2009年3月号
特集  - 農の力 食の夢
暗闇が育てるホワイトアスパラガス
産地復活への希望の光
北海道でホワイトアスパラガスが作られるようになったのは大正時代で、その後生産が飛躍的に増加した。欧米に輸出される缶詰用だった。全盛期は昭和40~50年代。中国などでもホワイトアスパラ生産が広がり、欧米への缶詰輸出でも日本産を圧迫した。わが国のホワイトアスパラ生産は急減した。半ば忘れられていた農産物だが、数年前から生(青果)のホワイトアスパラを料理に使うレストランや消費者が増えてきたのを受けて産地復活に向けて産学官が動き出した。

「小学生の時、夏になると毎日畑に行ってホワイトアスパラガスを採るのが私の日課だったんです。太陽に当たると頭の白い部分が黄色から緑に変色して商品価値が一気に下がるので、日の出までの薄暗いうちが収穫時間帯でした」

証券会社に勤めるAさんは懐かしそうだった。定年まであと2年というから、半世紀ほど前のことである。

ある会議の後の懇親会。筆者が前日、北海道の日高地方のホワイトアスパラガス生産者を訪ねたことを話すと、「実は…」と突然語り始めたのだった。話題にしたのは全くの偶然。Aさんが札幌市と新千歳空港の間にある北広島市出身であることを知った。

ホワイトアスパラは大正時代に北海道に導入され、飛躍的に生産が増加した。すべて缶詰に加工され欧米へ輸出。ホワイトはグリーンと同じ品種で、白くするため根株の上に土を盛り、日を遮って育てる。

「盛土の上部に小さなひび割れがあると、その下にアスパラが伸びてきていると想定し、横からノミ状の刀を差して根元を切ります。そのまま梃子(てこ)の原理で切り口を刃で押し上げ、顔を出したアスパラの頭をつぶさないように上から5センチくらい下の部分をつまんで収穫します。土から取り出したアスパラは箱の中に入れ、布切れを上にかぶせながら収穫を続ける、という手間のかかるものでした」とAさん。

しかし、その缶詰輸出の全盛期は昭和40年代から50年代。ホワイトアスパラガスの生産技術が中国などへ移転されて生産が広がり、欧米への缶詰輸出でも日本産を圧迫した。一方、40年代からグリーンアスパラガスの生産が始まり、いつしか、北海道のアスパラ畑は大半が手間のかからないグリーンに転換してしまった。ホワイトは缶詰加工用としてごく一部の生産者が手掛けるだけだった*1

缶詰ではなく青果の需要

そのホワイトアスパラガスにいま、農業関係者が熱い視線を注いでいる。本格的に生産を復活させ「北海道」のブランド化を目指す機運が高まっている。しかし、かつての隆盛時とは条件が異なる。今回は生(青果)のホワイトアスパラを料理に使うレストランや消費者が増えてきたことが背景にある。ホワイト主流の欧州で修業した料理人たちが積極的に使い始め、そうしたレシピが雑誌やテレビで紹介されている。サラダやパスタの具、ピクルス、肉料理の付け合わせ、さらに、天ぷらなど用途は多彩だ。価格がグリーンの数倍するのも生産者には魅力だ。

かつてと違うもう1つの点は、土を盛る方法(培土法)に代わり、陽光を遮るフィルムを使った新しい栽培法が広がるなど、技術革新が進んだことである。

「復活」というより、全く新しい品目といってもいいだろう。

温度、湿度の管理は研究途上
写真1

写真1 グリーンアスパラガス



写真2

     写真2 ハウス内のホワイトアスパラガス
         (左から、事務長・白井正利 氏、
          副代表・橋本寛隆 氏、
          アスパラリーダー・木島誠二 氏)

訪ねたのは営農集団ファームホロ(幌村司代表、北海道新ひだか町)。規模が大きく販売力があり、新しい手法を積極的に取り入れていると、事前取材で関係者が一様に推薦してくれた所だ。札幌から、合併前の旧三石町役場前まで高速バスで約3時間。そこから、馬を育てている牧場の間を縫って車でさらに15分ほど奥に入るとハウス群が見えてくる。

