2008年11月号
単発記事
日本の技術移転50年
-独立行政法人 科学技術振興機構を中心として-
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藤川 昇 Profile
(ふじかわ・のぼる)

独立行政法人 科学技術振興機構
産学連携事業本部 産学連携推進部
人材連携課 技術移転アドバイザー

国内の新技術を開発して産業に導入したい――こうした時代の要請に応えるため、新技術開発の業務を行う機関として、昭和33年10月、新技術開発事業団(現・独立行政法人科学技術振興機構)の前身である理化学研究所開発部が誕生した。ちょうど50年前のことである。科学技術振興機構を中心とするこうした半世紀におよぶわが国の技術移転の歴史を紹介する。

はじめに

日本で「技術移転」への取り組みが始まって50 年になる。技術導入、工業製品の大量輸出が大勢の中、国産技術の振興を目指し、当時の国力から見ると相当の予算支出を覚悟して始まった。

技術移転の実施機関として、これまで主に新技術開発事業団(新技術事業団さらには科学技術振興機構の前身)があたってきたが、米国の情勢に大きな影響を受け、平成7年(1995 年)の科学技術基本法施行を契機として技術移転に関するさまざまな施策が施行され、実施機関、支援機関等が拡大してきた。

今回、科学技術振興機構を中心とする技術移転のあゆみを紹介するにあたり、昭和年代までは「新技術事業団30 年のあゆみ」、平成年代からは産学連携事業本部各部からの提供資料を参考にした。

新技術開発機関設立の構想

第二次大戦後の混乱したわが国の経済を再建するためには、わが国独自の科学技術を産業に導入することが不可欠であるとして、その方策が昭和24 年、日本学術会議から政府に勧告された。これは、新しい科学技術の工業化試験に対し特別融資の道を開いてほしいというものであった。

その後、昭和25 年に総理府に産業技術審議会が設置され、同審議会で「工業化試験融資対象」を審議することが閣議決定された(31年に科学技術庁が設立されるまでの5年間に約50件必要な資金が融資された)。

しかし、外国技術導入の傾向は強く、国内の新技術を開発して産業に反映させようとする機運は乏しかったことから、科学技術庁では、新技術開発機関について検討することとなった。また、経済同友会から科学技術開発公社案が、また経済団体連合会からも新技術開発機関の設立についての強い要望が政府に提出された。

理化学研究所開発部の誕生

昭和32 年、科学技術庁から特殊法人新技術開発事業団設立の予算要求が提出された。しかし当時、株式会社科学研究所(前 財団法人理化学研究所)を特殊法人に衣替えして再出発させる必要に迫られていたため、まず特殊法人理化学研究所の設立が認められ、同研究所に臨時の措置として一機構を設けて、ここで新技術開発の業務を行わせることとなった。新技術開発事業団の前身である理化学研究所開発部の誕生である(昭和33 年10 月)

当初から開発部は独立事業部のように区別され、定員も明確に分離され
ていた。

新技術開発事業団の発足

開発部の業務は順調に進展したが、日本経済の発展につれて貿易の自由化は避けられないものとなり、国産新技術の開発を一層強力に推進しなければならない事態となってきた。そこで政府は、理化学研究所開発部を独立させ、特殊法人を設けるべきであるとして、昭和36 年「新技術開発事業団法案」を提出、公布・施行された。

同年7月1日、新技術開発機構の必要性が唱えられてから10 年、ここにわが国唯一の技術移転を主業務とする新技術開発事業団が発足した(常勤役員2名、職員18 名)。

新技術開発事業団の業務は、[1]国立試験研究機関、大学等の成果を選定し、企業に開発を委託すること(委託開発) [2]新技術の開発成果を普及すること [3]企業独自で開発できる新技術を企業にあっせんすること(開発あっせん)の3業務であり、いずれも理化学研究所開発部の業務を引き継いだものであった。

