2010年4月号
特集1  - ハードディスク革命 岩崎俊一博士の30年
一徹に「垂直」の旗を振り続けた
顔写真

松尾 義之 Profile
(まつお・よしゆき)

(株)白日社 編集長
東京電力科学誌「イリューム」編集長


岩崎俊一博士が米国の国際会議で垂直磁気記録方式を提唱したのは1977年。当時から博士を知る科学編集者・ジャーナリストの松尾義之氏が、その魅力、実用化までの30年、垂直方式の歴史的意義を軽快につづる。
30年以上前の仙台通い

岩崎俊一先生に初めてお目にかかったのは、私が日本経済新聞社に入ってすぐの1977 〜78 年ころだった。当時の(日経)サイエンス編集部は、東北大学とほとんど交流がなかった。初の工学部出身者ということもあり、先輩から「君が東北大担当だな」と指名されて、日本オリジナルの解説論文を書いてもらうべく、上野発の特急列車で仙台に通い始めた。東北新幹線は開業前だった。最初の仙台訪問でお会いした先生方のお1 人が、当時、東北大学電気通信研究所教授の岩崎先生だった。

電気通信研究所なのに、なぜか岩崎先生は白衣姿だった。永井健三博士の交流バイアス法から始まり、東北大学における磁気記録研究の歴史を、事細かく説明していただいたと記憶する。東北大学の輝ける磁気記録研究の歴史を語り、その伝統の中から垂直磁気記録が生まれ出たことを、伝えたかったのだと思う。

当時の磁気記録、つまりVTR も含めたテープレコーダーは、磁気テープの水平方向に微小磁石を並べるもの。これに対して、岩崎先生が提唱した垂直記録方式は厚み方向に並べていく。論理・アイデア・原理は極めて明快、確かにそれが実現できれば、記録情報量は飛躍的に増大する。これはすぐにでも実現しそうだ、と若い私は確信した。ただ、垂直方式のアイデアは、先生より先に考案した人物がいるという。しかし、磁気テープへの記録という現代技術の中で、垂直方式を合理的に考案したのが岩崎先生とのことだった。だから後に、岩崎先生は垂直磁気記録の「父」と呼ばれるのである。

原稿は試作品ができてから

さて、私の課題は「原稿をいただくこと」だが、岩崎先生は「待ってほしい」とおっしゃる。聞けば、富士通だったかと試作品の共同開発が始まったところで、せっかく(日経)サイエンスに原稿を書くのなら、それが形になってから、とのこと。当時、私の方も成果を厳しく要求されていて、仙台まで出掛けておきながら、原稿をもらってこないとは何事か、としかられた。でも仕方ない。書くけれど待ってほしい、というのだから、こちらも押すわけにはいかないのだ。それから間もなく、増本健先生に「アモルファス金属」を78 年8 月号に書いていただき、辛うじて面目を保ったのだった。

でも、待てば海路の日和あり。79 年の秋ごろ、突然、岩崎先生からお電話をいただいた。「試作品ができたから、原稿を書きますよ!」うれしいよりほっとしたのが正直な感想だった。1980 年の1 月号がちょうど「創刊100 号」だったので、ここに岩崎先生の解説論文を掲載することが決まった。原稿をいただいたものの、当時の私の知識では、内容の理解に時間がかかった。それでも、さまざまな図版や写真を作成し、めでたく役割を果たせたのは、先生が事細かく対応してくださったおかげだ。(日経)サイエンスの岩崎論文は、多くの人々に、垂直方式の実現可能性をはっきりと示すものとなった。

強い印象が残っているのは「相補性」という言葉だ。これは英語のcomplementary の訳で、数学の補集合など、合わせて全体が1 つになるという意味。水平記録と垂直記録は、いわば裏表の関係にある、ということだったと思う。確かに、当時の岩崎先生たちが考案されていた垂直磁気ヘッドは、水平方式の磁気ヘッドと比較すると、空間の埋め方が、ちょうどモノクロ反転となるものだった。つまり、水平磁気ヘッドのすき間に薄い板を置き、テープの反対側に大きな磁石を置く。

私は「なるほど」と思った。しかし最近の成果を拝見すると、垂直ヘッドの形はかなり変容している。その理由もまた想像がつくのである。それはともかく、その後10 年くらいは、垂直磁気の研究開発は順調に進んでいるように見えた。

いつまでたっても実用化しない

仕事の傍ら、垂直記録はずっとウオッチしていた。技術の進歩というのは、さまざまな要因によって、道筋が変わるものだと思う。

当初の見通しは、早晩、水平記録では記録密度に限界がくるであろう、そうなれば、構造・仕組みで克服するしかなく、それが垂直方式登場のときだ、というものだった。しかし、技術の進歩を見くびっていた、と私はつくづく思い知らされることになる。

