2010年9月号
単発記事
研究助成、世界の潮流は「テーマ」から「人」へ
欧米が日本を追いかけ始めた
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松尾 義之 Profile
(まつお・よしゆき)

株式会社白日社 編集長/
東京電力科学誌「イリューム」編集長


「テーマ」から「人とそのモチーフ(主題)」へ。研究助成金の世界のニューウエーブを英科学誌Nature から読み解いた。欧米の科学政策担当者が注目している1 つが科学技術振興機構(JST)のERATO だ。世界が日本を手本としている。

新しい動き

Nature 2009 年11 月12 日号は、生物医学分野で英国最大の民間助成財団ウェルカムトラストの新しい動きを伝えた。それは「支援対象を、研究テーマでなく研究者個人に変更する」というもので、面接によって、研究者本人とそのアイデアを評価するという。総額は約160 億円。2010 年度から実施された。

英国の場合、科学技術分野の公的な研究費助成金は、科学技術庁関係が年間約40 億ポンド(5,400 億円)程度ある。その大半は、英国研究会議(Research Councils UK)を通じて提供される。ただし、ここは連合体組織で、その下に、物理工学系(EPSRC)、自然環境系(NERC)、バイオ系(BBSRC)、医学生物系(MRC)など、独立した7 つの研究会議がある。

このうち、医学生物学をカバーしているMRC(医学研究会議)の助成額は年間630 億円程度。ウェルカムトラストは民間助成機関だが、その160億円は、生物医学分野における公的助成額の約4分の1に相当する。そこが「テーマから人へ」と方針変更したのだから、影響がないわけがない。

同じくNature 2010 年1 月7 日号では、10 年先の科学を見通す特集記事の中で、カリフォルニア工科大学のバルチモア博士らが、米国の医学生物学分野で最大の資金提供機関でもある米国立衛生研究所(NIH)のあるべき姿を提言している。その中でも、「研究資金の提供の基準は、提案されたプロジェクトの詳細ではなく、応募者個人の評価に重きを置くよう、NIHを大変革すべきだ」と強く主張している。

さらに同誌4 月15 日号では、日本の最先端研究開発支援プログラム(FIRST)を取り上げ、「日本がエリート研究者へ高額助成金を出し始めた」と伝えた。これは30 人の科学者に総額1,000 億円を支出する新しい助成金で、形式上、交付先は支援機関であるものの、研究自体は中心研究者の意向で実施される。もちろんこの記事も、人重視の流れに沿ったものだ。

しつこいが、もう1つ。同誌5 月6 日号では、英国学士院長のナース博士の発言が取り上げられた。彼もまた、優れた研究者を支援する制度が部分的に必要だと言っている。ただ博士は、同時に、そうした著名研究者がピークを過ぎたかどうかを厳密に審査する必要性がある、とも指摘している。

30 年も先を進んでいたERATO

この種の話には、科学そのもののような「証拠」があるわけではない。しかし、これだけの事実を羅列すれば、いま、世界の科学研究費がどっちの方向に変わりつつあるのか、はっきり見えると思う。

それは従来の「研究テーマ」にではなく、「研究者本人の能力とそのモチーフ(主題)」へ、なのだ。

私はこれらの記事を読んでいて「おや?」と思った。どうやらライターは、現在の科学技術振興機構(JST)による戦略的創造研究推進事業、なかでもERATO をご存知ないか無視しているらしい。ま、この類のことはたびたびあるので驚かないが、翻って、現在の日本の研究者で、「人を重視した助成金」が日本発であることを、果たして何人が知っているだろうか。

ERATO、つまり、1981 年に新技術開発事業団(現・JST)が始めた創造科学技術推進事業(現在の戦略的創造研究推進事業ERATO 型研究)は、私のような科学ジャーナリストにとっても、まさに記憶に残る画期的な新制度だった。

【ERATO とは】

独創的な研究を、卓越したリーダーのもとに展開し、基礎研究から今後の科学技術の源流となる新しい思想や科学技術の芽を創出する。人に着目した多様な人材と独立した研究体制が特徴。

●事業名

戦略的創造研究推進事業 ERATO 型研究(創造科学技術推進事業)

●背景(JST ホームページより抜粋)

我が国が自らの進路を切り開くためにも、国際社会に対する相応の貢献を行うためにも、自ら創造的な研究、特に基礎的な研究を充実することが不可欠であるという認識のもとに、昭和56 年、創造科学技術推進事業が発足しました。その後、第2 期科学技術基本計画や総合科学技術会議の推進戦略など新しい時代の要請を踏まえ発展的に解消し、国の戦略目標の達成に向けた基礎研究の担い手として、平成14 年より戦略的創造研究推進事業 ERATO 型研究として新たにスタートしました。

