2010年1月号
連載1  - 産学官連携15年
(前編)
ネットワーク・ベンチャー・知財三国時代
顔写真

荒磯 恒久 Profile
(あらいそ・つねひさ)

北海道大学 教授、産学連携本部
副本部長


「産学官連携」は、科学技術基本法が制定された1995年以降、政策によってリードされてきた。その15年の歴史を、「ネットワーク」「ベンチャー起業」「知財による知的創造サイクル」の三国時代が「イノベーション創出」によって統一されたととらえる。

産学官連携という言葉

われわれは今、「産学官連携」という言葉を昔からあった言葉かのように使っている。しかしこの言葉の歴史はまだ浅く、1995年の科学技術基本法の制定と連動した形で使われるようになった。新聞紙上に目立って登場し始めたのは1996年からである。

このことが象徴するように、わが国の産学官連携は政策によってリードされてきた。しかし、政策から産学連携活動への一方通行ばかりでなく、政策にも影響を与えつつ密接に関連しながら成長してきた面もある。本年は科学技術基本法制定から15年の節目の年であり、本稿ではこの間の政策と産学官連携の成長を振り返り、今後の方向も考えていきたい。

概括:この15年

近年におけるわが国の産学官連携は、1990年代初頭のバブル崩壊に対応する新たな経済政策として、1995年科学技術基本法制定が嚆矢(こうし)となり国を挙げて進められてきた。表1に1995年の科学技術基本法制定以後の技術移転にかかわる法整備等のうち重要と思われるものを示す。

表1 日本における科学技術を基礎とした事業化
     への法整備等

表1 日本における科学技術を基礎とした事業化への法整備等

科学技術基本法制定の翌年、第1期科学技術基本計画が17兆円/5年という資金を伴う明確な計画として打ち出された。これに続く1990年代後半は、国立大学に整備されていた地域共同研究センターも50校を超えて設置され、全国各地に大学と科学技術財団等および地域企業を核とする産学官連携ネットワークの形成が進んだ。

1998年からは技術移転促進法(TLO法)等、大学・公的研究機関の科学技術を移転するための法整備が進展し各地にTLO組織が創出され、2000年の第2期科学技術基本計画、および産業技術力強化法による大学教官の企業役員就任への規制緩和により大学発ベンチャーの起業が大きく奨励された。大学発ベンチャーには米国・シリコンバレーに代表されるベンチャー企業による経済活性の促進が期待された。同時期、プロパテント政策の導入が図られ、その法的基盤整備として2002年に知的財産基本法が制定された。2004年国立大学が法人化され大学が権利主体となることを受け、2003年より大学知的財産本部整備事業(5カ年)が開始され、知財活用による知的創造サイクルを軸とした産学官連携の概念が形成された。

この時期、産学官連携の活動実態として、「ネットワーク重視」「ベンチャー起業重視」「知財形成とライセンシング重視」の取り組みが並立し、さらに知財を取り扱う部署にTLO組織と大学知財部の2つの流れが存在するという状況下で、産学官連携活動にある程度の混乱が生じたことは否めない。

しかしこの間、2001年に経済産業省が「産業クラスター計画」、2002年に文部科学省が「知的クラスター創成事業」等を打ち出し、政府主導による科学技術を基盤とした地域経済活性化の政策が具体化され、イノベーション創出の機運が高まった。2006年の第3 期科学技術基本計画では「人材育成」「地域科学技術振興」「国際化」が3本の柱となり、イノベーション創出による競争力強化を基とする「科学技術立国」が政府の方針となった。「ネットワーク」「ベンチャー起業」「知財による知的創造サイクル」による産学官連携三国時代が「イノベーション創出」によって統一されたと言えよう。

1995年~1999年:ネットワーク形成の進展

1987年、国立大学に「地域共同研究センター」が登場した。1995年まで43校に設置されたセンターは、おおむね1,000m2の建物と兼任のセンター長、および専任助教授が1人、非常勤の事務職員若干名という陣容であった。少ない人員ではありながら、それまで多くが教授と企業の個人的なつながりをベースに、いわば「研究費・学生交換型」であった産学共同研究を、大学組織としてシステマチックに行うための環境整備と、地域の産・学・官を横断するネットワークづくりに着手していた。富山大学では民間企業人に向けて「高度技術研修」が開始され、やがて全国の共同センターの事業へと普及する。大学の研究シーズをまとめた「シーズ集」が各大学で編集され、産学をつなぐ試みが次々となされていた。岩手大学では若手教官と県職員との交流から、大学と民間をつなぐ「アメーバ」のような組織、INS(岩手ネットワークシステム)が構築されていた。

図1 徳島大学における産学官ネットワーク

図1 徳島大学における産学官ネットワーク

1990年代前半の科学技術創造立国を目指す動きの広がりの中で、1995年11月に科学技術基本法が、1996年11月科学技術基本計画が策定された。基本法では「基礎研究、開発研究の調和のとれた発展」が望まれ、また「国の試験研究機関、大学、民間企業の連携と有機的な連携」が必要であると述べられ、基本計画では資金に基づく計画が策定されることとなった。1990年代後半にはこのような大きな流れの中で、経済産業省による「地域新生コンソーシアム研究開発事業」や独立行政法人科学技術振興機構(JST)による「地域結集型共同研究事業」等の地域プロジェクト研究が活発化し、JSTによって「産学官連携コーディネータ」という概念も生まれた。