委託開発と開発あっせん
1. 委託開発

委託開発制度は、国民経済上重要な新技術であって、開発における技術的リスクが大きいために企業独自に開発を行うことが困難な新技術について、国がそのリスクを負担することにより、民間企業等の開発への参加を得て、わが国独自の技術の確立を目指している。

昭和30 年代半ばから40 年代前半にかけて半導体製造技術の基盤となったイオン注入技術、電子部品の重要な材料である水晶やフェライト単結晶の製造技術など、多くの分野において中核となる技術を開発してきた。

昭和40 年代後半になって、世界的な資源ナショナリズムの台頭により、資源・エネルギーに関する技術開発の必要性が唱えられた。エネルギー関連技術に関する委託開発では、地熱発電技術に取り組み、わが国における地熱発電の先鞭をつけるなど、時代に先駆けてエネルギー関連技術の開発を推進してきた。エネルギー危機の発生以降は、海洋エネルギー、太陽エネルギー、廃熱等の有効利用など、代替エネルギー技術や省エネルギー技術の開発に、一層積極的に取り組んできた。

一方、産業の新たな展開を図るため、エレクトロニクス分野において多くの委託開発を行ってきたが、その中には、世界最高の輝度を有する発光ダイオード、日本で生まれた半導体素子の静電誘導型トランジスタなど、世界的にも注目されているものが多い。

また、材料分野についても、優れた特性を有するアモルファス金属、世界で初めて自動車エンジン部品に採用された窒化ケイ素セラミックス、世界最高性能の熱陰極となるホウ化ランタン単結晶など、多くの優れた材料を開発している。

医薬品分野は、開発に長期間を要すること、動物実験のデータから臨床試験の結果を推定することが難しいことなど、他の分野とは異なった開発のリスクを有しているが、世界に先駆けて脳腫瘍や悪性黒色腫に効果のあるインターフェロン製剤や、遺伝子組み換えによるB型肝炎ワクチンの開発を成功させ、社会に対して多大な効果を与えた。

医療機器においては、医療従事者の肝炎感染を激減させたパック型人工腎臓、深部がんの治療を可能にした世界初の温熱療法装置、診察室やベッドサイドで診断できる小型超音波診断装置等の開発を行った。

平成年代に入ってからは、酸化物超電導材料や非晶質アルミニウム合金など新素材の開発や青色発光ダイオードなどデバイスの開発が目立つ。なかでも青色発光ダイオードは、昭和62年から平成2年まで開発を進めてきたが、現在までに売上高3兆6千億円に達し、携帯電話や大型カラーディスプレイなどに幅広く用いられ、社会に大きく貢献している。

また、金属微粒子の製造技術やガスセンサーの開発など昭和56年から始まった創造科学技術推進事業の研究成果の一部が早くも開発段階を迎え始めた。

米国では、少しさかのぼる1970 年(昭和45 年)ごろから、日本企業の台頭により鉄鋼、自動車、家電、コンピュータ、半導体など主要な産業分野が衰え、自国経済は停滞していた。そのため、既に1980 年(昭和55 年)代初めから産学連携、技術移転の重要性を認識し、通称バイ・ドール法をはじめとするさまざまな産学連携強化策を打ち出している。このような施策を背景に、米国の産学連携は活性化し、ベンチャービジネスが多数設立され活動を開始するなど産業のダイナミズムを獲得していった。

このような米国の状況を背景に、これまで事業団が主体的に行ってきた日本の技術移転事業は、平成7年あたりから大きな環境変化を迎えた。

主要なところでは、平成7年制定の科学技術基本法、平成8年の科学技術基本計画(第1期)、平成10 年の大学等技術移転促進法(TLO法)、平成11 年の産業活力再生特別措置法(日本版バイ・ドール法)、平成13 年の政府主導による産学官連携サミット、平成14 年の知的財産基本法、平成16年の国立大学法人化などがあり、国全体で産学官連携による技術移転を促進する基盤が整えられた。

