2009年11月号
特集1  - 森林から学ぶこと
「聞く」ことから「つながる」 —森の聞き書き甲子園と学生たち—
顔写真

吉野 奈保子 Profile
(よしの・なほこ)

NPO法人 共存の森ネットワーク
事務局長


林業や樹木にかかわる仕事に従事している人たち、具体的にはきこり、造林手、炭焼き、木地師らを高校生が訪ね、その知恵や技術、考え方を1対1で聞き書きする活動がある。「森の聞き書き甲子園」だ。今年8年目を迎えた。森を守り、育て、その恵みを生かす知恵や技術を残す取り組みだ。

森とともに生きる知恵や技を記録する

「森の聞き書き甲子園」*1は、毎年100人の高校生が、「森の名手・名人」100人を訪ね、その知恵や技術、ものの考え方や人となりを、1対1で「聞き書き」し、記録する活動です。林野庁、文部科学省、社団法人国土緑化推進機構、NPO法人共存の森ネットワーク協会が主催し、今年で8年目を迎えました(図1)。

もともとこの活動は、2002年に林野庁と文部科学省による国の事業として始まりました。当時、林野庁では、きこりや造林手、炭焼き、木地師など、森を守り、育て、その恵みを生かす知恵や技術を持つ人を「森の名手・名人」として選定、表彰する制度を立ち上げようとしていました。その検討を行う委員会は、民間の有識者によって構成されていましたが、その委員の1人であった作家の塩野米松氏から、「ただ表彰するだけではもったいない。その知恵や技術を記録に残すために高校生による『聞き書き』を行ってはどうか」という提案があったのです。

塩野氏は、この活動のベースとなる、1つのヒントを持っていました。それは米国のFOXFIREという取り組みです。1966年、米国・ジョージア州で、1人の高校教師がアパラチア山麓(さんろく)に暮らすお年寄りのもとへ生徒たちを通わせ、家の建て方や薬草の採り方など、暮らしの中の知恵や技術を取材し、レポートにまとめさせたのです。その記録は後に出版され、大きな反響を呼びます。FOXFIREとは、直訳すると「きつね火」ですが、米国では「自然という教師が人間に与え続ける知恵の象徴」という意味もあるといいます。自然とともに生きてきた人間の知恵や技術、そこではぐくまれてきた心を、日本でも記録にとどめていきたい。早速、当時の林野庁担当者は、文部科学省と話し合い、「第1回森の聞き書き甲子園」を実現しました。

名人の生き方を丸ごと受けとめる
写真1

写真1 名人の話に熱心に耳を傾ける高校生

「聞き書き」とは、取材する相手の「話し言葉」だけで文章をまとめる手法です。一般のルポルタージュとは違い、聞き手の感想や意見を文章に付け足すことはできません。高校生はひたすら名人の話を聞いて(写真1)、それを録音し、名人の語り口を大切にしながら文章をまとめていきます。録音したテープの書き起こしは、膨大な量になります。高校生は何日もかけて、繰り返し名人の言葉を聞き、その意味を反すうします。

ある高校生は「聞き書き」を仕上げていく過程について、次のような感想を寄せてくれました。「テープ起こしをするうちに、いつの間にか、名人の言いたいことが、自分の言いたいことになってきました」。「聞き書き」とは、単に名人の職業や人生について記録するだけではなく、その人の生き方や価値観を丸ごと受けとめる作業なのです。

高校生の聞き書き作品には、次のような名人の言葉が記されています。

「われわれの仕事は木と話せんことには始まりません」(育林の名人)

「山には山の神さまがいるって、ばあちゃんたちは信じとるからね」(焼畑の名人)

「森は家や。人間だけやなしに、動物や植物が共存するための家や」(杉の種採りの名人)

自然と対峙(たいじ)しながら生きてきた名人の言葉に、高校生の心は揺さぶられました。「初対面にもかかわらず、一心に伝えようと話続けてくれた名人の姿に、私の心はチクリとしました」「ただ、聞いただけで終わりにしたくない。何か私にできることを見つけたい」。「聞き書き」に参加した高校生たちの中から、そして、第1回の開催に携わった行政関係者からも、この活動を継続する仕組みを真剣に考えようという動きが生まれました。それは、NPOが受け皿となり、国と民間企業や団体が手を携えて運営を行う仕組みです。NPOという、1つのプラットフォームをつくることによって、さまざまな企業や団体が、この活動運営に参画することが可能となりました。現在、運営資金はほぼ100パーセント、民間企業からの寄付金や協賛金で賄っています。

