2008年6月号
特集  - 科学で地域を元気にする
住民参加で英虞湾環境再生に挑む わかりやすさを追求した地元報告会
真珠養殖発祥の地として知られる志摩半島の英虞湾。養殖による汚れが堆積(たいせき)する一方、干拓によって自然再生能力が低下。このため、地域の産学官が科学技術振興機構の地域結集型共同研究事業を活用して、その環境再生に取り組んだ。大きな研究成果を生んだが、その秘訣(ひけつ)は養殖業者ら地域住民が積極的にかかわったこと。そのユニークな取り組みを紹介する。

三重県の志摩半島先端にある英虞(あご)湾はリアス式と呼ばれる複雑に入り組んだ海岸線を持つ。真珠養殖発祥の地として世界的に有名である。戦後最初に国立公園に指定されたこの地域の海域の環境が悪化、8年ほど前から産学官民が再生に取り組んでいる。

背景には真珠養殖業者の危機感がある。同県の真珠生産量は1960年代末には年間60トンにまで拡大したが、その後、貝の飼い過ぎなどから急減。ここ10年ほどは10トンを下回る水準で推移している。

英虞湾の湾口は水深が12メートルと浅く、横から見るとすり鉢状になっていて、湾の内と外で海水が入れ替わりにくい。そこに[1]干拓により干潟、アマモ場*1が消失し環境の自然再生能力が低下、[2]真珠養殖の汚れが海底に堆積、[3]陸から汚れが流れ込む——などの要因が加わった。

国、県が海底の土壌(ヘドロ)の浚渫(しゅんせつ)を行っているが、国立公園の中ということもあり、その浚渫土の捨て場の確保が難しくなっている。

干潟の造成を試みる

再生運動のきっかけは、「立神」という地域で真珠養殖に従事する若手の集まり「立神真珠研究会」の人々が「干潟の造成をしたい」と県に相談したこと。

写真1

写真1 「研究総括」を務めた加藤忠哉三重大学
     名誉教授

干潟とは、潮の満ち引きにより水面から出たり入ったりする場所。カニ、貝、ゴカイなど多様な生き物をはぐくむ。砂粒の間にすむバクテリアなどの働きにより有機物が分解される。アサリなどの生き物は水の中に浮いているものをエサとして体内に取り込む。それらの生き物を野鳥や魚が食べ、干潟の外に運んでいく。食物連鎖を繰り返しながら水を浄化する舞台が干潟なのである。

英虞湾の奥部にはかつて、海域面積の約10%にあたる約270ヘクタールの干潟があった。しかし、干拓によりその70%が失われた**1

画期的な海洋モニタリングシステム
写真2

写真2 モニタリングシステムを搭載した観測ブイ。
     一緒に積んでいる太陽光発電装置(写真左下)がシ
     ステムを動かすエネルギー源だ。
     乗っているのは三重県水産研究所水圏環境研究課
     研究員の国分秀樹さん。県など行政側と大学、養
     殖業者らのパイプ役の1人で、フットワークの良さが
     身上。「役所で水産のことがわかる人が少ない。
     口出しするならわれわれと同じレベルで言ってくれ」
     という地元住民の不満を解消し、お互いの信頼感を
     築くのに大きな役割を果たした。養殖業の原条誠也
     さんらに「国分君」と呼ばれ、「ずっとここ(英虞湾の
     環境再生にかかわる担当)におれ」などと言われて
     いる。

2000年に彼らと県、大手建設会社の共同研究が始まり、2003年から5年間、広範囲な産学官が参画して科学技術振興機構(JST)の地域結集型共同研究事業が行われた。

地域結集型の事業名は「閉鎖性海域における環境創生プロジェクト」(通称・英虞湾再生プロジェクト)。研究面の体制は「研究総括」が加藤忠哉三重大学名誉教授*2写真1)、「新技術エージェント」が松田治広島大学名誉教授。2つの研究開発テーマがあり、リーダーは「新しい里海の創生」グループが前川行幸三重大学大学院教授、「英虞湾の環境動態予測」グループが千葉賢四日市大学教授である。

写真3

写真3 自動モニタリングシステムの観測機器。
     地上で待機し、1 時間ごとに海中に降りていき、
     1 メートル水深ごとに水質を観測する。

研究は著しい成果を挙げた。特許出願は35、論文発表は64。表1は主な研究成果である。このうち、海洋の自動モニタリングシステム(写真2、3)は世界初の画期的なものである。このほか、播種・株植えが不要なアマモ移植技術の開発なども行った。JSTの地域結集型共同研究事業で環境をテーマにしたものは数少ない。




表1 主な研究開発成果

表1
3月に各種組織を結集し「英虞湾自然再生協議会」設立

住民が「運動」という形で深く参画したことが、この事業の成功要因の1つとされる。2000年からの一連の取り組みの成果を「地域」の側から見てみよう。関係者の話を総合すると、次のように整理できるのではないだろうか。

1. 調査・研究を行って、海域の汚れの実態と原因を科学的、数量的に把握。それを整理し、関係者が情報を共有したこと。
2. 環境を再生するためにはどうすればいいのかを整理(表2)し、それを地域全体で共有したこと。
3. 環境改善のためのシステム開発、仕掛けづくりが始まったこと。