この間、事業団は平成元年に新技術開発事業団から新技術事業団に改称、平成8年10 月には日本科学技術情報センターとの統合により、科学技術振興事業団として新たに発足した。さらに7年後の平成15 年10 月には独立行政法人化し、科学技術振興機構(JST)として生まれ変わった。

このような状況にあって、委託開発の制度改革も進み、平成11 年度には中堅・中小企業向けの特例枠、平成13 年度には新規企業枠(設立5年以内)を設けた。さらに、平成16 年度には委託条件の見直し、平成19 年度には返済条件の見直しを行うとともに、委託開発に入る前のFS(実用化のための可能性試験)段階およびベンチャー企業支援のための新制度(革新的ベンチャー活用開発)を設けた。平成20 年度からは、研究開発期間が長く費用負担も重い創薬研究開発型企業の支援を行うべく創薬イノベーションの制度を創設した。

このように、委託開発は社会情勢の変化に応じて仕組みを巧みに変化させ、平成19 年3月末現在までに616 件の開発を実施、科学技術庁長官賞、大河内賞、井上春成賞、市村賞など延べ約100件の賞を受けるなど技術移転の促進・事業化に貢献している。

2. 開発あっせん

開発あっせん制度は、国立試験研究機関、大学等における研究成果の中で、開発に伴うリスクが比較的小さいものを企業に開発あっせんし、企業化を図ることを目的としている。

事業団発足当初は、企業が要望する新技術(ニーズ)と国立試験研究機関等の研究者から提出のあった新技術(シーズ)とのギャップが大きいこともあって、開発あっせんの成立はあまり多くなかったが、昭和42 年に国有特許を一元的に取り扱うことができるようになり、その扱う対象が拡大した。

また、同年、産業界の事情にも明るい学識経験者からなる「国有特許あっせん委員制度」を発足させ、積極的に開発あっせんを行うこととした。

昭和48年には、研究成果の育成・保護を図るため研究者に対する特許指導を開始した。53 年には有用な研究成果をまとめた新技術情報誌を発行するとともに、地方における新技術説明会を開催した。さらに、56 年から61 年にかけて、全国を8ブロックに分け、各地区にあっせん委員を委嘱し、全国規模で各地域の実情に即した開発あっせん活動を進めることとした。

これらの活動と並行して、昭和49 年には、中小企業に対する開発あっせんを促進するための「あっせん促進費」を、54 年には、複数の研究成果を組み合わせ、新しい用途を開拓するための「技術加工費」を設け、あっせん制度の充実を図った。

開発あっせん課題としては、[1]エレクトロニクス関係ではガラスファイバー伝送路、フォルステライト固体レーザホスト [2]新材料関係では繊維状チタン酸アルカリ金属、耐熱・耐アルカリ性アルミノケイ酸塩ガラス、高性能磁性流体、炭化ケイ素焼結体 [3]医療・福祉関係では遅延電線式シンチレーションカメラ、歯科用アパタイト質セメント、超微量生体関連物質の測定装置 食品関係ではブドウ糖異性化技術、透明卵白の製造技術[5]その他、大気圧プラズマによる表面処理技術、真空熱処理炉、放電加工面の精密仕上装置等の課題を企業等にあっせんした。

平成年代に入り、開発あっせんはさまざまな環境変化に大きな影響を受けてきた。

平成10 年の大学等技術移転促進法(TLO 法)の制定により、これまで事業団が独占してきた国有特許業務が、新たに設立された技術移転機関(TLO)へ開放されることとなった。また平成11 年制定のいわゆる日本版バイ・ドール法により、委託先が特許権を持つことができるようになり、さらに平成16 年には国立大学の法人化により、大学における発明は原則として機関帰属となったため、事業団所有の特許は減少する傾向になってきた。

