2008年11月号
特集  - 強いデザイン 新発想で課題解決
大阪大学・未来医療センター
ワクチン接種のデザインシステムとシステムデザイン
感染症は発展途上国が抱える大きな課題の1つ。ワクチンの供給が絶対的に少ない。あっても医療レベルが低くワクチンの運用が不十分などの問題がある。使用済み注射器が麻薬など薬物に再利用され、感染症の二次感染や犯罪の原因となっている。大阪大学医学部附属病院未来医療センターと同大学大学院工学研究科の川崎和男教授は、ワクチンの製造から廃棄までのプロセスを再構築しようというプロジェクトに取り組んでいる。

写真1

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     大阪大学医学部附属病院
     未来医療センター長
     澤 芳樹 氏



写真2

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     大阪大学大学院工学研究科
     (兼任:未来医療センター)
     教授 川崎 和男 氏

大阪大学医学部附属病院未来医療センター(澤芳樹センター長:写真1)は同大学大学院工学研究科の川崎和男教授(未来医療センター教授兼任:写真2)と、発展途上国向けの感染症予防ワクチンの製造、搬送、管理、廃棄のプロセスを再構築しようという壮大なプロジェクトに取り組んでいる。

アフリカの場合、ワクチン接種率はエジプトを除くと各国ともほぼ50% 以下。ワクチン供給が絶対的に少ない。しかし、ワクチンがあっても、冷温保存など管理体制が整っていない、医療サービスの運用や維持体制がまったく未整備――といった問題がある。さらに、使用済み注射器が麻薬などの薬物に再利用され、各種感染症や犯罪につながっていることも広く指摘されている。

 製造から廃棄に至る一連の過程が抱えるソフト、ハード両面の課題を「システムデザイン」と「デザインシステム」で解決しようというのがこのプロジェクトだ。というより、課題に対応するシステムは「デザインによってのみ可能」という基本方針が ある。

1枚の台紙にすべての部品を接続

川崎氏は大学院工学研究科の「先端デザイン学際化戦略サイト」という専攻の教授。著名な工業デザイナー、デザインディレクターでもある。ペイリン・米アラスカ州知事がかけている眼鏡のフレームが川崎氏のデザインした製品であることがわかり、注目されている。

同氏はこのプロジェクトを「ワクチン接種のデザインシステムとシステムデザイン」と名付けている。まず、提案している2種類のキットのうち「タイプ1」の操作方法を見ていただきたい(写真3)。

写真4

写真3 タイプ1の操作方法

写真5

写真4 タイプ1のパッケージデザイン

タイプ1の特長は、折り畳んだ横長のベース(台紙)に各部品が接続されていて、廃棄まで一体で取り扱えるデザインシステムを実現したこと。人々が医療行為に抱く恐怖感を軽減するためグラフィックに工夫。パッケージの裏には操作方法を図解し、識字率の低い国でも接種できるようにしている(写真4)。

「一体化」「使い方の図解」というデザインの背後には、「接種」から「廃棄」に至るプロセスの再構築、言い換えると医療レベルの低い地域の人々でも容易、的確に、かつ安全に取り扱えるという機能向上=システム化したデザインがある。

個々の部品はデザインとして精細な設計だ。

使用済みの針の処理が容易で、医療従事者が誤って自分の手などに刺すことが少なくなる。
「USED」の大きな表示があるので、使用済みであることがわかりやすい。
従来の注射器と異なる形なので、他の用途に再利用するのが難しい。

こうした個々の機能性や性能性は、各部品が1枚の台紙に実装されていることで、さらに効能性を発揮する。

「押す」と「引く」で完了

次に「タイプ2」を見てみよう(写真5)。注射器が2つのパーツ(「ニードル(針)カプセル」と「プランジャシリンジ(ワクチン封入のプランジャ)」)で構成されている。針はカプセルに収納されている。使用するときは、一体に組んであるニードルカプセルとプランジャを分離し、プランジャでニードルカプセルの中の針を押し出す。接種した後は、プランジャを引くと針がカプセル内に収納される安全機構になっている。

ワクチン接種の準備と、使用済みの針の安全な処理が「押す」と「引く」という動作だけでできる。

写真6

写真5 タイプ2の操作方法

流通と配布のシステムデザイン

ワクチン接種に必要な器具類を、破損することなく、確実に届けるという「流通と配布」面がシステムデザインである。

タイプ1、2とも、運搬用の段ボール箱は飛行機、船舶の輸送や、パラシュート搬送に効率的なサイズと落下強度性を考慮した設計となっている。積載時の保存、管理に必要な情報を認識しやすいように工夫している。

内箱には、数量の確認など現地での保存・管理の作業を効果的にサポートするグラフィカルな表現・表示がある。

川崎氏は「性能、効能、機能を統合するのがデザイン。効能というのはわかりにくいかもしれないが、薬を飲むと病気が治って再び社会参加ができる、これが薬の効能。性能性と効能性を合わせ持つ機能性まで完備したデザイン」と語る。

災害医療救援のデザインシステムも

同センターと川崎氏は昨年末に「ワクチン接種のデザインシステム」を発表したときに、「災害医療救援のデザインシステム」も明らかにしている(写真6)。。

写真7

写真6 トリアージ・タグ

これは被災地で多数の傷病者が出た時に、傷病の重症度で治療優先度を決定するシステムである。このシステムの特長は次の2つだ。

従来は4段階表示で構成するものが主流 だが、それを3段階表示にした。
まず二次バーコード、ICチップ、やがては遺伝子チップへと進化させる意図がある。

多様な分野をつなぐデザイン

川崎氏は「ワクチン接種のデザインシステムとシステムデザイン」と「災害医療救援のシステムデザイン」に関するプロジェクトを、「Peace-KeepingDesign = PKD」と名付け、世界的な平和活動の1つとして、国連などへの提案とその展開を目指している。

