2010年5月号
単発記事
熱伝導の新測定法が国際標準
産学で開発した市販装置が普及を後押し
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森川 淳子 Profile
(もりかわ・じゅんこ)

東京工業大学大学院 理工学研究科 助教




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橋本 壽正 Profile
(はしもと・としまさ)

東京工業大学大学院 理工学研究科 教授




マテリアルの熱伝導率に関する新しい測定法を国際標準にするまでのストーリーである。大学発ベンチャーをつくり、企業と市販装置を開発。それを普及させたことが大きく後押しした。測定法の標準化は官民挙げて取り組まなければならないテーマだが、技術への信頼を得る前に、信頼関係で結ばれた人間関係を構築することが重要であると指摘している。

私たちは、大学の研究室で熱伝導率に関する新しい測定法を開発し、幾つかのメーカーと市販装置の開発にまでこぎ着け、その普及の過程で国際標準化機構(ISO)の新標準として発効させた。現在までに、国際電気標準会議(IEC)において、マテリアルの熱伝導測定法の1 つとして引用されるに至っている。90 年代以降電子部品の集積化が進み、材料の放熱や耐熱性が注目され、熱特性測定法の標準化が必要となったことが背景にある。

温度波を用いた位相計測

図1  フィルム試料中を伝播(でんぱ)する
温度波(赤外線カメラによる観察像)と
位相遅れ

新標準の特徴は、従来適用が難しいとされた薄膜やフィルムの熱伝導率(熱拡散率)を、温度波を用いた位相計測により(図1)、正確にしかも簡便に測定できる点にある。温度依存性を連続的に測定することにより、相転移における熱伝導性など、実用のみでなく基礎的な研究への展開も進行中である。物質の熱伝導性の計測の難しさは、実際の物質の中の熱流とセンシングの位置関係のディメンジョン、これらと熱伝導方程式の正確な解法の整合性を、実験上、いかに実現するかにある。市販装置では、熟練を要するこれらの解法を、極めてシンプルにソフトウエア上で判断し、オートマチックな熱伝導性の測定を可能とした。このためにS/N のよいデジタルデータを高速に取得するセンサー、計算用ゲート回路の設計など、最新の電子回路技術を駆使している。

重み増す国際標準

世界貿易機関(WTO)のTBT 協定(貿易の技術的障害に関する協定)発効以降、加盟国は国際標準を国内に導入する際、国際標準があればそれを使用することを求めており、科学技術においても国際標準の重みは増している。ISO はIEC と並びグローバルな国際標準の代表格である。

標準化は、特許とは異なる発想で、技術の普遍的な普及を後押しするものである。ISO の測定法により得たデータは、国内外の機関で共有できる情報であり、特許や製品カタログへの記載も可能となる。幅広く産業技術の現場の人がかかわることにより、新しい技術の普及が進み、生産活動・日常生活への貢献とともに、さらなる技術進歩の土壌となることが期待される。

ISO の対象技術は、産業の現場で誰もが使うことができ、ある程度普及し始めていることが条件である。この当たり前のように聞こえる2 点をクリアして標準化のステージに載せることが、どれほどのものであるか、具体的な数字や経緯は差し控えるが、振り返れば、やはり筆舌に尽くし難い。

研究者として、材料の熱伝導性の研究に魅力を感じるうちに、方法論の正確性と技術の高精度性の追求のための膨大なデータが蓄積されていった。その過程で、「さらに幅広く産業技術の分野に普及して初めて、真の技術と言えるのではないか、そこまで見極めてみたい」と思うようになった。研究者は技術が優れていれば産業につながるだろうと期待するが、多くの壁を乗り越えていくには、開発者の熱意がなくては難しい。

大学発ベンチャーを設立

私たちは、2002年に大学人を中心に大学発ハイテクスタートアップ企業「株式会社アイフェイズ」を設立した。折しもベンチャーブームであり、大学、国、ベンチャーファンドなどの力を借りながら立ち上げた。ちょうどISO 提案が取り上げられたタイミングとも起業時期が一致する。基本的には自分たちで開発した新しい測定方法を標準化へつなぐためには、自分たちで装置製造を行わないとうまくいかないと考えたのである。また方法論としての普及(装置の普及)も開発者の熱意なしには難しいという判断も働いた。ただし、実験室装置から商品への道には大きな壁があった。当然と言えば当然である。

試行錯誤の末たどり着いたのが、熱拡散率・熱伝導率測定装置としては例のない高性能で迅速な測定を可能とした装置である。写真1 のようにUSB バスパワーで動く小型省エネルギーマシンである。微量、薄膜試料測定では世界唯一と言っていい。標準化と相まって、日本の製造業に広く認知されつつある。



写真1 USBバスパワーで動く小型省エネルギー熱特性測定器

加盟国のキーパーソンに説明


写真2 ISO/TC61/SC5/ 会議風景

しかしながら、標準化のステージに載せたその後の道もまた平たんではなかった。ISO はジュネーブに本部を置き、毎年約250のTC(Technical committee)が会議を開き、SC(Sub committee)、WG(working group)で詳細な議論の後(写真2)、1 年をかけて加盟国の国際投票を行う。本会議で仮に提案の発議が認められても最終ステージに至るまでの4 ? 5 年の間、毎年の投票をクリアすることが求められる。最初に提案を発議して、実際の提案を認められるまでの2 年間の間、小型軽量化に成功した装置を持って、加盟国のキーパーソンを訪ね、測定の実際を説明した。提案を認められて以降は、今度は、現存する複数の熱伝導率測定法とデータの整合性を確認するための国際ラウンドロビンテストを主催した。これも賛同を得て、各国の研究所が測定を開始するまでに3 年以上の月日が必要であった。この結果を基にTC 会議の際にワークショップをインド・ゴア、日本・横浜、イタリア・ローマで開催し、データに関する位置付けを議論したが、思った以上に好結果となり、最終的に標準化発効が認められるに至った。

万人のための共通の利益

この過程で何よりも大事であったのは、まず、提案する技術の優位性・確実性であることは論をまたないが、それにも増して、標準化という立場から、現存するあるいは新規のすべての技術について、普遍的で公正な判断をする姿勢を貫くことであったと思う。原則として、標準化は特定の国や企業を利するものではなく、産業技術を通して万人のための共通の利益をもたらすためのものである。新標準の位置付けを明確にし、必要な技術を議論し尽くすことで、約10 年の年月の議論を経て、関連した各国の強固な信頼関係が結ばれたと言ってよい。

測定法というのは、必要とされるデータが取れてこそ意味がある。できれば、簡単に誰でもいつでもというのが望ましい。そうなると、測定法の信頼性、互換性が重要視される。当然標準化が不可欠な要因になる。言葉の違う地域への生産拠点の移行などグローバル時代になって、標準化なき測定法が通用するのかどうか。官民挙げて、取り組まなければならないのは当然として、測定法の信頼を獲得する前に、信頼関係で結ばれたグローバルな人間関係を構築するという作業があることを忘れてはなるまい。