このような環境変化を受け、大学研究者の特許費用を代替していた有用特許制度は廃止となった。

その一方で、平成15 年の科学技術振興機構発足の年、あっせん委員を実用化促進委員として発展解消、平成16 年には大学の特許出願を支援するための特許化支援事業を創設し、特に大学にとって極めて大きな費用負担となる海外特許出願を幅広く支援していくこととなった。

なお、事業団(機構)では、大学・公的機関等で生まれた研究成果のライセンス活動を「開発あっせん」、事業団(機構)基礎研究の成果などで機構が出願人になっている特許のライセンスを「実施許諾」と呼んでいるが、基礎研究の成果が顕著に現れ始めた平成10 年代に入り、先端的な技術分野の実施許諾が増加してきた。

例えば、[1]電気電子分野ではコンビナトリアルレーザーMBE装置、均一微小磁界発生装置、高温超電導用ガスデポジション [2]機械分野ではヒューマノイドロボット [3]化学分野ではルテニウム水素移動型還元触媒、フラーレンの精製法 医療福祉分野では疾患モデル動物などが挙げられる。

一方、海外あっせんの分野では、昭和48 年から十数年間イギリス研究開発公社(NRDC、現在は民間企業BTG)、フランス研究工業化機関(ANVAR)等との技術移転に関する国際会議(NRDO 会議)への参加、英文技術紹介誌の配布や海外展示会への出展などの活動が行われ、金属短繊維やブドウ糖異性化などの技術を海外あっせんしてきた。

平成10 年度に入り、基礎研究の成果が顕著になるにつれ、海外あっせん(実施許諾)が年間3~4件成立するなど以前より増加している。

主なあっせん先は、米国、英国、オランダ、スイス、カナダ、ドイツであり、脳神経疾患の細胞治療技術、光学活性アルコール類の製造技術などバイオ、化学系の技術分野が多くなっている。

事業団(機構)所有の特許は減少傾向にあるが、実施許諾を含めた開発あっせん成立件数は減少しておらず、平成19 年度は特許ベースで200 件、58 社への開発あっせんを成立させている(累積特許数では2,475件、1,398社)。

「技術移転」に影響を与えた基礎研究

わが国の経済は、昭和50 年代に入り資源ナショナリズムの台頭、各種貿易摩擦、新興工業国の追い上げ、技術導入の困難化などにより一段と厳しくなってきた。

こうした状況のもと、基礎的なレベルでの創造的な研究は不可欠であるとの認識から、昭和54 年から事業団内部において新しい研究システムの創設に向けての検討が開始された。一方、科学技術庁においても科学技術政策の柱の1つとして革新技術の芽の探索研究の重要性を認識し、その具体的推進方策の検討が進められていた。

このような情勢から、昭和56 年10 月、事業団に創造科学技術推進事業(ERATO)が発足した。

同事業の第1期生は、ナノテクノロジーの先駆けとなった林主税氏の「超微粒子」、アモルファス金属の先駆者である増本健氏の「特殊構造物質」、分子設計の緒方直哉氏による「ファインポリマー」、化合物半導体時代を開いた西澤潤一氏の「完全結晶」である。

創造科学技術推進事業発足後、平成元年には国際共同研究、平成3年には独創的個人研究育成事業(さきがけ研究)が相次いで発足、平成8年には科学技術基本計画(第1期)に裏打ちされた戦略基礎研究が発足した。

これら一連の基礎研究事業の発足は、事業団の性格を大きく変化させただけでなく、技術移転事業にも好影響を及ぼすこととなった。

先端的研究成果の展開

昭和56 年度に発足した創造科学技術推進事業の最初のプロジェクトが5年後に終了するにあたって、その研究成果の展開方策についての対応策が急がれていた。科学技術庁で、創造科学技術推進制度研究成果等検討会が設置され、研究成果の活用の可能性を引き出すための試験が必要であるとの指摘がなされた。

