2010年3月号
連載1  - 高齢社会対策で日本は世界のリーダーになれる 産学連携から見るシニアビジネス
(下)
学びの力で認知症を改善する
顔写真

村田 裕之 Profile
(むらた・ひろゆき)

村田アソシエイツ 代表
東北大学 特任教授
関西大学 客員教授

認知症は社会の高齢化に伴う世界共通の課題。これに産学連携で立ち向かうわが国の例を紹介する。

社会の高齢化に伴う課題は世界共通

第1 回で述べたように、社会の高齢化に伴い発生する個人の健康や老後の生活設計に関する課題には「世界共通」のものが多い。その1つが認知症である。厚生労働省の推計によれば、日本の2010 年における認知症人口は208 万人。一方、世界全体では3,560 万人と推計されている(図1)。現時点で日本の認知症人口の17 倍もの認知症人口が世界に存在するのだ。

ここで注意したいのは、世界の総人口比で1.8%しか占めていない日本が、認知症人口比では5.8%を占めていることだ。これが日本では高齢化の課題が世界のどこよりも早く顕在化することの具体的な事例である。

米国学会で認められた日本の認知症療法
図1 世界の認知症人口推移

図1 世界の認知症人口推移

東北大学加齢医学研究所スマート・エイジング国際共同研究センター長の川島隆太教授と株式会社公文教育研究会との産学連携により開発され、認知症の改善に大きな実績を上げているのが「学習療法」である。これは薬物を使わずに症状の改善が図れる「非薬物療法」の1 つで、すでに全国1,400カ所で、のべ1 万7,000 人の方が取り組み、大きな成果を挙げている。

従来の非薬物療法の最大の問題点は、その療法が認知機能の改善に本当に有効であることの証拠となるデータが提出されていないことにある。これに対し、学習療法は、音読・手書き・簡単な計算が脳の前頭前野を含む多くの部位を活性化するという科学的事実に基づいて開発され、症状改善に有効であることのデータが研究論文として提出されている。

この論文は2005 年の米国老年学会誌(Journal of Gerontology)に掲載されている。通常この雑誌に掲載されるまで投稿後2 年はかかると言われているが、この論文の場合1 カ月で掲載通知が届いたとのこと。学習療法がいかに世界から注目されているかを示すものだ。

学びの力が脳機能を回復させる

学習療法は原則2 人の学習者と1 人の支援者との組み合わせで実施する。この理由は、教材の学習だけでも脳機能改善効果があるが、支援者が学習者と上手にコミュニケーションを取ることで、さらに改善効果が得られるからだ。特に、学習が終わった段階で、その場で成果を認め、褒めることが大変重要である。

また、認知症高齢者と言っても1 人ひとり認知レベルが違うので、必ず満点を取れるよう、その人のレベルに適した教材を選択し、学習における「達成感」を味わってもらうことも大切である。

学習療法開始段階には音読・手書き・簡単な計算によって、それまであまり働いていなかった前頭前野が活性化し始める。すると、感情表現が回復し、笑顔が見られるなど表情が豊かになっていく。次の段階では教材の中身そのものに対する知的刺激と支援者とのコミュニケーションを通じた達成感により、学びに対する意欲が湧くようになる。これらの良循環が回ると、学習者の脳機能が改善する。

この学習療法を海外で説明すると、例外なく驚きの声が上がる。特に認知症人口の多い米国、高齢化率の高い欧州で注目される。筆者らのグループは、昨年、米国の高齢者施設で説明会を開催したところ、入居者およびスタッフから大変な反響を得た。現在米国での導入に向けて準備を進めているので、近い将来本誌で成果をご紹介できればと思っている。

高齢化の課題に産学連携で取り組む意義

最大の意義は、民間企業のみ、あるいは大学のみではできない取り組みが可能となることである。学習療法の開発においては、東北大学、公文教育研究会のほか、高齢者施設を運営する社会福祉法人道海永寿会の協力で現場実験を行った。

道海永寿会の施設で認知症高齢者の方々を学習群と対象群との2 つのグループに分け、学習群の47 名には、1 日15 分の読み書き計算のトレーニングを行う一方、対象群ではこのトレーニングは行わなかった。

このやり方は医学的な検証を行う時の最低条件なのだが、実際の介護の現場ではその実行がとても難しい。入居者の一部の人に効果のあるトレーニングを実施するが、ほかの人に実施しないのは高齢者の役に立ちたいという志に燃えている介護支援者には耐えられないからだ。これが現場で効果があると報告されている非薬物療法が科学的に証明できない大きな理由だ。

ところが、大学との産学連携による共同研究であれば、施設運営者は入居者からの理解が得やすくなる。もちろん、この場合は世の中にまだ存在しない認知症の改善策を開発するという大きな社会的意義があることが前提である。

一方、大学の研究室で得られた研究結果が必ずしも実際の現場に適用できるとは限らない。現場での不断の改善によって初めて本当に役立つ商品になっていくからだ。開発後設立された株式会社くもん学習療法センターと高齢者施設の貢献なしに今日の普及はあり得なかった。この意味で産学連携を真に意味のあるものにするには、研究開発段階だけの連携にとどまらず、商品化した後の改善まで連携協力し続けることが必要なのである。

真に実のある産学連携の在り方とは

互いに組織文化が異なる「産」と「学」が長期にわたり連携し続けるために最も大切なものは何か。それは、世界中にいずれ訪れる超高齢社会をより良きものにしたいという思いと、そのための礎になるのだ、という強い信念を心の底から共有できるかである。

ほとんどの大学で産学連携の部署が設置され、産学連携という言葉が陳腐化し、形骸(けいがい)化した活動が増えている昨今、超高齢社会の出現は真に実のある産学連携の在り方を問うているのである。