2010年2月号
特集  - 実用化への志と喜び-語り継ぐ昭和の産学連携
金属短繊維の2つの新しい製造法
長くて地味な研究が「一見奇抜に見える着想」を成功させた
顔写真

中川 威雄 Profile
(なかがわ・たけお)

ファインテック株式会社
代表取締役社長



かかわった産学連携・事業化

私は大学で誕生した数多くの技術シーズを産業界で実用化させたが、それが今日言われるところの「産学連携による実用化」と言えるかどうかは別として、ここでは金属短繊維の新しい製造法を開発した例を紹介させていただく。この技術については特許申請が新技術開発事業団(現・科学技術振興機構= JST)を通じて行われ、企業とのライセンス契約もJST を介しているし、実用化に貢献した企業と共同で1986 年に大河内記念技術賞も受賞しているのでかなり古い技術と言えるかもしれない。

図1 フライス切削によるコンクリート補強用鋼短繊維製造法

図1 フライス切削によるコンクリート補強用鋼短
     繊維製造法

この研究は金属の切削屑の形状を短繊維状に制御する方法に関するものである。図1~4 のようにフライス切削とびびり振動切削の2 つの方法を開発した。1976年からコンクリート補強用短繊維をスライス切削法で製造する方法の研究を始め、これが契機となって1980 年ごろに「びびり振動切削法」を誕生させた。いずれも東京大学生産技術研究所の中川研究室で生まれたアイデアで、粗末な実験装置を使って可能性を確認し、それを公表したことから企業との共同で実用化へ向けての努力が始まった。

研究のきっかけは、研究所の同僚だったコンクリート工学の故小林一輔先生から、補強用の安価な鋼短繊維製造法を求められたこと。また、その後に行ったびびり振動切削法は、鋼繊維の成功を知ったトヨタ系自動車部品メーカーのアイシン精機株式会社の石井正巳氏から、同じ方法でブレーキ材料用に微細な金属短繊維が製造できないかと問われたことがきっかけだった。

コンクリート用鋼短繊維の研究は、プレス機械を生産しているアイダエンジニアリング株式会社の目に留まり、実用化のための大型生産設備の開発を一緒に始めた。しかし出来上がった鋼繊維の販売に適した会社とは言えず、その後日本の大手鉄鋼メーカーに実施権を譲渡したがここにも販売を断念されてしまい、結局はドイツの会社へ技術と装置を輸出し、そこで量産が成功した。生産量は当時、年4 万トン程度まで上がり、かなり発展したようだが、特許を売り切っているので販売額等の詳細は分からない。

図2 コンクリート補強用フライス切削鋼短繊維製造実施例(アイダエンジニアリング、独ハレックス社)

図2 コンクリート補強用フライス切削鋼短繊維
     製造実施例(アイダエンジニアリング、独ハレッ
     クス社)

一方の「びびり振動切削法」はアイシン精機と一緒に量産設備開発を進めたが、結局は自社での生産はせず他社に生産させることとなった。この繊維の用途に大きな期待が持てたこともあって、複数企業から特許譲渡を申し込まれ海外を含めて数社にライセンスした。われわれも生産設備を開発しながら各社に生産の指導をしたが、販売競争で淘汰(とうた)され結局国内2 社(虹技、東京製綱)が量産にこぎ着けた。黄銅材を中心に短繊維だけで年1,000 トン以上生産されているはずである。複合材料用基材なのでその用途はさまざまだが、自動車用ディスクブレーキパッド材にアスベスト代替材として使われるのが大半と聞いている。最近も発がん性のあるアスベストの健康被害が報じられているが、この研究は環境対策に大いに貢献したと思っている。

すでに特許権は消滅しているが、JST を通じて支払われたこのびびり繊維の特許料は2 億円程度と思う。またパッド材の製品の販売額は、特許切れ時点で600 億円との試算があったので、最近までだと1,000億円ぐらいにはなっていると思われる。

産学連携成功のカギは?