「聞いただけ」で終わらなかった学生たちの活動
写真2

写真2 棚田の保全活動

当初、活動の受け皿となったのは、樹木・環境ネットワーク協会という既存のNPOでした。そのスタッフの一員として、私は「森の聞き書き甲子園」の事務局を担当します。私の役目はプロデューサーであり、コーディネーターであり、広報担当者であり、編集者であり、時には教師であり、高校生たちの母親代わりでもありました。「聞き書き」のことだけではなく、家族や学校のこと、卒業後の進路のことなど、私は彼らからさまざまな相談を受けるようになります。また、「名人の話を聞いただけで終わりにしたくない」と考えた第1 回卒業生有志から「共存の森」と呼ぶ活動も生まれました。彼らの活動は、いわゆる「森づくり」の活動ではありません。森や里山が守られるためには、そこに地域の人の暮らしが続いていくことが大切だと、学生たちは考えたのです。現在、全国5地区で活動する学生たちは、農山村に生きる人々に学びながら、里山や棚田の保全(写真2)、耕作放棄地の活用、山村と都市の交流事業など、さまざまな「地域づくり」の活動を行っています。

そして、彼らは数年前に、新たなNPO法人「共存の森ネットワーク」を結成しました。国が始めた事業を、民間企業や団体が支え、さらに、学生たち自らが活動をつないでいくためのNPOを立ち上げたのです。彼らは毎年、全国から「聞き書き」に参加する高校生の研修運営を手伝っています。また、各地区の「共存の森」の活動もまた、2代目、3代目の学生リーダーに引き継がれるようになりました。

森と人の暮らしを次代へとつなぐ

近年、「切れる」とか「引きこもり」という言葉が若者たちの代名詞のように語られますが、「聞き書き」に参加する高校生たちは、「聞く」という行為を通じて自らの心を開いていきます。「聞く」ことから他者との接点を見いだし、社会とつながっていくのです。

今年10月に国連大学で開催された「ESD・地球市民会議」では、「森の聞き書き甲子園」を、ESD事例の1つとして紹介する機会を得ました。ESD(Education for Sustainable Development)は一般に「持続可能な開発のための教育」と訳します。国連は「ESDの10年」として、持続可能な社会の実現に必要な教育への取り組みを積極的に推進するよう各国政府へ働き掛けているのです。

「持続可能な」という言葉を語ろうとするときに、私自身は「持続可能な」という言葉からは程遠い経済最優先の社会、大量生産、大量消費の時代に生まれ育ったことを思います。一方で、祖父母の世代にあたる日本人は、自然に対する畏敬(いけい)の念や「もったいない」という感謝の心を、自らの人生に照らしながら語ることができるのです。そんな名人たちの生き方を、世代を超えて真摯(しんし)に受けとめてくれた高校生たち。「聞く」ことから「つながる」。そのことを、身をもって教えてくれた彼らこそ21世紀の持続可能な未来を担う世代です。日本人の暮らしとともにある自然を大切に思い、そこに生きる人々に敬意や愛情を抱く。そんな若者たちの優しい心を、共存の森ネットワークは次代へとつないでいきたいと願っています。

*1
森の聞き書き甲子園 http://www.foxfire-japan.com/

森の聞き書き甲子園一期生
「山と共に過ごしてきた人の言葉」を仕事に生かす
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葛西 陽介 Profile
(かさい・ようすけ)

東北森林管理局 三八上北森林
管理署 業務第一課 管理係



「山は人間だけのものじゃない」

2002年の夏、私は「森の聞き書き甲子園」の研修会に参加した。参加動機は先生が薦めてくれたというもので、軽い気持ちだった。なんといっても、タダで東京に行けるのだ。研修会は地獄のようにハードだったし慣れない作業は苦痛だったけれど、夜の交流はとても楽しかった。いろいろな地域の人たちと、朝方までたっぷり話をしていた。この研修会で親しくなった人たちとは今も仲良くしている。