ファームホロは230平方メートルのハウス37棟でアスパラガス(グリーン、ホワイト、一部紫アスパラ)を栽培している。ハウスの内側が遮光フィルムで覆われていて、中に入ると完全な暗闇。ライトで照らすと、グリーン(写真1)と同様、白いアスパラガスが見える。月並みだが、地表からにょきにょき生えているという表現がぴったりだ(写真2)。

「地面から45センチ高くしていて、下に電熱線を入れて土を温めている。ボイラーもたいている」とアスパラリーダーの木島誠二さん。これなら収穫作業は楽だし、いつでも収穫できる。

「2006年2月に始めたグリーンアスパラに続き、ホワイトを07年から手掛けたが、最初はうまくいかなかった。出荷できるようになったのは昨年3月から。昨年の収穫は12トンだった。今年はこの倍くらいになるのではないか」と副代表・場長の橋本寛隆さんは期待する。

ファームホロは、代表の幌村さんが経営する幌村建設株式会社の支援を受けて05年7月に開業したもの。アスパラと花のデルフィニウム(330平方メートルのハウス40棟で栽培)の2本柱で、橋本さんら社員4人とパート17人で動かしている。工事量が減っている建設会社にとっては貴重な雇用の受け皿である。

ホワイトアスパラ生産は軌道に乗りつつあるように見えるが、事務長の白井正利さんは「温度、湿度をどう管理するかはまだ研究途上」と研究者との連携の重要性を強調する。地元の金融機関に長年勤めていた白井さんは、販路開拓や研究・支援機関との交渉に当たっている。顔の広さとフットワークの良さを生かし、札幌の大型店に土産用のアスパラを置きヒットさせたほか、直接販売(東京都内のホテル内のレストランなど4店)ルートも広げつつある。ホワイトアスパラ業界全体のキーパーソンの1人で、けん引的役割が期待されている。

遮光フィルムを利用した新しい栽培法の提案
写真3

        写真3
             北海道立花・
             野菜技術センター
             地子 立 氏

培土法の代わりに、ハウスの内側に遮光フィルムで真っ暗なトンネルをつくる方法(遮光フィルム被覆法)を確立したのは北海道立花・野菜技術センター。関心を持ち、実際に研究に当たったのは研究部野菜科の地子立(じし・たつる)さん(写真3)である。次の2つの栽培で「遮光フィルム被覆法」の利用を提案している。







北海道立花・野菜技術センター提案の新栽培法
ハウス半促成栽培=培土法によるホワイトアスパラの露地栽培の場合、収穫は5月半ばから7月上旬。「遮光フィルム被覆法」を利用したハウス栽培だと、3月半ばから5月中旬に収穫できる。付加価値が付き、ギフト需要も見込める。収穫時期を露地栽培より2カ月ほど早めることができるので「半促成」という。
伏せ込み促成栽培=真冬の12月から2月にかけて収穫できるので「促成」という。歳暮、クリスマス関連の需要、観光客の土産用などの需要が見込める。「遮光フィルム被覆法」と「伏せ込み」という促成栽培法を組み合わせる。アスパラは多年生の作物で定植後3年目から収穫が可能になり、10年から15年収穫できる。「伏せ込み」は1年目の根株を掘り取り(写真4)、それをハウス内の温床にぎゅうぎゅうに詰めて伏せること(写真5)。ウド栽培などで用いられている方法という。ただし、この伏せ込み促成栽培は1シーズンしか収穫できない。

写真4

写真4 根株掘り取り



写真5

          写真5 根株の温床への伏せ込み
              (写真4、5共に北海道立花・野菜
              技術センター提供)

地子さんが遮光フィルムを用いた方法の予備試験を開始したのは2004年から。05~07年にセンターとして本格的な試験を行い、08年2月に上述の2つの方法を公表した。「培土法は土の中でアスパラが育つため収穫作業に熟練の技が必要。土から頭を出し日光に当たると色が付いてしまうので1日に2~3回収穫しなければならない。遮光フィルム被覆法では採り遅れもないし、作業も楽」と地子さんは利点を強調する。