それなりのニーズに合致した素材の製造法を開発できたことが第1 に挙げられる。このような発想が生まれた本当のきっかけはさまざまである。

コンクリート補強用鋼短繊維については、大学で何か新しい課題をやりたいと思って学内の公募に応募したが、そのヒアリングを受けた時、偉い先生からそんな試みが大学の研究になるかと詰問されてしまった。誠にもっともな疑問だったわけだが、私はかなり無理して「このような切削加工の切屑を工業材料にするというような突飛(とっぴ)な考えは企業では受け入れられないもので、まさに大学で挑戦するにふさわしい課題である」と強弁した。結局はしつこく加工条件を追求して成功させたもので、今ではコンクリート補強用ファイバーの製造法の1つとしてコンクリートの教本にも載っている。

また、びびり振動切削については単なるアイデアではなく、いろいろ考え苦しみ抜いた末、偶然に見つけた現象を活用したものである。世間では切屑を活用するだけでも逆転の発想なのに、有害なびびり振動を使うなんて2 重に逆転の発想だと言われている。もちろん広く使われるようになったのは、アスベストの代替材料となったからで、環境問題が後押しした。

大学のシーズが産学連携に発展しても、それが直ちに実用に結び付くわけではない。多くの場合、大学の研究が独創的であるほど実用化までには道が遠いものである。当時の研究仲間の鈴木清助手だけでなく、それぞれの場面で応援してくださった経営者や多くの熱心な技術者の方々が思い出される。後で振り返ってみると、あの方たちの1 人でも欠けたとしたら実用になっただろうかと思う。

図3 びびり振動切削法による微細金属短繊維製造法

図3 びびり振動切削法による微細金属短繊維
     製造法

研究成果が出ることと、技術が完成することと、実用化することとは大いに違う。実用化は経済的に成り立つことが必須だ。われわれ大学研究者にとっては金もうけはほとんど縁のない世界なのだが、技術の実用化は利益に結び付かねばならない。今、町工場の経営者となって毎日苦労していると、この成功は運が良かったと言えるし、関係者には心から感謝している。

さらにこの研究のきっかけを与えてくれた人や共同開発の相手は、それまでの知人だったが金属繊維とは縁のない人たちだった。私のそれまでの研究分野は金属プレス加工だったのだが、アイダエンジニアリング社の先代のオーナーの故会田社長とは親しい関係にあったし、アイシン精機の方も粉末プレス加工で知り合った友人だった。成功したから良かったものの、大学の研究段階から一気に実用化開発に踏み切るには、費用負担の面でかなりのリスクがあったはずで、それまでの良好な人間関係が醸成されていた中での実用化開発であった。共同して難しい仕事をやり遂げるには互いの信頼関係は非常に重要だった。

成功に至るまでの危機、障害をどう乗り越えたか

一見技術が素晴らしそうに見えても、経済性の問題をクリアして実用化に達するためには、関連する諸問題のほとんどすべてが解決されなければならない。どんなに自分で気に入っていても、筋が良くない研究は自分がいくら努力してもなかなかモノにならないものである。

実はこの2種の金属短繊維製造法は、なぜかほかの課題に比べて比較的順調に実用化に向けて発展していった。もちろん幾つかの解決すべき技術課題はあったが、いずれも大学の基礎的な研究が役立って何とか解決できた。

コンクリート用の鋼短繊維については、別種の鋼短繊維の普及を図っていた鉄鋼業界の大きな反発を受け、もう少しのところでJIS 規格から排除されるところであった。幸いわれわれの技術の理解者がそれを見抜いて救ってくださった。

しかしこのしこりが残って、結局日本国内では量産直前までいったにもかかわらず、業界から販売を断念され、結果的にドイツの会社に技術輸出して量産となった。ドイツの大学の先生が、われわれの鋼短繊維の高い補強性能や良好な施工性を評価し、それをドイツの中小企業が信用して事業化した。最初は生産設備も輸出したのだが、後では自社製の設備を増設したのでドイツが育ててくれた技術とも言える。だいぶ後になって欧州視察された日本の大手メーカーの方が、日本生まれの技術と知り、国産化したいと訪ねてこられたが、結局断念されてしまった。これらのことから、日本では公共事業用材料に入り込むことが予想外に難しいことが分かった。最初は大手会社とやり合うのなら相手に不足はないなどと息巻いていたが、つくづく業界の怖さを知った。

