2009年9月号
特集  - 「起業」の心得
英国のアカデミック・スタートアップス創出環境
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露木 恵美子 Profile
(つゆき・えみこ)

明星大学 経済学部経営学科
准教授


大学などの研究成果を基にした起業―アカデミック・スタートアップス―をつくり出すことで産業活性化や雇用創出を図ろうと先進諸国が取り組んでいるが、成功事例は非常に少ない。欧州においても同様だが、そのなかで、成功例を輩出している英国の事例を紹介する。

はじめに

1990年代以降、日本を含む先進諸国において、大学等の研究成果を基にアカデミック・スタートアップス(AS)を創出することで、産業活性化や雇用創出を図ろうとする動きが、国家施策に基づいて意図的に推進されてきた。ASの創出は、技術移転経路の1つと考えられるが、その成功確率は非常に低くリスクの高いものである。それにもかかわらず、各国はGoogleに代表される米国のスタートアップスの成功事例をモデルとして、ASの創出に積極的に取り組んできた。

しかし、このような意図とは裏腹に、成功*1したASの事例は非常に少ない。日本に先行してAS輩出に取り組んできた欧州においても、2000年前後に起こった米国のIT・バイオバブル崩壊の余波を受けて、さまざまな法整備や支援策を講じた割には、あまりに成功事例が少ないので、根本的な政策転換を図ろうとする動きさえある。

英国における成功事例

このような状況において、成功例を輩出している国として取り上げられるのが英国である。特に、ロンドンおよびオックスフォード地域、ケンブリッジ地域では、複数の成功事例が報告されており、米国ナスダック株式市場への上場を果たした事例もある。

1. ロンドンおよびオックスフォード地域

この地域において突出した成功事例を輩出しているのが、インペリアル・カレッジとオックスフォード大学である。これら2つの大学は、高い研究水準を誇るだけでなく、技術移転機関が主導となりスタートアップス創出支援を体系的に行っている。筆者は、このように研究機関主導で強力な組織的支援を行う事例を機関主導型モデル*2と呼んでいる。

機関主導型モデルの代表例であるインペリアル・イノベーションズ(大学100%出資の株式会社、1986年設立)では、知的財産の管理、ライセンシング(TLO機能)、スピンアウト(ASの創出機能)の3つの機能が統合され、機関内で一貫したサポート体制が敷かれている。職員は元ベンチャー・キャピタリストなど技術系の学位を持つ専門家で構成され、技術分野ごとに配置されている。2008年現在で株式を所有しているASは46社で、そのうちCeres Power(2001年設立)は、2006年にロンドン証券取引所の新興市場であるAIMに上場している。また、インペリアル・イノベーションズ自体も、2006年に大学の技術移転機関として初めてAIMに上場を果たした。

2. ケンブリッジ地域

機関主導型に対して、地域の複数のプレーヤーが有機的に連携してハイテク・スタートアップス(HS)*3創出を促進しているのがケンブリッジ地域である。筆者はこのような事例を地域インフラ型モデルと呼ぶ。同地域におけるHSの設立は、90年代から一貫して増え続け、2000年以降は毎年10社以上が輩出されている*4。そのうちケンブリッジ大学の技術移転機関(ケンブリッジ・エンタープライズ社)が投資するASは62 社(08年現在)で、CDT(ケンブリッジ・ディスプレイ・テクノロジー社)は、2005年にナスダック上場を果たし、その後2007年に住友化学に買収された。この地域のHSはほぼ100%ベンチャーキャピタル(VC)の投資を受けるか、企業とのアライアンスを結んでおり、経営人材は投資を受ける時点でVCなどが当該事業の経験豊富な人材を紹介するのが一般的である。

この地域がハイテク産業クラスターに発展したことは、大学の研究成果や人材抜きには語れない。60年代以降、政府系研究機関をスピンオフした研究者らがコンサルティング会社を設立したり、大学の敷地内にサイエンスパークが作られたり、周辺にVC が集積したり、エンジェル・ネットワークが形成されたりすることで、シリコンバレーに類似したスタートアップス輩出のための基盤が形成された。

結びに代えて

インペリアル・イノベーションズのような一気通貫の仕組みは、ビジネスチャンスやイノベーションの可能性についての共通理解が組織内部で醸成されていないと機能しない。同社は、設立から20年の間に、ライセンス供与や事業創造に関する具体的な経験を組織内部に蓄積し、さらにビジネス経験のある外部人材を登用することで、効果的な技術移転の仕組みを作り上げている。

一方、ケンブリッジ地域は、シリコンバレー以外で創出基盤が確立されている例外的な地域である。VC投資を受けたHS が100社以上存在する。その特徴は、中核的な機関が存在するわけではなく、技術コンサルティング会社・起業家・VC・エンジェルらが多数存在し、それらが個別の役割を最大限果たしながら複合的な効果をもたらし、ハイテク産業を集積させていることである。

いずれの事例にも共通するのは、各プレーヤーが明確な出口戦略を持っているということである。ASの創出において欧州では輩出数を競う時期は過ぎ、その質が問題になっている。ASには、新産業の牽引(けんいん)役だけでなく、高学歴人材の雇用の受け皿や地域企業と大学等研究機関をつなぐ結節点などのさまざまな役割が期待されるが、その期待に応じた支援環境の整備こそが求められている。

*1
本稿におけるASの成功とは、株式上場・既存企業への売却以外にも、VCから投資を受けたり、既存企業とのアライアンスにより成長している(売上高や従業員数が伸びている)ことを尺度としている。

*2 :参考文献:
B. Clarysse他; Spinning out new ventures: A typology of incubation strategies from European research institutions. Journal of Business Venturing, Vol.20, 2005, p.183-216.

*3
本稿では、ハイテクスタートアップス(HS)を、「最先端の技術を基に(主にVCから投資を受けたり、既存企業とのアライアンスを結んだりすることで) 成長を志向する新興企業」と位置付ける。一方、アカデミック・スタートアップスは、HSの中でも、大学等研究機関から技術シーズのラインセンスを受けた場合を指す。

*4 : 出典:
The Cambridge Cluster Report 2004, Cambridge UK, Library House, 2004.