特に、材料科学や精密制御技術の進歩を想定していなかったのである。アモルファス磁気ヘッド、そしてノーベル賞の受賞対象となった「巨大磁気効果」まで登場するとは、80 年時点では想像もできなかった。こうしたさまざまな技術の進歩があって、ちっとも垂直磁気記録は実用化されなかったのである。必要とされなかった、というのが正確ではなかったかと思う。水平方式で、記録密度がどんどん向上していったからだ。私自身のパソコンのHDD も、90 年ごろの40MB(Mac SE-30)から始まり、512MB、そして90 年代前半にけたが変わって2GB となり、後半には9GB、2000年に入って18GB、2007 年には150GB と、容量が増大した。

磁気記録技術の大進歩とともに「もう垂直磁気記録の出番はない」という声が私の耳にも入ってきた。ほかの科学分野でもよくあるケースだが、「ダメだ」という否定的発言は、常に肯定的発言より強い力を持つ。否定と肯定は論理学的に非対称であり、否定する場合は、たった1 点でもダメな点を見つければ論理的に正しいからだ。

主として1990 年代は岩崎先生には厳しい時代だった。産業界が全く関心を示さなくなっただけでなく、国際会議で垂直磁気記録方式の口頭発表が認められず、ポスターセッションに落とされた時期もあったという。こんな状況だから、岩崎先生やお弟子さんたちの苦闘は、察して余りある。しかし、そうした境遇でも、おそらく岩崎先生は、いくつもいくつも、垂直方式の利点を積み上げられていったのだと思う。岩崎先生は「垂直」の旗を振り続けた。もちろん、そこであきらめていれば、現在の状況はありえなかった。

いかに燃え上がらせるか

そして状況は変わった。2005 年5 月に東芝が世界初の垂直磁気記録方式ハードディスクを搭載した音楽プレーヤーを発売した。岩崎先生が1977年に米ロサンゼルスで垂直方式を提唱してから実に28 年。これを追うように、2006 年1 月に米企業、同年5 月に日立製作所がそれぞれパソコン用垂直ディスクを市場に投入した。その後、ハードディスク市場の地図は急速に塗り替わっていった。いま作られているハードディスクはほとんどが垂直方式だという。「遅れてやってきた本格派」がいよいよ本当の出番となったわけだ。繰り返すが、垂直方式は、もっと早く実用化されると思っていた。それを遅らせたのは、既存技術の「改良」という驚くべきパワーだったのだ。

技術の中には、いろいろなタイプがある。東芝の「日本語ワードプロセッサ」のように、それまで存在しなかった技術は、需要が増大すれば、製品の形は変容しようとも、順調に受け入れられていく。一方で、液晶ディスプレーのように、既存製品を代替する技術は、平面ブラウン管のように競争相手も進化するのだ。光磁気ディスクは前者の例、垂直磁気記録HDD は後者のタイプだった。ただし、磁気記録の根本原理への考察から生まれた垂直方式は、学問的に確かな基盤を持っていた。筋が良い技術でもあった。それが、主役に躍り出ることができた最も基本的な要因であろう。

ある会で、奥さまから先生の趣味が「たき火」だとお聞きしたことがある。湿っていたり生木であったり、たき火は簡単に燃えるわけではない。順調でなく、くすぶって煙ばかり出ているときでも、きっと岩崎先生は、どうすれば真っ赤な炎に燃え上がらせることができるのか、いろいろと考え、さまざまな手を打たれてきたのであろう。

私が勝手に作っている「最近の10 数年に、世界にイノベーションを起こした日本の技術リスト」には、太陽電池、液晶パネル、発光ダイオード、デジタルカメラ、バブルジェットプリンター、iPS 細胞、プリウス、エコキュート、グリーン・ケミストリーなど20 項目近くが並んでいる。ここに垂直磁気記録を追加することができた。

聞けば、世界で初めて垂直磁気を事業化した東芝のチームのリーダーも、日立でパソコン用垂直ディスクを作った人も岩崎先生の門下生だという。師の岩崎先生は一徹そのものだが、弟子たちの執念にも驚かされる。水平方式の驚異的な技術革新という90 年代の逆風の中で、師もまた、一緒に研究に取り組んだ仲間、門弟たちに支えられていたのだろう。岩崎先生は、垂直の旗を振り続けた。待って本当に良かったと思う。いくら優れた技術でも、実用化までの長い道のり、そのための苦闘があることを、私たちは忘れてはいけない。

技術は、コストなどさまざまな条件がぴったりとあって初めて時代に受け入れられるが、「時代の評価」が永遠に正しいとは限らない。さまざまな研究者の多様な研究を尊重する姿勢も大切である。ただし、止めればおしまいだ。

岩崎先生の垂直磁気記録方式の実用化は、多くのことを教えている。