びびり振動切削による金属短繊維の1 つの用途は自動車用ブレーキパッド材。その適正評価試験は、当然のことながら安全性の問題もあり厳しいものであった。この試験はわれわれの出る幕のない大規模なもので、ハラハラ見守るだけだった。最後の難関はブレーキの鳴きの問題ではないかと言われていたが、意外なことにアスベスト混入パッド材より鳴きが減ることが分かったのが幸いした。

こんなこともあった。この微細金属繊維は、用途拡大が見込めると大いに注目を浴びたことがあり、こともあろうにライセンス先の1 企業が応用面を含め山ほど関連の特許を申請していたのだ。特許申請と同時に開発を中止したので、邪魔をするための特許申請としか考えられなかった。他社に迷惑が掛かるのではないかと心配したが実害はなかった。

産学協同への批判など大学内でのご苦労は?

当時は大学紛争の後で、産学協同などは日陰の存在だったので、とても実用化の成功などを大々的に公表したりできる状況ではなかった。それでも私の所属していた東京大学の生産技術研究所からは何の批判もなく、のびのびと自分なりの研究をやらせていただいた。ただし、マスコミの取材等への対応は、文部省(当時)からの忠告もあり、企業との癒着と非難されないようすべての面で慎重に行動をした。産学協同でどこの大学であっても何か不祥事が生じたら、いずれ私のような者に非難の矛先が回ってくるのではないかとの恐怖感は常にあった。

これらのことは、今の恵まれた制度のもとで研究されている先生方にとっては信じられないことかもしれない。しかし産業界からはこのような実用化実績は文句なく高く評価され、その後の産学連携はやりやすくなった。こんな経験もあって、定年間近になって政府の産学連携における規制緩和を大いに応援したつもりである。

図4 びびり振動切削による金属短繊維製造実施例(アイシン精機ほか)

図4 びびり振動切削による金属短繊維製造
     実施例(アイシン精機ほか)

産学連携を成功させるノウハウを多少は持っている私からあえて最近の研究者にアドバイスするとすれば、めったに大学研究の実用化はないし、まして多額の特許料が入ることはないので、あからさまに欲を表に出し企業人から嫌われないようにするということだ。魅力的な研究をすれば大学へは企業から委任経理金として研究費が受け入れられる制度の存在は、私にとって本当に利用価値の高いものであった。私の大学研究費のほとんどは、特許料とこの委任経理金の民活で行ったようなものだったので、研究の自由度は高く、その自由度をフルに生かせた研究ができたと思う。

「学」から見て産学連携はプラスになったか

工学は工業を繁栄させ人間を豊かに幸福にするための学問である。象牙の塔にあっても、工業の実態を知ることは必要だ。しかし大学内にこもり研究室で学生との生活しか送ってきていない多くの大学研究者が、工業の実態を知るのは難しいのが実情である。

私は大学で生まれたシーズを実用化するという形で、産学共同開発を体験し、間接的だが工業の実態を知った。それがきっかけとなり、次々と研究開発課題を見いだし、ほかの大学研究者が扱っていない多くの研究課題に恵まれた。私にとって、産学連携は研究課題探索手段として極めて有効に活用されたと思う。しかし、これだけがすべてではなく、学会を活用するとか、企業経験者を教官に採用するとか、どんな形であれ工業を知る手段を常に持つことは大学の工学研究者の責務だと思う。

大学教官が産業界の工業技術に強くなって悪いことは何もない。これは学生の工業教育へも良い影響がある。大学教官の学生への影響、特に大学院生への影響は大きく、その教え子たちは将来の日本の工学研究を担うのだから責任重大である。

先生の分野で今後10 年で可能性のある技術テーマは?