このような背景のもとに、昭和61 年度から、「先端的研究成果展開事業」が発足した。本事業は、国立試験研究機関、大学等をはじめ創造科学技術推進事業等で生まれた先端的研究成果について、革新技術としての可能性を見極めるため、異業種複数企業が参加するコンソーシアムを形成して当該研究成果についての展開試験を行うものである。

「変成ジルコニア系セラミックス材料」「高温超電導材料」などの国立試験研究機関、大学等の研究成果のほか、創造科学技術推進事業で生まれた「超微粒子のガスデポジション」「アモルファス金属微粒子」をはじめ、数多くの成果について展開試験を実施している。

先端的研究成果展開事業は、その後、独創的研究成果育成事業等その名称や仕組みを社会の要請に対応させながら、現在、独創的シーズ展開事業(独創モデル化)として研究成果の確認とそれに基づく試作品づくりなど、企業が事業の可能性を見極める場として評価されている。

主な課題には、ヒートアイランド現象の緩和を指向したコンクリートブロックの開発、高度救命用患者シミュレータ、薬物間相互作用の予測システム、光触媒分解浄化装置など環境や医療福祉に関する課題も多いが、金型加工用超高速ミーリングマシンや三次元断層ナノ空間分光システムなど精密機器に関する課題など多方面に及んでいる。

大学発ベンチャーの創出に向けて

大学等の研究成果を実用化する方策として、試作品づくり、委託開発、あっせんなどがあるが、ベンチャーを起業することも有力な手段となるため、平成11 年度に新規事業指向型研究成果展開事業(プレベンチャー)を発足させた。

プレベンチャー発足の時期は相当早く、例えば、平成13 年に経済産業省で構想され平成14 年から実施された「大学発ベンチャー1000 社構想(いわゆる平沼プラン)」が出る3年前のことである。

この事業は、一定期間内に大学等の研究成果をもとに起業することを促すもので、研究者等から注目を集めてきたが、文部科学省の類似制度との調整を経て、現在、「独創的シーズ展開事業(大学発ベンチャー創出推進)」として運営されている。

平成19 年度末までに63 のベンチャーが起業され、精密微調機構用圧電アクチュエータ、骨組織の再生療法、多次元流体計測システム、生体シグナルの動態解析試薬等の事業分野で活動している。

技術シーズの顕在化と育成

基礎研究の成果をイノベーションの創出につなげるためには、試作、開発、起業化など事業化に向けた方向がある一方、基礎的な研究の成果の中から将来の技術の種を見つけ育てていくことも重要である。

そのため平成18 年度から「産学共同シーズイノベーション化事業」を新たに発足させた。

この事業は、産業界の視点から将来の技術シーズ候補を顕在化させる「顕在化ステージ」と、産学共同研究により技術を育成しイノベーションの創出を目指す「育成ステージ」の2段階で構成されている。

発足当初より研究者、企業双方から幅広く支持され、平成19 年度までに、顕在化ステージ301 件、育成ステージ19 件を採択し、研究成果の発掘・育成に努めている。

主な技術課題に、半導体ナノCMOS プロセスシミュレータ、アディポネクチンを標的とした生活習慣病の機能性食品等がある。

地域における技術移転の促進

平成7年度に科学技術基本法が制定され、翌年に科学技術基本計画が閣議決定されたが、その基本的方向は、社会的・経済的ニーズに対応した研究開発の推進と基礎研究の積極的な振興であった。

事業団ではこの趣旨を踏まえ、平成8年度に地域研究開発促進拠点(RSP)事業を始め、全国で7名の科学技術コーディネータを「コーディネータ」の名前で初めて任命し、地域内を中心とする技術シーズの事業化のためのネットワーク構築に着手した。

平成11 年度にはネットワーク構築型に加え、地域の研究成果を育成する研究成果育成型を創設しその幅を広げてきたが、それぞれ平成14 年度、17 年度にその役割を終えた。

