2008年6月号
連載1  - 新しい技術者像を探る
工学系卒業生のキャリア形成(下)
工学系卒業者の誰が「優れたマネージャー」になるのか
顔写真

濱中 淳子 Profile
(はまなか・じゅんこ)

独立行政法人 大学入試センター
研究開発部 助教


「優秀な技術者が部署やプロジェクトのトップとして部下をうまくまとめていけるとは限らない」としばしば指摘される。しかし、こうした専門職に対する批判的な視点を乗り越えて、「優れたマネージャー」そして活躍する工学系卒業生は誰か、という問いを追究し、その答えを大学時代の経験に求める。

技術者vsマネージャーという構図

大学教育問題を専門にしていると、しばしば次のような指摘を目にすることがある。「優秀な研究者が、優秀な教育者だとは限らない」。教育者には、学術的知識も必要だが、学生と円滑なコミュニケーションをとるための対人能力や学生を引き付ける授業ができるプレゼンテーション能力も必要になる。だが、こうした能力が、大学教員には欠けているというのである。

大学教員を例に出したが、技術者についても同様の評価をみることがある。「優秀な技術者が部署やプロジェクトのマネージャーになったとき、うまく部下をまとめていけるとは限らない」。要は専門職に対する共通した批判なのだろう。高い専門性が求められる仕事に従事している者は、専門への関心が強いあまり、他への配慮に足りないところがあるとみられているようだ。

しかし、この評価は専門職の一部を取り上げたものに過ぎない。当然ながらなかには教育者としても成功している優秀な研究者はいるし、うまくマネジメント業務をこなす技術者もいる。連載の最終回である今回は、この技術者vsマネージャーという構図を乗り越えて「優れたマネージャー」として活躍する工学系卒業生は誰か、という問題に迫ってみたいと思う。そして、その答えを大学時代の経験に求めてみたい。マネージャーとして活躍できるかどうかのシーズ(種)は、実は既に大学時代にあるのではないか。そのようにも考えられるからである。以下、前回、前々回と同じく、工学系卒業生を対象に行った調査の分析結果を示していくことにしよう。

高いマネージャーの市場価値

はじめに、そもそも誰がマネジメント業務に従事しているのか、という点からおさえておきたい。言うまでもないことだが、誰もがマネージャーになれるわけではない。部署やプロジェクトの管理を任されるのは一部の層に限られる。

調査では、役職とは別に、自分の仕事が何であると認識しているのかを尋ねる項目を立てている。その項目から自分の仕事を「マネジメント業務」だと回答した者の比率を出すと、その値は23.8%。およそ4人に1人がマネージャーとして仕事をしていることになる。

では、誰がマネージャーになっているのか。まず、考えられるのは年齢による差異である。仕事経験を重ね、現場や仕事の流れを理解している者、つまり上の世代ほどマネジメント業務に携わっているはずである。実際、マネージャー比率を世代別に出すと、その値は、30代で5.2%、40代で15.6%、50代で33.3%。なるほど、確かに年齢を経るにつれて、その値は大きくなっている。

けれども、この数値は同時に、40代や50代でもごく一部の層しかマネジメントに携わっていないことを意味している。50代でもわずか3人に1人という比率である。年齢を重ねれば、誰でもマネージャーになれるというわけではないようだ。

それでは、年齢以外にどのような要因が効いているのか。2点ほど指摘しておこう。

1つは出身大学についてである。調査は5大学の卒業生に実施したが、大学別にマネージャー比率をみると、旧帝大クラスの大学院重点化大学(A大学)の値がやや高くなっている(A大学26.9%>地方国立B大学24.3%、C大学23.9%>私立単科D大学20.6%、E大学20.3%)。マネージャーになるにも、学校歴が関係しているということである。

いま1つは、人材としての市場価値についてである。マネージャーになっている者とそうでない者との所得を比べると、同じ年齢でも、マネージャーになっている者の所得のほうが15%ほど高い。基本的に、能力があり、市場価値が高い者ほどマネージャー職に就いているといえそうである。

マネージャー内の業績格差

概して市場価値の高い、能力のある者がマネージャーになる。けれども、いま一歩踏み込めば、マネージャー層のなかでも業績のばらつきはあるはずである。優秀なマネージャーもいれば、そうではないマネージャーもいる。

調査では、仕事の業績について自己評価してもらう項目を設定している。ここではその回答からマネージャーを3つのグループに分けてみたい。第1のグループは、自己評価で高い得点を与えた上から4分の1の層、第2のグループは中間の得点を与えた2分の1の層、そして第3のグループは下から4分の1の層である。すなわち、「上位層:中位層:下位層=1:2:1」となるように区分した。なお、それぞれの自己評価の回答を具体的に示すと、上位層は自分の業績について「良いほうである」という最高の評価を与えた層(24.6%)、中位層は「どちらかといえば良いほうである」という2番目に良い選択肢を選んだ層(51.3%)、そして下位層は、「どちらかといえば良いほうではない」あるいは「良いほうではない」という否定的な自己評価を下した層(足し合わせて24.1%)にあたる。

