2009年6月号
特集  - 産学官連携の新たな挑戦
元 株式会社アルバック社長 林 主税氏
修練を積んだ人がイノベーションを起こす
顔写真

林 主税 Profile
(はやし・ちから)

元 株式会社アルバック社長



聞き手・本文構成:登坂 和洋 Profile

(本誌編集長)



アルバック創立に参加

林主税(はやし・ちから)氏。86歳。真空総合メーカー、株式会社アルバック(神奈川県茅ヶ崎市、東証第1部)の元社長(社 長在任は1971~1986年)である。

大正11(1922)年、東京生まれ。父親が台湾の中学教師になったのに伴い小学校、中学校、高等学校は台湾で卒業。昭和 17(1942)年東京大学理学部入学。同19(1944)年9月、繰り上げ卒業し、愛知県の豊川海軍工廠(とよかわかいぐんこう しょう)に海軍士官として送り込まれた。大勢の若い工員の管理に加え、空襲を受けたときの機銃砲台長という役目。空襲に よって豊川海軍工廠だけで約3,000人が亡くなった。

戦後、大手光学メーカーに就職したが、1日で辞めた。「夕食後、同じ寮の社員が愚痴や雑談ばかりで、こんな連中と一生付 き合っていくのでは生き残った意味がない。死んだ仲間に申し訳ない」。そして、東京大学で研究生活を送っていたとき「日本 真空技術(アルバックの旧社名)という会社をつくるから来ないか」と誘われて参加。

アルバックの創立は1952年8月。当時の本社は東京都港区にあった。「日本に真空技術を根付かせ、産業に貢献しよう」と いう若き創始者の志に松下幸之助(当時、松下電器産業会長)ら6人の著名な財界人の出資(ポケットマネー)を得ての船出だっ た。社長は石川芳次郎で、役員には松下幸之助のほか、弘世現(日本生命社長)、山本為三郎(朝日麦酒社長)、大沢善夫(大沢 商会社長)、藤山愛一郎(日本商工会議所会頭)らが名を連ねた。最初の事業は、米国の真空メーカーからの輸入販売が中心だっ た。

1955年、同社は大森工場(東京都大田区)を開設し、真空機器の国産化の第1歩を踏み出した。ここからわが国で唯一の真 空技術を活用した総合機器メーカーとしての地歩を固めていった。後に、同社は、先端技術を利用したベンチャー企業1号と も言われる。大企業になった現在も、ベンチャー精神を残している*1



与えられる能力

新産業育成とおっしゃったら、私の感覚では20 年ぐらいかかるのが当たり前じゃないかな。何でもそうかもしれませんけれども、リーダーシップを取る人間の資質とか能力が問題なんですから。大学の先生なり何なりがベンチャーを始めても、はじめからそんな能力が備わっているはずない。

アルバックという会社はベンチャーの最初だと言われています。そのころベンチャーなんて言葉はありませんでしたけれども。振り返ってみて、そのころの僕って何ができたんだろう。基礎的な技術力はありました。基礎知識は十分ありました。米国に行っても、それは十分通じました。だけれども、それ以外に何があったのか。お客さんから罵倒(ばとう)されながら、しかしやらなきゃいかんと思ってやっていたので、そのうちにだんだん身に付いていった。会社の取締役のお1 人の松下幸之助さんは言っていましたよ。そういう人間、企業人としての能力はお客さんから与えられるものだ、お客さんに一生懸命ぶつかっていかなければ育たないと。

イノベーション

クリエイティビティーとイノベーションは違います。クリエイティビティーというのは誰にでもあるんでしょうけれども、イノベーションはそういうわけにはいかない。社会的な修練が必要です。イノベーションというのは文化なり何なりの集合体の上に乗っかってできること。やる人々の修練だけでなく、それを組織する人がそれなりの考え方と実行力を持ってないとできないですね。発明発見を育てるだけでなく、社会現象をつくり出す*2

2 年前、京都で開かれた「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(STS フォーラム)」のために来日したマサチューセッツ工科大学(MIT)学長のスーザン・ホックフィールドさんと食事をした折、このことをお話したら、ホックフィールドさんは「全くそうだ。社会的なディシプリンを積んだ人が何人も集まってだんだんイノベーションが起こるものだ」と言いましたね。

例えばMITでは、今はどうか知りませんけれども、企業など外へ出てそれなりの働きをして戻ってこないとプロフェッサーになれませんでしたよね。それは日本のシステムにはないでしょう*3

経営上の勇気

松下幸之助さんからは勇気というものを教わりましたね。経営上の勇気。例を言いますと、松下さんが役員会に出てきた、会社ができたてのころ。まだ収支は赤字ですよ。技術の責任者の僕に「どうや」とか言われるんですよ。僕は「一生懸命やっているんですけれども、お客さんの方が最初に決めた仕様をどんどん変えちゃうんですよ。注文を受けた後、ここをこう変えてくれんかと言って。それはそれでいいんだけれども、やり直した分の代金はもらえないので、コストがこうなっちゃうんですよ」という話をしたら、幸之助さんいわく、「それは初めからその分見積もりに入れておけばいいんや」と。「それで売れなんだら、あんたらのところの商品は社会的に価値がないんやからやめたらええ、会社をやめたらええがな」と。そうかと、そういうものかと。