基礎研究は白紙に絵を描くようにお手本がありません。芸術のように才能と努力と運が支配的要件であります。つまり人であります。人(研究員)の才能と意欲を見抜くのもまた人(研究総括)であります。こうして伯楽と天馬のシステムは生まれました。研究総括の指揮のもとにグローバルな産学官から参加した若手研究員は、天空に天馬がはばたくように、新しい科学技術の流れをつくる研究を行っています。

●第1期の4プロジェクト(プロジェクト名に研究総括者の名前を冠している)
林超微粒子プロジェクト
統括責任者:林主税氏   (当時、日本真空技術株式会社会長:現、株式会社アルバック 社友)
ナノテクノロジーの先駆けとなった。
増本特殊構造物質プロジェクト
統括責任者:増本健氏   (当時、東北大学金属材料研究所教授:現、電気磁気材料研究所理事長)
増本氏はアモルファス合金の先駆者。
緒方ファインポリマープロジェクト
統括責任者:緒方直哉氏  (当時、上智大学理工学部教授:現、千歳科学技術大学名誉教授)
高度な付加価値を持った高分子材料を目指した。
西澤完全結晶プロジェクト
統括責任者:西澤潤一氏  (当時、東北大学電気通信研究所教授:現、上智大学特任教授)
化合物半導体の時代を切り開いた。

だいたい、最初の4 人の中に東京大学の教授が1 人も入っていなかったのだ。担当されていた千葉玄弥氏(ERATO を育て上げ、その後JST 理事を務めた)にも当時いろいろと話を伺ったが、その最大の眼目こそ、まさに「人に投資する」ということだった。

その後のERATO の成功は、説明する必要はないと思う。私自身、外国人も含め何人もの科学者から「ERATO は、世界で最もよく認知された日本のプロジェクト(助成金制度)ですね」という指摘を受けた。4 月15 日号のNature 記事にも、「日本国内で最も権威があり、また最も高額の資金を提供してきた科学技術振興機構による助成金」という記述があり、これがERATO や、同じJST 戦略的創造研究推進事業のCREST を指していることは言うまでもない。

【CREST とは】

インパクトの大きなイノベーションシーズを創出するためのチーム型研究。研究総括がリーダーシップを発揮し、研究領域の長として研究のマネジメントを行うのが特徴。

ERATO が世界の科学政策担当者から注目されてきたことも、ほぼ間違いない。現在、JST 産学連携アドバイザーである藤川昇氏によれば、プロジェクト発足から2~3年後、米国科学財団(NSF)が日本に大調査団を送り込み、ERATO を1週間にわたって徹底的に調査・研究したことがあった。ERATO の支援メンバーのほぼ全員から詳細なヒアリングを行ったほか、実施場所である地方都市へも現地調査に出向いたという。この話も、忘れてはいけない歴史的事実だ。

成果という面では、最近では、審良静男大阪大学教授(ERATO)、山中伸弥京都大学教授(CREST)が強烈なインパクトを与えたと思われる。例えば審良教授の研究はワクチンなど実用に直接結び付くため、彼らを焦らせたに違いない。まねしようという意思が働いたと見ると、ウェルカムトラストの新制度はきれいに話の筋が通るのだ。言うまでもなく、医学生物学の研究は、特に米国と英国が、国家戦略として強力に推進してきたターゲット。次なる産業のタネ、そこでのヘゲモニーの獲得という戦略も見え隠れする。それ故、反応も敏感なはずだ。

日本のERATO は世界の30 年先を進んできた、と言って間違いないと思う。わが国は諸外国の制度を学びそれを手本として取り込んできたが、逆に、成功例と見られ手本にされていることにも気が付いていい。サクセスストーリーを世界が追いかけ始めたのだ。

ピアレビューの限界を超えて

なぜ、研究助成金をテーマでなく人に出そうというのだろうか?これは30 年前の千葉玄弥氏のように、科学者本人ではなく、科学技術政策の専門家たちが頭を悩ませてきた課題だった。「独創的な科学技術こそが、長い目で見れば大きな国益になる」という動かし難い事実を、いかに政策として実現したらよいのか。具体的に言えば「ピアレビュー(専門家による評価)の限界」をいかに超えるか、だ。

論文の審査にせよ研究費の申請にせよ、科学や工学の世界における審査の基本原理はピアレビュー。高度な専門的知識が必要になる「選別」においては、素人の口出しは「百害あって一利なし」。事業仕分けではないが、本質を外してトンチンカンな話になりかねないからだ。そこで、対象になっている研究に最も近い専門研究者を複数選び出し、彼らに評価・判断を委ねるのだ。