「1:2:1」という山型の業績区分がこのようにきれいに自己評価の分布と重ね合わさること自体興味深いが、この小論の目的から指摘しておくべきなのは、業績区分と年齢、あるいは出身大学との間には、なんら関係が見いだされないということだろう。先に、「マネージャーになる/ならない」については、年齢および出身大学の影響があると述べた。けれども、いったんマネージャーになった後の業績は、年齢や出身大学では決まらない。経験を積んだからといって優秀なマネージャーになるわけではないし、大学院重点化大学出身だからといってマネージャーとしての業績が優れているというわけではないのである。

優れたマネージャーを生み出す大学経験

年齢も大学も関係ない。だとすれば、こうした業績の違いは、何によってもたらされているのだろうか。

まず、考えられるのは、意識の効果である。マネージャーの心構えに関する書籍がいくつも出ているように、マネージャーならではの意識というものがある。部下を育てるという視点。責任感や広い視野。こうした意識をしっかりと持つマネージャーが「優秀なマネージャー」だという議論をよく目にする。

意識の問題は重要だと思う。部下に関心を持たず、責任感もなく、視野が狭い者にマネジメント業務ができるとは考えにくい。しかしながらここで、意識というあいまいな次元ではなく、経験という次元、しかも大学時代にまでさかのぼって「優れたマネージャー」を生み出す経験があるのではないかと探ってみると、意外な事実がみえてきた。紹介しよう。

もし、「優れたマネージャー」になるためのシーズが大学時代にあるとすれば、容易に想定される可能性として次の2つが挙げられよう。1つはサークルやアルバイトといった課外活動の影響である。しばしば、こうした活動で得た人間関係スキルのようなものが社会に出てから役に立ったという話を聞く。部下をまとめ、ひっぱっていくということが仕事の柱になるようなマネージャー職の場合、とりわけこの傾向が強いとも考えられる。いま1つは、一般教育科目(教養)の授業である。マネジメント業務を行うには、経営学や社会経済一般の知識を必要とする場面に多々遭遇すると予想される。したがって、さまざまな領域について学べる機会を活かそうとしていた者ほど優れたマネージャーになっている。そのように考えることもできよう。

ところが、データはこれらの予想と異なる様相を示す。表1は、「大学時代の熱心度」と「現在の仕事業績」との関係を領域別に確認し、その結果、どこに熱心度の業績向上効果がみられたのかを表したものである。つまり、丸印がついている領域に熱心に取り組むことが、現在の高い仕事業績をもたらしているということである。そしてこの結果からいえるのは、マネージャーの場合、業績の具合を決める経験はサークルでも一般教育科目でもなく、論文執筆。研究室に所属した後、熱心に論文を執筆したものほど優れたマネージャーになっているという実態である。

また、調査では学習領域に限って、「これまでのキャリアを踏まえて、今、大学時代をやり直すとしたら、何に熱心に取り組むか」ということも尋ねている。紙幅の関係上、図表は省略するが、この結果をみると、マネージャー業績上位層ほど反応するのは「語学」、「研究室メンバーとの交流・会話」、そして「論文の執筆」である。ここでも一般教育科目ではなく、研究室関連の項目が抽出されたのは、表1の結果を裏付ける興味深い結果であるように思う。

表1 熱心さが業績の向上につながる大学時代の経験

表1
論文執筆という万能薬

表1には、参考として技術系の仕事(研究・製品の企画開発・情報処理など)に従事する卒業生(技術者)の結果も載せておいた。技術者の場合、効果があるのは、専門の授業、研究室教育、そしてアルバイト活動。やはり専門を仕事とする者の場合、研究室のみならず、専門の授業に対する熱心さもその後の業績につながっているようだ。

だがここで見方を変えれば、マネージャーだろうが、技術者だろうが、将来の業績向上につながる有効な学習機会は論文執筆だということになる。研究室教育は、とかくその専門性の強さによって特徴付けられるが、それだけではない。どのような仕事に従事しようとも効果が現れる「万能薬」的特質も備え合わせているのである。

なぜ、論文執筆にこのような効果がみられるのか。解釈の域を超えないが、研究室は、集団で行動する場である。そのなかで論文を書くことは、協調性や論理的思考法の獲得に結び付くのではないだろうか。そして一定の期間、こうした作業に浸かることが、企業社会のどのような場面でも活きてくる。そういうことではないだろうか。

現在、大学教育の在り方については、実社会で役立つものへの変換が求められている。個人指導から組織的教育への転換を説く声も大きい。しかし、その多くの議論は、大学教育の何が、どのように役立っているのかわからないままになされているのではないだろうか。今回の連載で伝えたかったことの1つは、大学教育とキャリアとの関係を実証的に検証することの大切さである。データは、私たちが見逃している多くのことを語ってくれる。人材育成という側面における産学の協同。その目指すべき方向も、実態を解明したうえで探っていくべきである。