ものづくりの技術テーマは景気に左右されることが多く、比較的短期間に変化していく。話題になってから始めても間に合わないのが常である。景気は悪くても工業技術は日々進歩しているし、工業はますます複雑化するばかりで解決しなければならない課題は無限に生まれてきている。

大学研究者はまずそれを十分に知るべきだ。しかしその課題の中には大学の研究に向かないテーマもたくさんある。自らの実力と将来を考え研究者が自らの責任で研究テーマを決めるべきである。決して世の中の風潮や一時的な流行に巻き込まれたりしないでほしい。また他人のテーマのまねをしたり、ほかからテーマを頂くような情けないことはしないことである。研究課題を決めるというのは、今の世の中、大学研究者のみに与えられた最大の権利であり、その権利行使にはすべての責任を負うべきなのだ。

大学・研究機関の「知」を活用して産業を活性化するため にどんな支援が必要か

現在のような任用制度である限り、確率的に言っても現在の大学・研究機関の研究者すべてが、研究や開発に向いているとは思えない。生涯のうちに大きな研究成果が生まれる人は限られた人であるような気がする。限られた人材を選んで自由に使える研究費を多めに配分し応援するシステムは考えられないものだろうか。

これから取り組む研究課題の審査は、いくら専門家が審査しても実際上なかなか難しいものである。それに比べて過去の成果は比較的正確に評価できる。成果主義という言葉は不適当かもしれないが、成果を挙げた研究者が恵まれる研究費配分制度を取っていただきたい。現実に研究の本物のプロの方が次々と大きな成果を挙げているように思う。さらに今のように研究費の獲得額で評価されることには疑問で、大研究費には評価を厳しくし成果が出なければ逆にぺナルティーが課せられる制度として運用できないものか。

企業で行っている研究管理の専門家に大学や研究機関を一度厳しく評価してもらうのはいかがであろうか。

日本は次の時代も技術・ものづくりで生きていくことができるか。何について頑張るべきか

もちろんできるし、日本からものづくりと高度技術が消えてしまえば、日本は沈没してしまう。人間は危機に遭遇すれば、ばか力を発揮する。私は日本人の底力を信頼している。ただし、多分それは企業人が頑張るのであって、国研や大学人が貢献する確率は高くはなく、むしろ低いと思う。終身雇用で、生活できるかどうかのリスクの小さい毎日を送っている研究者たちと、自分の将来を賭けて必死の企業人とを一緒にしては、企業人がかわいそうである。大学人は将来を見据えた大学らしい研究を行うべきで、必ずしもホットな話題の分野ばかりに一斉になだれ込むなどというのはいただけない。しっかりとした基礎的な知識を身に付け、産業界の課題にも興味を持っていれば、長い間には自分の活躍するチャンスは訪れるものである。

十分にご理解いただけたとは思わないが、ここで紹介した私の金属短繊維の研究実用化例もまさにそういった例としてご理解いただくのが適切かと思う。それ以前に私は15 年間もの長期にわたり金属の切断加工という大変地味な研究を続けていて、誰よりも刃物によるせん断変形現象を理解していたからこそ、自信を持って一見奇抜に見える着想に取り組めたのである。最近よく見受けられるように、工業技術の問題を聞きかじり、気楽に自分の思い付きを披露し、特許など次々と申請しても、世界は広く誰かが先に手掛けていたりすでに失敗していたりするものだ。

最近のノーベル賞では実用化される前の基礎研究が評価されているのにお気付きだろうか。ノーベル賞受賞者が自らの研究で大きな特許料を得たという話は聞いたことがない。大学の研究というものは本来そういったもので、実際の工業技術を知った上で、その基礎研究をしっかり行い、たまたま実用に結び付く有用技術が生まれるといったものだと思う。

図5 「本気」

図5 「本気」

私の好きな言葉があるのでご紹介したい(図5)。どこかのお寺で手に入れたものだが、要するに大学人は大学なりにどんな課題でも、本気になって取り組めば道は開けるというものである。ものづくり研究が重要だと思うのであれば、ぜひ本気になって頑張っていただきたい。