このピアレビューは最も合理的な審査方法であるとされ、世界中で採用されてきた。専門家の誠実性と民主的な公正さを前提にした選択方式とも言える。しかし、民主的であるが故に、非冒険的、月並みな決定になる傾向が強い。意図すれば、ボスの意向や仲間内のお手盛りで決まる危険性もはらんでいる。 一方で、いくら手続きが民主的でも、その成果が問われるのは助成機関の宿命だ。特に公的資金の政策担当者は、税金の有効活用という責務もあって、成果を強く意識せざるを得ない。ある意味で、科学者本人よりシビアに反応する面がある。ところが、革新的・画期的成果を目指すような場合、専門科学者に任せておくと、十中八九、その種の可能性を持った候補が選ばれないのだ。あえて言えば、専門家でさえその重要性に気が付かないようなテーマでないと、新しい仕事は生まれにくい。

このような場合、少なくとも、科学者の多数決的発想ではうまくいくはずはない。そこで採用されたのがERATO 方式と言ってよい。それは、政策担当者が影の主役・専門家となって、候補者を時間を掛けて探し出し、詳しく調査し、その研究者の能力を見極め、候補に推薦する、あるいは申請書を出してもらう、という方式だ。ERATO などでは、約3 億円×5 年のプロジェクトリーダーを選ぶために、約1 年もの時間を費やしている。候補者1,000 人から10 人まで絞り込み、さらにそこから複数名を最終的に選んでいるという(公開文書などによる)。

見かけ上、この方式は民主的というより、ある意味で“独断的” と言えるかもしれない。しかし、審査・選択のプロセスに多くの時間を掛けて、丁寧に選び出しているため、別の意味での合理性を備えている。政策担当者の中に専門家が養成され、しかも、ピアレビューの最大の問題、つまり「極端に尖った興味深い野心的テーマが選ばれにくい」という欠点を、はっきりと乗り越えている。

選ぶ側の意思

いま世界の潮流が向かいつつある「人選択方式」でも、選び方、手続きは、合理的でなければならない。というより、選び方がいかに合理的であるかを示すこと以外、その正当性を立証する手立てはない。ERATO やCREST が高く評価され信頼されるのは、もちろん選ばれた人の成果・実績もあるが、その選ぶプロセスがきちんと合理的になされているからだ。こういう手続きは、ともすれば軽視されがちだが、極めて大事なポイントである。選ぶ側の強い意志や意図は、選ばれる科学者に当然伝わる。審良教授は本誌(JST「産学官連携ジャーナル」)2010 年6 月号のインタビューで「JST には科学の本質を見通せる『本当の目利き』が何人もいるのだと感じました」と語っている。また、第1回ERATO のリーダーの1 人でもある西澤潤一・元東北大学教授(現在、上智大学特任教授)は、「二番煎じの研究はダメだという点で、JST の千葉玄弥さんと考え方を共有していました」と振り返る。原子核物理学者からあえて政策担当者となった千葉氏の眼力を高く評価し、特に、「役に立つ研究(発明を必要とする応用的研究)と、未知の領域を拓(ひら)く研究(発見を必要とする基礎的研究)の2つを、理学系研究者のように別物と考えるのではなく、表裏一体・不可分だと鋭く見抜いていた点が素晴らしかった」と語る。

Nature の2 月18 日号の社説では、あのNature でさえ、「たとえ査読者3 人がすべて却下と結論しても、編集部独自の価値判断で論文掲載を許可することが年に数件はある」と公表している。雑誌自身が全責任を負うという気概であり、このあたりもERATO の精神と共通する部分がある。

ERATO が標榜(ひょうぼう)した「創造的な科学技術」は、さまざまな形で太い幹となり、最終的に、科学技術基本法、また「創造科学技術立国」というコンセプトへと結び付いていった。これまた歴史的事実である。

厳密さと高い倫理観

世界の資金提供機関は、従来の民主的方式では画期的な成果が生まれる可能性は低いので、資金を有効に使うため、もっと選ぶ側の意思を生かす独自評価方式へとかじを切りはじめた。日本の場合、現状に則したバランスで拠出されているが(科研費2,000 億円:JST 関係500 億円)、諸外国はもっとドラスチックな試みを始めるかもしれない。

FIRST のように、1 件当たりの助成金額はますます増加しており、それにつれて、要求される論理の普遍性・厳密性と倫理観は、ますます高くなっている。日本の科学者および政策担当者は、専門家として胸を張ってきちんと説明できる根拠と論理を示し、はっきりと責任を果たさねばならない。もしも安直な審査、仲間内の結託、ボスの独断などを許せば、そのしっぺ返しはとてつもなく大きいことを肝に銘じるべきだ。

「テーマより人」という動きは、産官学連携にも応用できそうだ。優れた人を紹介し、そこから、考えもつかなかったような連携が生まれる可能性を探ってもよいのではないか。——僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる(高村光太郎)