2009年9月号
単発記事
英科学誌Natureが映し出す日本の力
顔写真

松尾 義之 Profile
(まつお・よしゆき)

株式会社白日社 編集長/
東京電力科学誌「イリューム」
編集長

世界的な科学論文誌の中でも格別な存在感を保っているのが英国のNature。このところ仕事でNatureを詳しく読んでいる科学編集者・ジャーナリストの松尾義之氏が軽快につづるNatureが映し出す日本の科学技術の力。日本の科学技術政策の立案者が諸外国の動向に関心を持っているように、世界が日本を注視している。松尾氏は、日本人はもっと自信を持っていいと言っているのだが・・・。

世界の科学を実質的に支えているのが、Nature、Science、Lancet などをはじめとする科学論文誌である。これらの雑誌に掲載される論文は、すべて「ピアレビュー」といって専門科学者同士の査読プロセスを経て、掲載・不掲載が判断・決定されている。この仕組みで内容の正当性を担保しているわけだ。新聞やテレビで紹介される科学的発見のニュースは、すべて事前に、内容がこれら論文雑誌に詳しく発表されたものである。

論文誌中でも別格の存在感を保っているのが英国のNatureである。現在のNature 日本法人関係者と知り合うようになり、もう30年以上になる。先ごろ亡くなられた名編集長ジョン・マドックス氏とも、ワイングラスとたばこを両手に何度も神楽坂近辺で議論しあった間柄だ。

そんな付き合いもあって、数カ月前から、Natureに載った記事を日本語に翻訳・紹介する月刊誌「Nature DIGEST」のお手伝いを始めた。とはいえ、Natureとの本格的なかかわり合いは約10年ぶり。毎週英語の記事に目を通すのは、還暦が迫る身にとって正直言って楽ではない。ただ、必死に義務を果たしていると、世界の科学や技術の現状がそれなりに見えてくるのが面白い。

Natureは3つの顔を持つ雑誌

Natureという雑誌は、実は3つの顔を持っている。1つは「論文誌」という顔であり、もう1つが「科学解説誌」、そして第3に、社会を強く意識した「一般科学ニュース雑誌」という顔である。

科学者の論文がNatureに掲載されたと言われるとき、それは、論文がArticles かLettersという欄に掲載されたことを意味する。この2つの欄がNatureのコアの部分であり、Natureのカンバンを背負っている。これが第1の側面だ。

この論文部分の外側の、いわばベールのような役割を担っているものに、News & Viewsというユニークな欄がある。これもまた科学者が執筆する文章なのだが、新しい研究をした本人ではなく、査読する立場の科学者が、新しい研究の背景や意義付けや今後の課題などについて解説している。この欄は、英語表現も論文に比べてはるかにやさしく、ある程度の一般読者でも十分に理解することができる。科学者による「科学解説」という第2の側面である。

そして第3が、Newsという名前が付いた多くの一般科学記事欄である。現在のNature にはこのニュース記事がかなりあるが、いつごろから増えたのか、正直言って定かな記憶はない。日本発のニュースもたくさん掲載されているし、正否はともかく書き手の主張・視点が前面に現れた記事も多い。いま私が読まなければいけないのは、主にこのニュース関係記事である。

社会と科学のニュース記事

細かく読み始めて数カ月たったが、Natureのニュース記事は、大ざっぱに二分できることに気が付いた。1つは科学的内容に絞り込まれた科学記事であり、もう1つは、科学を取り巻く社会的な話題、例えば科学政策や科学行政に関する記事である。そして、後者の記事の方が圧倒的に多いのだ。

しかも、日本の新聞や雑誌にはほとんど登場しない情報も多くてためになる。例えば2009年7月30日号やそれまでの号でも何回か取り上げられているものに、EU傘下の欧州研究会議(ERC)の話がある。これは、欧州の優れた研究者ないしは研究グループに大きな研究費を集中的に出そうという新組織なのだが、その資金提供の仕組みをめぐって、行政的立場の人々と科学者たちが対立している。

お金を出す側は、成果を露骨に期待するとともに、事細かく資金使途の明細が残されるような仕組みを作りたいと思う。一方の科学者側は、会計処理などに膨大な手間が掛かってしまっては、成果を追い求めるための労力や時間を注げないから、簡単で科学的な公正さに基づく仕組みにしたい。

これを読んでいて「いずこも同じだな」と思わず笑ってしまった。日本でも政府や公的機関による研究費は、基本的に性悪説に基づいている。もとは税金だから、1円たりともごまかされてはならない。

一方の科学者側にとってみれば、もちろん悪意を持った人が皆無とは言わないが、性善説に基づいてほしいと願っている。現に、これまで私自身が見聞きしてきた「不正」と言われるものは、会計処理の方法がないケースが少なくなかった。研究教育費に使ったのに、移した口座名義が個人名だったために不正と認定されたケースなどである。