2 つの特徴

1974 年にアルバックの米国法人をつくりました。それを任せた米国人が、IBMとの道をつけたんです。「IBM に豪傑がいるので一遍話を」と言うので会った。自分の家に呼んでくれた。彼は「IBM ではクライアントを呼んじゃいけないことになっているが、おれは招くぞ」と。

訪問し裏庭の草原で話しているうちに、IBM は真空度*4をはかるためにアトミック・アブソープション・スペクトルメーターという真空計を開発したから、それをおまえ買わないか、ときた。僕はその場で買うと言いました。どうせそんなものは安いので。今考えてみると、彼が買ってほしかったのだとは思わない。彼は決断力を見たんです。どれだけ決断が速いかというのを見た。そこで、即座に買うと言ったものだから、彼は喜んじゃって、奥さんはそっちのけで、彼は自分でステーキを焼くなどもてなしてくれた。それからさまざまな話をし、ぶどう酒1ガロンを3 人で飲んでしまった。夜中の12 時半ぐらいになったら、彼はぐうぐう、いびきをかいて寝ちゃった。翌朝8 時にはIBM のオフィスで、“初対面” のあいさつをしたのです。

その豪傑のおかげで、IBM に物が売れて、その売れた話が伝わって、アルバックというのはいい会社であるというので、ディスクも、セラミックのベースクレートをつくる設備などもたくさん売れました。もっとも、最初にその豪傑の働いていたIBMに買っていただいたシリコンウエハー表面処理装置には、多分アルバックだけにしか無かった、とても重要な2つの特徴があった。それはコンピューターによる全自動制御と主要全部品のMTBF(平均故障間隔)、MTTR(平均修復時間)データがついていたことです。競争相手は考えてもいなかったようでした*5

芸は身を助く

業種にもよるんでしょうけれども、僕は、要するに芸は身を助くだよと言っている。だって僕の知識は科学技術ぐらいのところで、技術経済の方はなかったわけですよ。最初に商談がまとまった、ソ連(当時)のサマーリン(ソ連の科学技術担当最高責任者)は僕の「科学」の部分を買ってくれた。IBM は技術のMTBF、MTTRの部分と多分決断の速さということになるでしょうね。だから芸は身を助くだぜと教育している。でもそれは、いろいろやってみなきゃ身に付かないよ。

産学官の超微粒子プロジェクトのリーダー

林氏の名を経済界、産業技術の世界で高めたのは、昭和56(1981)年、新技術開発事業 団(科学技術振興機構=JST=の前身)が始めた創造科学技術推進事業(JSTの戦略的創造 研究推進事業ERATO型研究に発展する元の事業)「超微粒子プロジェクト」の総括責任者を 務めたことである。同プロジェクトの期間は1981年10月から5年間だった。

創造科学技術推進事業は、わが国が自らの進路を切り開くためには創造的な研究、特に 基礎的な充実が不可欠であるとして始めた新しい研究システム。第1期にはナノテクノロ ジーの先駆けとなった「林超微粒子プロジェクト」のほか、アモルファス金属の先駆者であ る増本健氏の「特殊構造物質」、分子設計の緒方直哉氏の「ファインポリマー」、化合物半導 体時代を開いた西澤潤一氏の「完全結晶」プロジェクトがあった*6。プロジェクトリーダー のうち林氏だけが企業人である。

林超微粒子プロジェクトは物質的な世界を超微粒子的な大きさだけで輪切りにして研究 対象にする、画期的で野心的な試みだった。ここでいう超微粒子は20~数百オングスト ローム(1オングストロームは1,000万分の1ミリ)の範囲で、当時、この部分のサイエン スが抜けていた*7

同プロジェクトは大きな研究成果を生んだ。理想的な状態で組成・粒径の制御された超 微粒子の生成機構を解明するとともに、その生成法を検討。さらに超微粒子の特異性を生 かし、記録媒体、高性能触媒などへの応用のほか、有機物および無機物と超微粒子の生化 学的反応を用いた新たな領域での応用の可能性を見いだした*8。超微粒子プロジェクトが 終わったのは1986年、それから応用を目指す開発が本格的になって「オングストローム」 という単位の代わりに「ナノメーター(1ナノメーターは10オングストローム)」が使われ るようになった。「超微粒子プロジェクト」など創造科学技術推進事業はサイエンスからテ クノロジーへ比重が移る橋かけのプロジェクトであった。