「20 世紀には戦争、環境破壊など多くの負の遺産がある。それが発展途上国に象徴的に表れている。科学、政治、経済どの分野をみても人類の理想を実現していない。デザインは学際の知であると同時に実務学であり、多様な分野の接着剤になりうる」と川崎氏。

PKD実現のパートナーシップ

未来医療センターはトランスレーショナルリサーチを行う機関である。トランスレーショナルリサーチとは、基礎的な研究成果(例えば基礎研究で見いだされた発明)を臨床に応用することを目的にチームで行う研究のことである。同センターでは、前臨床研究から臨床研究、新規治療法の確立・産業化まで一貫してサポートしている。

川崎氏が同センターの兼任教授となったきっかけは、2005 年11 月、センターが運営する「未来医療交流会」(会員企業との情報交換会)に川崎氏を講師として招いたこと。当時、川崎氏は名古屋市立大学教授(大阪大学では特任教授)であった。

2006 年6月、川崎氏にセンターの中を見てもらった。もともと人工心臓など医療機器のデザインも手掛け、学位も医学で取得していた川崎氏は、早速翌日、アブレーションカテーテル(心臓内部位治療カテーテル)やドライパウダーカテーテル(経肺吸収薬剤接種のパッケージ器具)、内視鏡外科手術トレーニングシステムなどいくつかの医療機器のスケッチやモデルをセンターに届けた。こうして医療デバイスについてのセンターと川崎氏の共同研究が本格化した。

澤芳樹未来医療センター長(大学院医学系研究科心臓血管外科学教授)は、人工心臓に関する川崎氏のセンセーショナルな学会発表にインパクトを受けたことを思い出すという。デザインと性能・効能が融合した機能美に印象付けられた。

澤氏は、名古屋市立大学時代の川崎氏に会ったことはあるが、大阪大学に来てから意気投合し、科学技術振興機構(JST)のサイエンス・チャンネルでも対談している。

PKDコンセプトの発表は1994年

PKD プロジェクトはこうした連携の延長線上にある。川崎氏がPKD のコンセプトを最初に著書で発表したのは1994 年。それ以来、温めてきた構想だ。その構想を現実に近づけるため同センターとのパートナーシップが最適であると判断し提案を行った。。

「前にいた大学には工学部がなかった。医学部はあったものの統合的ではなかった。PKD 構想を具体化に向けて踏み出すには総合大学で、しかも統合的、総合的な医学的支援から入るのがいいと考えていた。大阪大学に来てから、統合の学としてのデザインを1番深く理解してくれたのが医学部(未来医療センター)で、格好のパートナーが見つかった。大阪大学は商人がつくった町民の学問所である懐徳堂と緒方洪庵が開いた適塾を精神的源流としているが、洪庵は日本で最初に天然痘予防の種痘事業を始めた人物。大阪大学には、ワクチン普及のプロジェクトに取り組む歴史的なコンテクストとそのストーリー性が完璧に整っている」(川崎氏)。

澤・未来医療センター長は「基礎研究の応用、あるいは理念を形にしていくリアリティーは病院でないと得られない。トランスレーショナルリサーチ推進拠点は全国に6つあるが、当センターの特質はボトムアップでやっていること。文字通り未来の医療に向かうシンボリックな拠点として、当センターの意義がある。PKD プロジェクトは、理念から実用化へという意味では究極のトランスレーショナルリサーチであり、緒方洪庵の流れを継承するものとして、ぜひとも実現していきたい。当り前のことであるが、病気に国境はない。当然医療にも国境などない。本来医療こそが地球規模で取り組むべきものである。この医療の原点ともいうべき観点から、PKDの活動を通して、志を同じくする人たちとともに、世界平和への貢献に向けて、まずは大阪大学から発信。デザインプロジェクトは遠大な構想だが、一歩一歩前進させたい」と話している。

課題は「製品開発」の次のステージ

具体的な製品化はどうか。ワクチン接種キットのタイプ1は、国内と海外でそれぞれの医療機器メーカーと開発を進めている。金型、低温保存、滅菌製造など生産面の課題はクリアした。現在、ワクチンをどこの国のどの地域の薬剤メーカーで詰めるのが効率的なのか、流通面の対策を検討している。タイプ2は国内の医療機器メーカーと開発中である。

医学界、医療機器業界ではワクチン接種方法革新の研究が進められている。紙製の注射針の開発を進めている企業もある。薬剤を入れた針(生体分解性)を体内に残す方法もある。さらに、微粉末のワクチン(ドライパウダー薬)を鼻から吸い込んで肺に入れる方式が最近は最も注目されており、将来大きな流れになりそうである。こうしたものが実用化されたらPKD システムに取り入れることを検討している。

課題は、製品開発の次のステージ。新しいワクチンの開発やその供給を増やし、必要としている地域に届け、待っている人々に接種するにはどうすればいいのか。援助や支援という視点だけでは不十分である。ビジネスモデルでは真の社会的活動にはなりえない。乗り越えなければならないハードルの多さは想像に難くない。

感染症は、貧困、食糧不足、未整備な医療や教育制度など発展途上国が抱える多くの課題の1つかもしれないが、20 世紀に負債となってしまった大きな問題である。

緒方洪庵からの伝統を下敷きとして、PKD というソシオデザイン(社会デザイン)の実現を目指す大阪大学・未来医療センターと川崎氏。人類の課題に挑戦する大学、企業、行政連携のモデルとして前進を期待したい。

(登坂 和洋:本誌編集長)