この間、経済産業省の産業クラスター計画(平成13 年)、文部科学省の知的クラスター創成事業(平成14 年)が発足、平成19 年度には連携施策群の地域科学技術クラスターとして、農林水産省の食料産業クラスターと共に連携を強めているが、日本のクラスター政策の基盤づくりに果たした役割は大きい。

また、平成9年度には、地域における研究ポテンシャルである大学、公設試験研究機関、研究開発型企業などの研究セクターを結集して共同研究を実施する地域結集型共同研究事業を創設した。平成17 年度から一部のスキームを改訂し、地域結集型研究開発プログラムとして総合的に運営している。

一方、平成11 年には地域における技術移転をさらに促進するとともに、地域の利便性向上のため、JST イノベーションプラザおよびサテライトの設置に着手、現在までに全国8カ所のプラザ、8カ所のサテライトにコーディネータを配置し、地域振興のための活動を行っている。

平成17 年には、コーディネータとしての活動を一層強化するため、コーディネータの推薦を前提とするシーズ発掘試験を創設、平成18 年度には育成試験、研究開発資源活用型と併せて重点地域研究開発プログラムとして運営している。

主な成果として、例えば育成試験では、BSE 検定などの高感度分析ユニット、生体の網膜が持つ画像処理機構を再現した視覚センサ、カーボンナノチューブ小型合成試験装置などがある。

技術移転にかかわる総合的支援

機構では、大学等で生まれた研究成果と企業とのマッチング機会を拡大させるため、これまでの研究成果展開総合データベース(J-STORE)に大学等が所有する特許も掲載するなど、その機能を大幅に拡大するとともに、大学の研究成果とリンクする技術シーズ統合検索システム(e-seeds.jp)の提供を行っている。また、平成16 年の国立大学法人化を契機に大学見本市を独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構と共催するなどの活動を幅広く行っている。さらに平成17 年度から研究者が企業に直接説明する機会を提供する、新技術説明会やイノベーションブリッジを頻繁に開催し成果を挙げている。

中でも新技術説明会は、平成17 年度から始め、平成18 年度末までに29回(55 大学)開催し、413技術を紹介、マッチング件数228件(技術ベースで96 件)と効果的である

なお、マッチングには、技術指導、サンプル提供、共同研究、研究会、ライセンス等を含めている。

また、平成19 年度から始めた「良いシーズをつなぐ知の連携システム(つなぐしくみ)」は、機構が特許調査や市場調査を行い、事業への発展性を評価分析し、次のステップへつなぐための支援を行うユニークな制度で今後の展開が期待される。

さらに、コーディネータ人材1,700 名のデータベースの公開、既に過去5年間に延べ2,500人以上が参加している目利き人材育成研修の継続的な実施など、技術移転に関連する総合的な支援を実施している。

技術移転の新たな発展を目指して

グローバル化の進展により、企業はこれまで以上に技術変化や市場変化に俊敏に対応する必要から経営資源の選択と集中を進めているため、外部機関との連携がますます重要となってくる。

また、大学においても、これまでの研究と教育に加え、研究成果の実用化による社会貢献が要請され、独立行政法人化後の法人運営の難しさとも相まって技術移転を積極的に推進していく必要性に迫られている。

このような情勢から、産学官連携による技術移転、事業化は、金融機関や海外機関との連携などこれまでの産学官連携の枠を拡大しながらグローバルに展開していく方向にあるが、連携はあくまで手段、要は「知」と「知」、「シーズ」と「ニーズ」を結合させ、新しい「価値」を創り出し、イノベーションにつなげることが重要である。

しかし、基礎的な研究成果を事業化してイノベーションを起こすのは容易ではない。

幸い当機構は、研究成果の創出、技術シーズの発掘、育成から事業化まで幅広く支援する仕組みを持っており、技術移転にかかわる一連の経験とノウハウを50 年にわたり蓄積している。

大学や研究機関の研究成果を企業に技術移転し、事業化を促進する当機構の役割は今後ますます重要になるものと期待される。