑誌を含む)、 ビジネス書、自分の専攻分野の専門書(教科書等も含む)、 趣味・娯楽書(スポーツ等も含む)の7項目を挙げ、それぞれどの程度読んでいるのかを回答してもらっている。表1は、これら項目について、「現在、よく読む」と回答した者の比率を示したものである。

表1 「現在、よく読む」と回答した者の比率

表1 「現在、よく読む」と回答した者の比率

ここからは、7項目のうち、工学系卒業生がよく読むのは、歴史小説・ノンフィクション・ドキュメンタリー、ビジネス書、専門書、そして趣味・娯楽書であること、ただし前者3つについては、職業タイプによる違いが見いだされることなどがわかる。すなわち、技術者がよく読むのは専門書である。「読む」と回答したものは、技術者61.4%であるのに対し、技術者以外は45.4%であった。他方、技術者たちが相対的に読まないといえるのは、歴史小説他およびビジネス書である。歴史小説他を「読む」技術者は49.2% であるのに対し、技術者以外は58.7%。ビジネス書を「読む」技術者は57.4%であるのに対し、技術者以外は72.0%であった。

専門書に親しみながらも、ビジネスや教養にはあまり関心がない。なるほど、一般的に想定されている技術者像に合致する傾向のようにも思える。では、こうした特徴をみせる読書はどのような意味を持っているのだろうか。次いでこの点について検討してみよう。

専門書よりも重要なビジネス知識と教養

1つの切り口として、「読書が所得向上にもたらす効果」を設定してみたい。専門書を読むことは、技術者の所得を高めるのだろうか。他の領域の読書はどうなのか。図1は、こうした問いについて、重回帰分析という手法を用いて検証した結果を簡単に図式化したものである。年齢、企業規模、性別、そして7つの領域の読書の有無と所得との関係をデータで確認したものだが、そのなかで統計的に意味のある効果が確認された部分に矢印を引いておいた。ただし、点線になっている部分は、負の効果、つまり所得を下げる効果を持っていることを意味する。図から3点ほど指摘しておこう。

図1 所得向上をもたらす要因

図1 所得向上をもたらす要因

第1に、広い範囲で読書の効果がみられるのは技術者だということである。技術者以外の結果をみれば、読書変数から所得に伸びる矢印は、ビジネス書から伸びる1本しかない。他方で、技術者には3本の矢印が確認され、幅広い読書の効果がうかがえる。

第2に、技術者の読書効果は専門書にではなく、歴史小説・ノンフィクション・ドキュメンタリーやビジネス書にみられるということである。技術者がより熱心に読んでいるのは専門書であったが、所得向上につながるのは、むしろ教養書やビジネス書であるようだ。特にビジネス書を読むことの効果は大きく、歴史小説他とビジネス書を比べると、後者のほうが2倍近く大きな効果を持っている(歴史小説他の読書で所得は5.6%上昇、ビジネス書では10.1%の上昇という計算結果になる)。

第3は、趣味・娯楽書にマイナスの効果が認められることである。この点についてはさらなる検討が必要だが、技術者の場合、限りある時間を趣味や娯楽に使うと、その分だけ労働市場における価値が下がるということなのかもしれない。また、こうした傾向が技術者のみにみられることも注目される。マネジメントや営業、人事分野で働く人にとって、趣味・娯楽書を読むことは所得に何の影響も与えておらず、ここに仕事内容による違いが現れているようにもみえる。

「大学時代の専門×現在のビジネス書」というパワー

ただし、以上は、技術者の世界の一側面を切り取ったにすぎない。理解を深めるために、2点ほど付け加えておきたい。

1つは、専門書の意義についてである。図1では、専門書を読むことと所得との間に関係は見いだされなかったが、だからといって専門知識に意味がないというわけではない。もしかしたら、技術者にとって専門知識とは基本的に現場で習得するものであって、現場の学習では追いつかない領域の技術者が専門書を読んでいるだけなのかもしれない。

さらに、この可能性以上に指摘しておきたいのは、時間軸を過去にまで伸ばしたときにみえてくる専門書の効果である。調査では、現在の読書のみならず、大学時代の読書についても尋ねている。この回答を用いて、過去と現在の組み合わせのなかで、読書の効果を探ったところ、大学時代における専門書の読書に興味深い効果が確認された。

図2は、その結果の1つである。これは、「大学時代に専門書を読んでいた/読まなかった」と「現在、ビジネス書を読んでいる/読んでいない」とを掛け合わせ、ともに読んでいない(組み合わせD)を基準に、技術者の読書経験が持つ所得向上効果を示したものである。要点を述べれば、大学時代に専門書を読むだけでは、所得に何の効果ももたらさない(組み合わせD とC の所得は変わらない)が、大学時代の専門書をベースに、さらに現在のビジネス書が加わったとき(組み合わせA)、そこには13.9%の所得上昇が確認できる。しかも、その効果は、現在、ビジネス書を読んでいるだけだという者(組み合わせB)にみられる所得効果8.8%よりもかなり大きい。

大学時代から続く学習の習慣が功を奏していると考えられるし、専門知識を獲得したうえでのビジネス知識という相乗効果によって所得が高まっているとも解釈できよう。専門書の効用は長い目でみたときに浮かび上がってくるもののようである。

図2 読書の所得効果(技術者のみ)

図2 読書の所得効果(技術者のみ)

趣味・娯楽書がもたらすゆとり

いま1つは、趣味・娯楽書についてである。先に、ビジネス書は技術者の所得をあげる一方で、趣味・娯楽書には所得を下げる効果があることを述べた。しかしながら、趣味・娯楽書には別のところに効用がある。

調査では日ごろの生活状況について、 いつも時間に追われていて、いらいらするかどうか、 朝起きるのがつらいかどうか、の2点から回答してもらっている。この2つについて、現在、ビジネス書のみを読む者と、ビジネス書+趣味・娯楽書の両方を読む者とを比べると、後者に「いらいらしない」、「朝起きるのはつらくない」という明確な傾向が認められる。仕事で抱えるストレス。趣味・娯楽書には、そのストレスを和らげる効果がある。働き方をトータルにみた場合、高い所得だけが豊かさをもたらすわけではない。経済的条件と心理的条件の2つがそろうことが、真の豊かさにつながるともいえるだろう。

以上にみるように、技術者の世界にも読書の効果はあり、なかには過去の蓄積があってこそ生まれてくる効果もある。また、領域による効果の違いも確認された。いま、自分が置かれている状況を踏まえつつ、うまく読書と付き合い、付き合い続けていく。効果が見えにくい読書ではあるが、ここで示してきた結果は、こうした姿勢が技術者にも求められることを示唆しているように思う。