2009年2月号
特集  - 独創技術 事業化への苦闘と陶酔
液晶カラーテレビが誕生するまで
~東北大学 内田教授とシャープ~
顔写真

西山 英作 Profile
(にしやま・えいさく)

社団法人東経連事業化センター
副センター長


液晶技術は1968年に米国で誕生した。その後、東北大学の内田龍男教授がセル内カラーフィルター方式を1981年に提案し、企業が液晶技術を確立するのに大きく貢献した。電卓、ワープロ、そしてカラーテレビと液晶の用途は広がってきた。シャープの製品開発を例に、その長い事業化のプロセスを考察する。

はじめに
写真1

     写真1 
          東北大学大学院
          工学研究科長・
          工学部長、教授 
          内田 龍男氏

テレビCMでイメージキャラクター吉永小百合が登場する美しい映像が流れるシャープ株式会社の液晶カラーテレビ「AQUOS」。まさに液晶技術の集大成だ。同社は「液晶テレビといえばシャープ」をアピールし、世界的なブランドの地位を築いている。

同社がこの液晶の技術を確立するのに、東北大学の内田龍男(現在、東北大学大学院工学研究科長・工学部長、教授)(写真1)研究室の存在を無視することはできない。本稿では、内田教授へのインタビュー(2006年11月27日)を通じて、シャープの事例を通じて液晶という独創的な技術が事業化に至るプロセスを考察する。

「境界領域の融合」がイノベーションを生み出す

液晶技術は1968年、米国のRCA(Radio Corporation of America)で生まれた。電子工学(半導体)の権威の東北大学の和田正信教授(当時)が強く関心を持ち、1970年、修士課程の学生だった内田龍男氏に液晶の研究を指示した。こうして東北大学の液晶の研究開発の歴史が始まった。

修士論文のテーマが決まった内田氏であったが、悩みは深かった。生まれたばかりの液晶技術は、電子工学の知識だけでは実用化は難しい。理論構築には、物理学の知識が不可欠であり、液晶材料の開発には化学の知識が必要だ。すなわち、物理学、化学、電子工学の「境界領域の融合」なしには、液晶の実用化はありえない。内田氏は図書館にこもるとともに異分野の講義を受けながら、化学などの知識を身に付けていった。

境界領域の融合に取り組む内田氏は、液晶の化学合成と精製に1年を費やした後、たった1年で重要な現象を発見。液晶の分子配列は当時、表面エネルギーによって決まるといわれていたが、化学の実験を続けるうちに内田氏は疑問を感じ「表面エネルギーではなく、微小な不純物の吸着が原因」との仮説を立て、1972年には論文として発表した。これをさらに発展させて、表面の微小構造説、分子間相互作用説などを発表している。

内田氏は「電子工学をバックグラウンドとする私が化学や物理学の知識を必死になって吸収しようとしたこと、化学の素人が故に既存の概念に縛られなかったことが良かったのかもしれない」と当時を振り返る。今では内田氏の理論が世界的にも認められ、液晶ディスプレイ製造の基礎として応用されている。

液晶カラーディスプレイの事業化

1972年以降の多くの内田氏の論文を見た日本の大手電機メーカーは、次々と和田教授と内田氏のもとを訪ねるようになった。特にシャープは積極的であった。同社はテレビジョンを製造していたが、肝心のブラウン管技術を持っていなかった。こうした背景もあり、同社の社運をかけた液晶プロジェクトがスタートした。

早速同社は、液晶の小型で省電力という特性を活かし、電卓表示(1973年)、ワープロの代表機種の1つである「書院」のディスプレイ(1981年)等に応用していった。しかし、当時のディスプレイは白黒表示であり、カラーのディスプレイへの道のりは遠く、実現は難しいと考えられていた。

こうした中、内田氏は1981年にセル内カラーフィルターとバックライトを組み合わせた液晶カラーディスプレイに関する論文をヨーロッパで発表した。しかし、画像研究の権威者らから「この方法では色もきれいにでないはずだ。液晶は省電力が強みなのに、なぜわざわざバックライトを入れてエネルギー効率を悪くするのだ」との批判が相次いだ。

写真1

              写真2 シャープ AQUOS
                  (内田研究室にて)

内田教授は「色はスペクトルの問題なので、工夫の余地はある」として産学連携などを通じて1つ1つ課題を解決していった。1987年にシャープから3インチ型の液晶カラーテレビ「クリスタルトロン」が発売されたが、家庭で楽しむテレビとしてはまだ小さかった。大型化と画像の美しさの追求のための開発も続き「視野角の狭さ」や「白と黒とのコントラストの弱さ」などさまざまな課題が液晶テレビの大型化を阻んだが、これらの課題に地道に取り組み、2001年にはついに、ブラウン管をテレビの市場の中心から追いやった商品の1つであるAQUOSシリーズの発売につながった(写真2)。実に液晶技術誕生から33年、内田教授のセル内カラーフィルター方式の提案から20年の時が流れた。今ではほとんどの大型液晶ディスプレイは、セル内カラーフィルター方式を採用している。

バックライトのない液晶

「バックライトがエネルギー効率を悪くしている」という課題をなんとか解決したい。内田教授の挑戦はさらに続いた。1984年に内田教授はバックライトなしの「反射型カラー液晶ディスプレイ」の開発に着手。シャープも関心を示し1988年ごろから開発を始めた。

まず小型のディスプレイをターゲットに取り組んだ。課題の1つはカラーフィルターに多くの光が吸収され、明るさが取れないことであった。この解決は一筋縄ではいかなかった。つまり明るくすると、鮮明な色を出せないのだ。しかし、内田氏はこのジレンマを理論解析と実験を繰り返して課題の1つ1つを解決していった。

ついに1998年に同社が「反射型カラー液晶ディスプレイ」をリリース。その後、任天堂株式会社の「ゲームボーイ」にも採用された。このテーマで内田教授とシャープは、2005年の第4回産学官連携功労者表彰文部科学大臣賞を受賞している。

産学連携のモノサシが短くなっている

産学連携の現状について内田氏に伺うと、「かつては企業の中央研究所が窓口となって産学連携が進んでいた。しかし、企業の中で基礎研究に近い部分を担当していた中央研究所がなくなり、企業は基礎研究を大学に頼るようになった。以前は大学と企業の中央研究所が接点となって実用化の橋渡し役を務めてくれたが、昨今は大学の基礎研究との距離がありすぎて接点をつけ難くなった」と語る。こうなると大学が産学連携を進めるには、事業化を意識したテーマ設定を行う必要がある。実はここに産学連携の大きなギャップが生まれている。

また、全国的にTLO(技術移転機関)が設立されているが、そのTLOによる特許出願も決してプラスの側面だけでないようだ。TLOの視点からみると、大学の研究に対して短期で事業化が見込め、短期にロイヤルティが入る特許にのみスポットライトが当たりがちだ。

短期的な事業化は難しいが、10年程度で産業に大きなインパクトを与えそうな研究の特許出願、維持、国際出願、係争などにTLOが積極的にかかわることが難しい。日本の産学連携のモノサシが短くなっている。国際競争で勝ち抜くには、この段階で大学として戦略的な特許取得を検討することが重要であり、ドラスチックなイノベーションもこの段階から生まれる。幸い東北大学では、TLOである株式会社東北テクノアーチと大学の産学連携推進本部の連携で良い方向に動きつつあるようだ。

わが国がドラスチックなイノベーションを持続的に引き起こすには、大学と企業が産学連携の成果を拙速に求めるだけはなく、欧米に負けない戦略性を持つことが必要だと改めて感じた。