研修会後、「森の名手・名人」を訪ね、聞き書きをした。名人はマタギの方だった。今でも印象に残っている言葉がある。「山は人間だけのものじゃない」。自然を相手に山と共に過ごしてきた人の言葉だと思った。

その翌年の4月、私は林野庁の東北森林管理局に入局した。入局したてのころ何人かに「森の聞き書き甲子園」のことを聞いてみたが、誰も知らなかった。それが少し残念だった。

真剣に自然や地域について学ぶ

数年後、OB・OGの呼び掛けで、森づくりを考えるセミナーが開かれた。久しぶりに仲間に会えるし、山での作業もあるというので勉強がてら参加してみた。そのときの私の格好は業務服と長靴にナタやのこぎりを携えていた。しかし、参加者の多くはまるで繁華街でデートでもするような格好だった。それを見たときに、この活動はこれで終わると思った。しかし現在、当時の活動はNPO 法人「共存の森ネットワーク」に発展している。今では山にミニスカートやダメージ加工のパンツ、アクセサリーをしてくる人たちはいない。参加者のみんなが真剣に自然や地域について学ぼうとしている。

私も森林管理署に勤務するようになり、地域に接する機会が多くなった。「聞き書き」や「共存の森」の活動で学んだことを今の仕事でうまく生かせていると思っている。職場で「森の聞き書き甲子園」の話をする。入局のころとは違い、随分と認知度が上がっている。中には「聞き書き」に参加したOBやOGもいるし、「共存の森」の活動に参加した人たちもいる。私は「森の聞き書き甲子園」に参加し、今の職場に入って良かったと思っている。これまでに出会った仲間や経験を大切に、今後も精いっぱい職務に取り組んでいきたい。

森の聞き書き甲子園一期生
「次の世代のために生きる」と名人は言い切った
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能登谷 創 Profile
(のとや・そう)

高根生産森林組合 作業員




「心を入れ直してこい」

私は高校1年の時に「第1 回森の聞き書き甲子園」に参加した。当時の私は停学処分を2回受けており、多少、難のある生徒だったため、担任から「『森の聞き書き甲子園』に行って心を入れ直してこい」と言われ、渋々参加をしたのが正直な動機だった。全国の高校生が集まる研修会は寝る暇がないほど忙しく大変だったが、規模の大きな合コンだと思うようにして何とか乗り切った。

「聞き書き」取材をした名人は、林業に携わる名人だった。無口な方で山での暮らしや仕事を聞き出すのには苦労をした。ひと通り話を聞き終えて、私は疑問を感じた。後を継ぐ息子も弟子もいないのに、名人は新たに木を植えるのだ。名人がいなくなったら、誰も林業をやらないのは目に見えていた。幾度かそのことを聞いてみると名人は、「先祖が植えてきてくれたから、俺は木を伐(き)っている。30年先に誰かがやるかもしれねぇだろう。先祖が俺につないでくれた。だから、俺も次の世代のために生きる」という答えだった。

「結い」の気持ちを今も大切にしている

「次の世代のために生きる」と言い切った名人の言葉に私はしびれた。そして、そのころから自分は何のために生きているのかと考えるようになった。

「聞き書き」終了後、卒業生が集まり「共存の森」の活動が始まった。私は新潟県村上市高根集落の活動リーダーになった。高根集落には、約1万町歩の共有林と100町歩の棚田がある。初年度はブナを植樹して山について学び、その翌年は棚田での稲作について集落の方々に教わってきた。活動を通じて、高根の人たちは「結い」の気持ちを今も大切にしていることを知った。私はこのムラのことをもっと学びたい、生きるための知恵をつけたいと思い、今年の春から、このムラに移り住むことを選んだ。今は、地元の森林組合に入り、見習いで山を勉強中だ。山だけではなく、ここでの暮らしすべてが勉強だ。仕事から帰ってくると玄関に野菜が置いてある。作った人にこんなに感謝して野菜を食べたことは今までになかった。

「聞き書き」をした名人は、「次の世代のために生きる」と言ったけれども、私はその「次の世代」になれるように、この高根での1日1日を大切に過ごしていきたい。