昔の話を蒸し返そうというのではない。言いたいのは、公的資金を拠出するには、諸外国でもいろいろ議論があることを、日本の科学者も行政官も素直に認識した方がよい、ということだ。公と私の関係はきちんと区分しなければならない課題であり、そのための努力はなされているのだが、現実に何かを実行しようとするとき、常に灰色部分が出てきてしまう面があるのはたぶん不可避であろう。現実的な解決策こそが第一だ。

ただし、私自身は、科学研究費について言えば、もっともっと科学者・技術者の使いやすい制度や仕組みに変えた方がいいと考えている。それは、この国を支えるほとんど唯一の武器が科学技術であり、それには、いくら税金を投入したかではなく、いかに多くの成果を税金によって生み出し、それを未来世代に残していくかにかかっている、と考えるからだ。性悪説より性善説に基づく方が、よい成果は生まれやすいと思う。

意識される日本?

もう1点、この欧州研究会議の話もそうなのだが、科学技術政策に関係する話題では、「どこかの国を強く意識しているなあ」と感じさせることが多いのである。日本の政策立案者が諸外国の政策をウオッチしているように、外国の人々もまた「日本人を強く意識している」と感じる。個別の課題は別にして、全体として見れば、日本の科学技術政策はかなりうまくいっているのではないか、あるいは諸外国からはそう見られているのではないか。これがいま抱いている私の「仮説」である。少なくとも、日本の科学技術関係者は「外から見られている」という意識をもっと強く持った方がよいと思う。

もう1つ分かったことは、現在の不景気もあるが、おそらく日本人が考える以上に、欧米社会には科学技術研究によって繁栄を回復したい、という期待感があることだ。そのための産学官連携、あるいはベンチャービジネスのニュースもしばしば登場する。ただ、そんなときでも、「利益相反」のように守らねばいけないルール・原則をきちんと議論しているあたりは、ある意味でうらやましい。日本ではどちらかというと、守ればいい話で議論する話とは受け取られていない。このあたりは文化的・社会的背景の違いもあるだろう。

科学技術の研究成果に基づいて経済的繁栄を勝ち取るというテーゼは、30年前の日本で、すでに多くの人々に共有されていたと記憶する。ただ、当時の基礎技術というか基礎研究の多くは、オリジナルが欧米諸国にあった。その後、産業界では独自の技術開発を進め、また日本の産業界全体に及ぶ技術の洗練もあり、「欧米からタネを持ってくれば何とかなる」といった状況から大転換した。つまり、自分たちの手でタネを研究・開発する時代になって久しく、それが、結果として、今日の日本の科学技術力を生み出した*1

プリウス、2足歩行ロボット、エコキュート、省エネ家電、低消費電力の電車、高効率石炭火力タービン発電機、太陽電池、液晶パネル、発光ダイオード、デジカメ、プリンター、iPS細胞、GPS......。これらは日本で生まれ育った技術(製品)だ。つまり、ここ10~15 年の間に登場した革新的製品の大半が、日本生まれなのだ。現在のイノベーション発進基地は日本と言っても過言ではない。「世界が日本を注視しているのではないか?」という私の仮説は、実はこのような現実に基づいたものでもある。

鎖国思考を超えて

カリフォルニア州の財政危機についてはご存じの方が多いと思う。しかし、それがカリフォルニア大学にも及んでいることを知っている人はそれほど多くないのではないか。言うまでもなく、州立のカリフォルニア大学には、バークレー校やサンタバーバラ校といった有名大学だけでなく、たくさんの大学がある。Natureの2009年7月23日号によれば、その多くが予算カットを強いられ、リストラつまり解雇の嵐が吹き荒れているそうだ。

翻って日本の大学はどうだろう。愚かなマネーゲームで膨大な資産を失った有名私立大学の話はともかく、予算の削減はあっても、レイオフの話は寡聞にして聞かない。世界全体が大不況の中にあって、比較論として、日本の状況はそんなに悪いことはない、というのが私の見解なのだが、いみじくもカリフォルニアの州立大学の例は、それを裏付けることになっている。

たぶん多くの日本人は、世界で最も不況に苦しんでいるのが日本だと勝手に思い込んでいる。それは明らかなウソである。ウソであることが分かれば、私たちがいま何をなすべきなのか、おのずと見えてくるはずだ。外から見たら日本はどうなのか、という視点は常に持ち続けていきたいと思う。鎖国時代の日本人でさえ、実は海外の情報をきちんと把握していた。公開情報さえ読み切れないとしたら、先人たちに申し訳が立たない。

*1
本誌2009年4月号の編集後記