このような機運を背景に、大学の共同研究センターが参加する、文字通り産学官によるネットワーク組織形成が各地に見られるようになった。岩手大学発のINSは1 つのモデルとなり、全国に「☆ NS」の名を冠した組織が生まれ、また徳島大学に典型的に見られるネットワーク(図1)も各地で誕生した。1990年代後半の産学官連携のトレンドの1つは「地域ネットワーク」であった。

1998年~2001年:ベンチャー創出の進展
図2 ベンチャー企業・新規事業を生み出すシステム(北海道)

図2 ベンチャー企業・新規事業を生み出すシス
     テム(北海道)

技術移転を促進する方法について、その範は米国に求められた。1970年代の米国における奇跡の経済復興は大学発ベンチャーの活躍にあり、そこで大きな役割を果たしたものはTLO組織であり、大学教員等の発明を機関帰属とするバイ・ドール法であると言われる。わが国では1998年、大学等技術移転促進法(TLO法)が、1999年に日本版バイ・ドール法と言われる産業活力再生特別措置法が策定された。後者は国の委託研究に基づく特許権を受託企業に帰属させるものであった。当時権利主体となることができなかった国立大学では、教官による発明は国家帰属か個人帰属のどちらかとされ、技術移転に困難があった。TLO法の施行により国立大学で生まれた特許を株式会社等の組織が取り扱うこととなり、全国に数多くのTLO組織(多くは株式会社)が誕生した。しかし、国立大学の教官は「公務員」でありベンチャー企業の役員になることができなかったことは、国立大学発ベンチャーの起業を困難なものとしていた。これを解決するため、2000年に産業技術力強化法が策定され国立大学教官の企業役員兼業が可能となった。大学発ベンチャー創出時代の到来である。2001年の平沼プラン—大学発ベンチャー3 年1000社—により、産学官連携=ベンチャー起業とさえ言える状況が生まれた。各地でベンチャー創出の環境整備が進行し、大学の共同研究センター・TLO・ベンチャーキャピタルのセットによりベンチャー起業の促進が図られた。一例として北海道におけるシステムを図2 に示す。2005年3 月末までに大学発ベンチャーとして1,112社が創出された。

2002年~2004年:知財整備の進展

技術移転関連の法整備が進む中、知的財産に関する法整備も進められた。2002年知的財産基本法が制定され、2003年には文部科学省により「大学知的財産本部整備事業」が5カ年計画で開始された。2004年国立大学が法人化され、大学が権利主体として教員の職務発明の権利を機関帰属とすることとなり、大学の特許の発掘、保護、移転活動は大学知的財産本部および類似の機能を持つ部署が行うこととなった。大学教員には特許の取得が奨励され、研究の特許化→企業へのライセンシングが産学連携の主たる業務であるとの認識が一部に生まれるに至った。知的創造サイクルという概念が米国のプロパテント政策を基礎に、極めて明確な形で各大学に浸透した。

国立大学の法人化はわが国の大学行政の上で大きな転換点である。それまで文部科学省の一部署とも言える性格から、グローバルな研究拠点と地域の学術の中心としての2 つの性格を持つ必要性が生まれたのである。同時に国立大学法人法には研究成果の活用促進が大学の業務として明記された。知的財産本部の役割には極めて大きな期待が寄せられることとなった。

2004年の大学における産学連携体制
図3 大学知的財産本部整備事業による大学の産学連携体制

図3 大学知的財産本部整備事業による大学の
     産学連携体制

大学知的財産本部整備に対し、文部科学省から示された整備事例を図3 に示す。この時期、TLO、地域共同研究センターが多くの地域、大学に存在し、ネットワーク形成・ベンチャー支援・技術移転を行っている。大学知的財産本部は大学の管理運営組織として関連する事務組織とともに知的財産の創出・管理・活用にあたることとなる。同時に幾つかの大学では産学連携組織の再編が始まった。地域共同研究センターが廃止されていくケースも多く見られた。文部科学省や内閣府の「知的財産本部とTLOの有機的結合」への指導も、活動の先が大学内部の知財保護へ向かう傾向のある知的財産本部と、企業へのライセンシングへ向かうTLOの間では融合が進まず、産学連携体制としては混乱期であったと言わざるを得ない。

産学連携三国時代の反省
図4 2001年から2007年までの特許出願件数の推移

図4 2001年から2007年までの特許出願件数の
     推移



図5 大学発ベンチャー設立数・設立累計

図5 大学発ベンチャー設立数・設立累計

大学からの特許出願数は2003年から2005年にかけて急激な増加を見せたが、その後は漸増傾向にある(図4)。これは特許の質を重視した結果と言われるが、言葉を返せば2005年までに質の悪い特許を大量に抱えたとも言える。ベンチャー設立数も2004年をピークに減少に転じている(図5)。ネットワークの形成も、継続的に事業化を生むレベルには到達していない。

産学官連携15年の前半は、政策の表面のみを追い、個々の課題に集中し過ぎて「木を見て森を見ない」産学官連携を進めてきたのではないだろうか。2000年代の初めに文部科学省、経済産業省が予算を伴う地域科学技術振興政策を進め、2000年代後半から「イノベーション」というキーワードで基礎研究から事業化に至る一貫性を強く意識し始めた。三国時代にネットワーク形成、ベンチャー起業、知財整備には大いに磨きがかかった。今こそ三国を統一してイノベーション創出に進むべきときであろう。