現在、こうした栽培法を取り入れる生産者が爆発的に増えているようだ。地子さんが研究を始めたのと前後して、何人かの生産者は自主的に遮光フィルムを活用し始めていた。

一方、北海道立花・野菜技術センターが昨年11月、滝川市で開催したホワイトアスパラガスの新しい栽培法説明会(「アスパラガスフォーラム」)には生産者のほか、行政の農業改良普及センター、農協の営農指導関係者など約100人が参加。この人たちを通じて農家に広まっている。「生産者の関心が非常に高い。すでに北海道内で40~50戸が作り始めているのではないかとの見方があるが、あるいはもっと多いのかもしれない」と地子さん。

用途開発に向けクラスター始動
写真6

       写真6
            弘前大学農学
            生命科学部准教授
            前田 智雄 氏



写真7

        写真7
             北海道バイオ産業
             振興協会
             高橋 達夫 氏

用途開発、地域ブランド化を目指す運動も始まった。「北海道ホワイトアスパラガスクラスター協議会」の取り組みだ。NPO法人北海道バイオ産業振興協会(HOBIA)に事務局がある。この仕掛け人は弘前大学農学生命科学部の前田智雄准教授(写真6)。北海道大学園芸学研究室修了後、企業と社団法人で研究に従事。北海道大学の社会人大学院に通い、2005年、アスパラガスの機能性の研究で学位を取得した。昨年8月から現職である。各地に足を運んでいるので、アスパラの世界ではよく知られた人である。

青果用のホワイトアスパラには新しい産業の可能性があるとみた前田さんは、06年秋、北海道バイオ産業振興協会の高橋達夫さん(フーズ&アグリ・バイオ・ネットワーク事業 クラスター・マネージャー)(写真7)にホワイトアスパラのクラスター構想と用途開発について提案。高橋さんは道庁OBの人脈を生かし、08年夏までに、道内12の市や町の生産者やJA、さらに加工業者のネットワークをつくり、普及活動に乗り出している。

前田さんはクラスターをつくろうと思った理由として3つ挙げている。

これまでの栽培法である「培土法」と新しい「遮光フィルム被覆法」では生産されたホワイトアスパラの味が違うが、これは優劣ではない。生産者が正しい情報を共有することが重要。
ホワイトアスパラを作りたいという機運だけが盛り上がっても、生産技術が向上し、アスパラの品質が良くならなければ長続きしない。また、市場が広がらなければ早々に生産・価格は頭打ちになってしまう。
市場開拓は一生産者ではできない。

農商工連携でピクルス開発

高橋さんが前田さんから具体的に相談されたことの1つは、売り物にならない規格外の「細物」の活用法。伏せ込み促成法は1年ものの根株なので細くなりがちだ。そこで高橋さんがコーディネートしたのは、営農集団ファームホロと、加工品開発を担当する株式会社大金(旭川市)の農工連携。長さの規格23センチに合わせるため切り捨てた部分(切り下)、曲がったものなどの活用法を探るのも狙いだ。

開発しているのは2つ。1つは「切り下」や曲がったものを原料とした食酢。2つ目は細物アスパラのピクルス。ピクルスにはこのアスパラ酢を使うだけでなく、塩など原材料すべてに北海道産を用いることがセールスポイントだ。

ホワイトアスパラ生産への関心が高まっていることについて、ファームホロ事務長の白井さんは「北海道全体、あるいは道内の各地域が産地として認められるには、いい品質のものを安定的に供給できるかどうかにかかっている。生産者Aが規格外としてはじいている品質のものを生産者Bは出荷している、というケースもある。課題は多い。研究者、行政機関などと連携し、情報を共有化することが大切だろう」と述べている。

★     ★

さて、冒頭で紹介したAさんの思い出話はこう続いた。夜明け前にホワイトアスパラの収穫をしていた小学生時代の弁当は麦7割に米3割。開拓農民の子どもたちはみんなそうだった。「親が学校の先生や農業試験場職員の家は白い弁当。麦が7割だと冷えても固まらないので、かき込まないと食べられないんです。弁当の代わりにトウモロコシ2本の子も。校舎の中では裸足の子どももいた時代ですから」

筆者が、土を盛らない新しいホワイトアスパラの栽培法が広がっていることを話すと、Aさんは身を乗り出して「それって、すごいイノベーションですね」。

遮光フィルムでつくられた暗いトンネル。その漆黒の闇が、ホワイトアスパラガス産地復活への希望の光となるのだろうか。

(登坂 和洋:本誌編集長)

*1
ホクレン農業協同組合連合会「GREEN」No.207を参照。