2010年11月号
特集2  - 復興宮崎 熱く
深くて浅い歴史を持つ宮崎だからこそできること
顔写真

石田 達也 Profile
(いしだ・たつや)

九州ソーシャルビジネス促進協議会(Sofi)
代表幹事/特定非営利活動法人
宮崎文化本舗 代表理事

創立10周年を迎えたNPO法人宮崎文化本舗は、中心市街地で映画上映を行う「宮崎キネマ館」事業と、市民活動団体などの事務局を代行する受託事業の2つを柱にしている。地域活性化の裏方の事業を通じて、地域のネットワーク構築に貢献している。

今年4月に発生した口蹄(こうてい)疫が宮崎にもたらした被害は、想像を絶するものであった。宮崎県が発令した非常事態宣言によって、畜産業だけでなく、あらゆる産業や市民生活までが、誰もが予想すらできなかった影響を受けることになった。私は今回のことで、宮崎の問題が浮き彫りになったような気がする。宮崎は神話の国と言われているが、城下町や天領、宿場町など近代においての歴史が空白に近く、強いリーダーシップで引っぱっていくということに慣れていない。言い換えれば、1つにまとまって課題に対して立ち向かうということに疎いと言えるのではないだろうか?

いま宮崎の町に来ると「がんばろう!宮崎」とか「がんばらんね!宮崎」とか、とにかくいろんな「がんばろう!」的なものが溢れかえっている。今回の件で、非常事態宣言を出すときにどんな終息を迎えるのか、出す前にどんなことを想定して動かなければいけないのかを考え、引っ張っていく強いリーダーシップは存在しなかったし、それに異を唱える市民もいなかった。単純にいうとバラバラでやっているという感じがしてならない。

神戸の震災の場合、被害を受けたコミュニティは、ほぼ同じ度合いで存在するのに対し、口蹄疫の被害の場合、同じ地域に住んでいても従事する業種によって被害の度合いが異なるという点も要因の1つであると考えられる。しかし、いろんな人たちがバラバラで「口蹄疫復興!」というスローガンの下に、毎日複数箇所でイベントをやっているように感じるので、宮崎に住む者なら「もうちょっと1つになって復興に取り組んだ方がいいんじゃないの?」と少しは考えるはずである。

逆に一国一城の主がいない町だからこそ、できることはあるはずである。宮崎には近代の歴史を築いた偉人や名家は少ない。実際にはいるのだが、歴史の教科書に写真や肖像画が載るほど全国的な知名度を誇る者は、極端に少なくない。自分のところさえ潤えばという気持ちを持ち合わせている者も少ない。みんなで一緒に何とかしようというリーダーシップもなければ、自分さえ良ければいいという気持ちも強くないというところが、宮崎の弱みであり、逆に強みであると考える。

災い転じて福となす

危機という言葉は、「危険」と「機会」を合わせた言葉である。災い転じて福となす、ピンチをチャンスに生かすという考えは、日本のみならず世界の多くの国々に共通した考え方である。負の要因を、いかにして正へと導くかということは地域の課題を解決するために基本となる考え方であり、ソーシャルビジネスや地域活性化にも共通するテーマである。

写真1

写真1 宮崎キネマ館


写真2

写真2 音楽祭


写真3

写真3 花の植栽

私どもが運営する“特定非営利活動法人 宮崎文化本舗”はそうしたテーマを踏まえ、2000年10月に設立、今年で創立10年目を迎えたNPO法人である。創立当初は自分も含め3人のスタッフで活動し、年間事業費も数千万円だったのが、今では事業規模も3億円を超え、スタッフはパート・アルバイトも含め約50名、福祉系のNPO法人を除いて、宮崎県内では最大規模のNPO法人に成長した。宮崎文化本舗の主な事業は、大きく分けて2つに分かれる。1つは芸術文化の発信基地として、中心市街地の商業ビルで映画上映を主たる目的としたホールを運営する「宮崎キネマ館」(常設映画館、写真1)事業。もう1つは、市民活動団体等の事務局を代行する受託事業である(写真23)。2007年度からは、指定管理業務にも乗り出し、地域住民と連携しつつ、収益を生み出す事業にも乗り出した。この10年間を振り返ると、当初想定していた売上目標を大幅に超え、雇用を生み出し、なおかつ「事務局代行」という地域活性化の裏方としてさまざまな事業を手掛けることで、地域でのネットワークが構築できたのではないかと自負している。

機動性が重要な鍵

現在の一般的なNPOの活動は、さまざまな事象に対応するための事業を実施する近視眼的な活動が多いように思われる。例えて言うと、根が腐っているのに枝葉が枯れていることに対してのみ応急措置を講じているように思えてならない。「土から変える」社会基盤の変革、改革こそ今こそ必要な取り組みである。それは行政だけでも、市民だけでもできない。限られた財政状況の中で市民と行政がお互いの立場とその違いを認識し、役割を分担してこそ真の協働ができる。縦割り社会の行政や企業では対応しきれない役割を市民社会でいかに補完していくか。そこには高齢者や子どもといった年齢、ジェンダーでくくられる壁を越えて活動できる自由な発想の下で縦横無尽な動きができる「機動性」が重要な鍵となってくる。来るべき少子高齢化社会で、市民1人ひとりが自覚を持ち、行動することが望まれるのではないだろうか。