2008年5月号
産学官エッセイ
企業の問題解決に大学の知の群を活かせ
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原嶋 克巳 Profile
(はらしま・かつみ)

富士ゼロックス株式会社
知的財産権センター
シニアライセンスエグゼクティブ

1企業と比べ、大学の研究機能は質、量ともに大きい。しかし、個々の企業との連携は1つの技術的課題にとどまっている。筆者は、大学が持つ社会科学分野も含めた広範な知の群を、企業が抱える課題解決のために活かせと説く。

1998 年に大学等技術移転促進法が制定されて以来、TLO、知財本部の設置により確かに産学連携は進展した。大学での出願が増え、大学発ベンチャーも増加、企業への技術移転件数も着実に伸びている。関係者の並々ならぬ努力の成果である。

産学連携の本来の狙いは、大学が生み出す知的資産を社会に還元することにある。さらに言うならば、社会が抱える課題をその知的資産によって解決することにある。大学が自ら手を下して問題解決に対処できるケースもないわけではないだろうが、多くの場合は企業という媒体を通してその狙いは達成される。今後の産学連携のさらなる発展を考える時、知財権なるものはひとまず横に置いておき、この本来の目的に向かってどうしたら大学の生み出す知的資産を企業の中に活かせるのかを考えてみたい。

技術移転はうまくいかないのが普通

私も企業の中で多くの技術の移転を経験してきた。その難しさは肌で感じる。企業の研究所の多くは、新規技術を生み出し事業に結び付けることを狙いとしている。しかし研究所が自信を持って生み出した新規技術を既存の事業部に移管することでさえも、企業の中でかかわる人間は苦労をしているのが現実である。それが新事業であるとするならもっと多くの苦労が強いられる。「死の谷」などと呼ばれる怪しき事象が公然と横たわってもいる。企業内ですらそれが実態である。

技術移転がうまく行かない原因は、ほとんどの場合その技術に対する価値評価が関係者の間で食い違うためであると思っている。関係者とは、技術を作り出した者、受け取る者、加えてその技術移転に投資する者である。企業の場合は研究者、事業部の開発者、経営者となる。ひとつの技術がひとつの新規材料を生み出し、それが製品となりビジネスを成り立たせているような材料分野においては価値評価は合致しやすい。新規材料が提供する機能に対するマーケットのニーズが顕在化しているのならなおさらである。他方、複雑なシステムを用いて顧客にサービスを提供しているような企業においては、さらに言えばそのサービスに対するマーケットのニーズが顕在化していないような状況においては、価値評価はばらつく。仮に一時共有できたとしても、開発という山あり谷ありの長い期間それを維持することは結構難しいものなのである。

技術移転はうまくいかないのが普通だと思ったほうが良い。

企業における意思決定のメカニズムと課題

企業において技術は事業のためにある。だからテーマ設定に際しては、経営陣を巻き込んだ評価がなされるのが一般的である。この段階では技術的可能性よりも、その技術の基になっている技術と事業上の位置付けに評価の重きが置かれる。研究開発が進展して次なるフェーズへの移行に際しては、経営陣はより慎重な判断を求められる。フェーズが進むにつれて投資額は増大するからである。この意思決定は単に新規技術の完成度によってのみなされるわけではない。技術の完成度は確かに重要なファクターの1つにはなるが、意思決定はあくまでも将来の事業ビジョンを確実性の高い事業計画とするかどうかの判断なのである。企業が世の中に先行しようとすればするほど、この意思決定は多くの不確実性を含んだままなされる。そこに三者三様の判断の違いが生まれるのである。

研究とは、この意思決定における未知なる課題を少しでも明らかにするための行動と定義することができる。全ての研究テーマは、経営陣が将来のビジョンを思い描くために、そして思い描いたビジョンを経営計画の中に落とし込み実行するか否かの判断を間違いなく行うために遂行される。当然のことながら未知なる課題は自然科学の領域にとどまらない。そこには多くの社会科学的課題がある。企業内の研究機能がカバーできない問題は外部のコンサルタントや調査会社に依頼する。そうして、未知なる課題を減らし間違いの無い経営の意思決定サイクルを回すべく努力している。

大学は社会科学を含めてその総合力を活かせ:知財本部は知的資産の料理人

こうして大学の知的資産を受け入れる側の企業の実態を見てみると、多くの未知なる課題を抱え、その答えを求めている。そしてその課題が同時に技術移転の障害となっているともいえる。多岐にわたる未知なる課題はいくら大企業の研究所であっても対応はできない。他方、大学ほど広範な分野での「知」を集積できる場もない。1企業が抱えることのできる研究機能を質、量ともにはるかに超える可能性を持っている。大学の強みはその総合力にこそある。

確かに近年、大学側は受け入れ先である企業側とできるだけ上流、すなわち研究段階の初期から協業しニーズとのマッチングを図るべく努力をされている。しかしその多くはまだ1つの技術的課題にとどまっているのが現状ではないだろうか。大学が持つ社会科学分野も含めた広範な知の群を企業が抱える経営判断上の未知なる課題解明のための情報に生かすことに正面から挑戦することこそが、産学連携の本当の意義であると考えたい。「技術の移転」から「知識の移転」への転換であり、それは「技術課題の受託研究」から「経営課題の受託研究」への転換ともいえる。知財本部は大学が育て蓄えたもろもろの食材(知的資産)の料理人であってほしい。知財権は後からついてくるものと考えた方がいい。