研究開発

私は、研究開発についてのポリシーを文章にして世間にも発表しました。第1 に基礎研究の課題は企業としてはやらない。大学に持っていく、お金出しますのでやってくださいと。ところが結構難しいですね。というのは、大学の研究者というのは、自分で考えたことでないとやる気を出してくれないんですよ。企業の研究者も似たようなところがあるけれども、もうちょっと緩いですよね。やらないかんぞ、これはお客さんのための技術開発だと言うと、はいと言ってやりますよ。

2 番目の基礎技術というのは、自分のところだけで使う技術というのはないから、政府からお金をもらっていいんだ。その成果は世間に広く波及します。どの企業に使っていただいても結構だ。

3 番目が設計の技術、これはよそから勉強をしてこなきゃいけないことと、自分たちの技術を磨くものの2 種類があるが、ここは企業が前進するための生命線ですね。イノベーションにかかってくるんです。これは自分のお金でやる、自分たちの利益のためにやるんだから。

商品化というのが4 番目にあるんですよ。これは自分たちだけではできない。自分たちももちろん参加するけれども、お客さんの側からこういうものをつくらなきゃ、こういう応用なんだよということを言ってもらわなければ*9

新入社員に課題

私が社長のときのある年、不況のときですか、割と素質のいい新入社員が入ってきたんです。その7 人か8 人にいきなり機械ポンプ、ロータリーポンプを見せて、「このポンプの回転音は高く、69 ホンぐらいある。これを64 ホンまで下げるように」という課題を与えた。製品のポンプは何個つぶしても構わない。3 カ月以内にみんなで協力してやれと。こういうのは、要するに選ばれた人を育てる教育だと僕は思うんですね。自然にリーダーが決まるんですよ。こっちは何も指示しない。一生懸命やりましたよ。たしか65 ホンぐらいまでいきましたね。64 まではいかなかったけれども、それはそれでいいんですよ。

人事担当重役なんかが言うオン・ザ・ジョブ・トレーニングというのは、このものをつくるにはインストラクションはこうだ。さあ、やってみろと。おまえ、そこ間違っているからこうしろ、これでしょう。それはそれなりの人をつくることにはなりますけれども、今のような時代に企業が必要とする、ここがどうしても大事なんだという人間はまた別に育てなければならないんですよね*10

技術は人に付く

研究は人を育てる。企業によって違うが、アルバックは真空技術と名の付いたもので、将来必要になると思われるものは、目前の商売になろうがなるまいがやるという姿勢です。技術というのは特許など形になったりならなかったりしますけれども、結局、技術は人に付くんです。要は人ですよね。人が財産。

ストレス解消

芸は身を助くと言いましたけれども、僕は学生のころまでは物理学をやりたかったわけですね。だから、その郷愁とは言わないけれども、それが残っちゃっているんですよね。専務になろうと社長になろうと、日曜日は物理のことばかり考えて、それでストレスの解消になった。何であなたは今まで生きているのと言われたら、僕はストレスがなかったんだと・・・。

*1
・(参考文献)田原総一朗.独創の狩人-先端技術の“最先端” に挑戦する!. 旺文社,1984,p.91~110.
・株式会社アルバックのホームページを参照。

*2
企業的にいうと、販売・サービス網の構築に最大のエネルギーと資金がいる。それが自己増殖(セルフアセンブリ)するところまでいくとイノベーション。(林)

*3
このところは階層性、縦割り性の強い文化の破壊、自由とオープンの文化(西欧ルネッサンス)への回帰ということでしょう。(林)

*4
正確には、真空プラズマの質を知るため。(林)

*5
コンピュータによるデータプロセスは、どこでもやっていた(1973年)。複雑な装置システムの制御は全く次元の異なることです。(林)

*6
(参考文献)藤川昇.日本の技術移転50年-独立行政法人 科学技術振興機構を中心として-. 産学官連携ジャーナル.Vol.4,No.11,2008,p.21-29.

*7
(参考文献)田原総一朗.独創の狩人-先端技術の“最先端” に挑戦する!. 旺文社,1984,p.91-110.

*8
科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業「ERATO」のホームページを参照。

*9
あるとき尊敬していた産業人から、あなたのところはすき間産業だよね。と言われました。
彼が言ったすき間とはどんな内容のものかわかりませんでしたが、私は産学のすき間と受け取って、農業と同様、自然法則と工作とのすき間でもあると考えました。
これ楽観主義です。彼の言ったすき間は巨大企業のすき間、あるいは金権資本主義と産業資本主義のすき間かもしれません。(林)

*10
企業経営は音楽に例えれば、協奏曲の演奏会の連続です。ソリスト(独演者)スーパースターとオーケストラ(毎回同じ顔ぶれの多数の協奏者)が必要です。
聴衆はソリストと指揮者に注目(?!) して切符を買い、それぞれの価値満足を得る場合がほとんどです。
それに良心と信念を持ってサポートする人々(演出者たち)が加わるとイノベーションに進む場合もある。企業の株主はそのようなサポーターであったはずなのですが!!
利益がすべての様相になると戦争が起こり、自滅するのかも知れません。(林)