こうしたことを目に見える「形」にしたものの1つが、地域の課題、改善の方向をわかりやすくまとめたブックレット『英虞湾 新しい里うみへ』だ。住民への説明や小学生の環境教育などにも活用している。さらに、今年3月、既存の各種組織を結集して「英虞湾自然再生協議会」(前川行幸会長、千葉賢副会長)が発足、地域全体で取り組む機運を醸成できた。

徹底してわかりやすさを追求した地元報告会


表2 英虞湾の自然再生のために『できること』

1.陸から流れ込む汚れを減らすこと
2.海底を汚さないこと
アコヤガイを掃除したごみと、真珠を取ったあとの貝肉の適切な処理
3. 生物多様性を高め、海の浄化力を大きくすること
干潟・アマモ場を再生する
4. 海から陸に取り上げること
漁業の振興を図り、魚介類を取り上げる
5. 英虞湾を大切にすること
シーカヤック、生き物観察などいろいろな形で楽しむ
(『英虞湾 新しい里うみへ』から)

一般的にかかわる人が多くなればなるほどテーマが拡散したり、ぶれやすいが、この事業の場合、逆に求心力が働き、研究面でも大きな成果に結び付いた。なぜか。

まず指摘したいのは毎年開いた成果の発表会。県都・津市で開催した発表会はどちらかというと官、学向けだが、これとは別に地元の志摩市でも毎年、報告会を開催した。画期的なのはその説明の仕方である。わかりやすさを追求し、専門的な難しい言葉を徹底的に排除したことだ。

写真4

      写真4 原条誠也さん。真珠養殖業者3
          代目で、地元の環境再生の取り組みの
          リーダー

写真5

     写真5 前川行幸 三重大学大学院教授

真珠養殖業の3代目で環境に関する取り組みのリーダー的存在である原条誠也さん(写真4)は「地元で伝わらなんだら意味がない」と語る。

大学の先生たちに発表を予行練習してもらう。それを、原条さんらが「カウンター」を片手に、難しい言葉が幾つ出てきたかをチェック。もっとわかりやすく話してほしいと要求する。こうした努力のかいもあって地元の説明には毎回およそ200人、最後の年は300人ほど来場し、質問もたくさん出た。

三重大学の前川教授(写真5)は「養殖業者らが、自分たちが汚してきたという反省を通して始まった活動であり、彼らがこの事業に入るのは当たり前。彼らに理解してもらい、海を自由に使わせてもらえないと研究ができない。地域社会に広く情報を発信し、理解を求めようという考え方は当初からあった」と語る。

「2006年半ばごろから、地域結集型事業終了後のことを考え、研究成果を地域に移転させることに注力してきた。環境再生の取り組みを地域に定着させるためだ。特に子どもたちを重視した」ともいう。

大学の先生にとって、学生に講義をすることより、地域の人々に納得してもらえるように説明することのほうが難しいだろう。住民との活発な質疑で大学人たちの論点整理が進み、求められているテーマが鮮明になったのではないか。事情は行政側も同じ。「官」「学」の方が学ぶところが多かったのである。

フェーズ・移行時に研究テーマ選別

もう1つは指導者の差配。特に、研究統括の加藤忠哉教授については「マネジメントに徹していただき、若い人をうまく動かしていた」と周囲の評価。加藤教授の専門は高分子化学。凝集剤の基本的な物性値を決めたのは同教授で、現場とのつながりが強い。英虞湾再生プロジェクトについて、ご本人は「専門外」というが、最初の2年間のフェーズ・から次のフェーズ・に進むときに、成果が見込めない幾つかの研究を打ち切ることができたのも、しがらみがなかったからだろう。

打ち切った研究はJSTの中間評価で低い点が付いていたものが多かった。この「中間評価」を援護射撃として、研究テーマを選別し資金を集中することができたという側面もあったようである。盛り上がった住民の関心、「解決策」を求める大きな声も大きな圧力だった。

環境再生を目指す地域の運動——地域結集型共同研究事業ではやや特異なケースではあったが、科学で地域の「課題」解決を目指す試みは産学官プラス「民」の連携の1つのモデルといえるだろう。

(本誌編集長:登坂 和洋)

●参考文献

**1 :財団法人三重県産業支援センター;三重県科学技術振興センター水産研究部編.英虞湾 新しい里うみへ. 2007.

*1
●アマモとは 「海草」と呼ばれる植物。ワカメなど一般的な海藻と異なり、花を咲かせて種をつくる。全国各地の砂や泥の沿岸に生える。秋から春にかけて生長し、高さ1.5メートル前後になる。たくさん生えている場所を「アマモ場」という。
●アマモ場の働き アマモによって波が抑えられ、水の流れが穏やかになる。隠れる場所もたくさんあるので、魚、貝、エビ、カニなどが卵を産み、子どもを育てる場所となる。また、アマモは海のなかの二酸化炭素や栄養分(窒素、リンなど)を吸収し、太陽光を利用して酸素をつくるので、生物がすみやすい。アマモがあるところとないところでは生き物の種類や量が10倍以上も違う(『英虞湾 新しい里うみへ』から)。

*2
株式会社あの津技研代表取締役。同社は三重県地域結集型共同研究事業において英虞湾の浚渫土壌の固化処理用に開発された薬剤を製造販売するために設立された企業である。