2010年11月号
連載3  - 世界トップクラス研究拠点の産学官連携
(中)
エコシステムとしての産学官連携
顔写真

永田 晃也 Profile
(ながた・あきや)

九州大学大学院 経済学研究院
准教授/文部科学省 科学技術政策研究所
客員研究官

イノベーションが生み出される仕組みを生態系としてとらえた「イノベーション・エコシステム」。米国のパルミサーノ・レポートで提唱されたこの概念から産学官連携を考察する。

「イノベーション・エコシステム」という視点

米国競争力委員会(Council on Competitiveness)が2004年に発表した報告書「イノベート・アメリカ」(通称「パルミサーノ・レポート」)は、米国の国家的なイノベーション戦略を方向付けたものとしてわが国でも注目を集めた。そこで提唱された新しい概念の1つが、イノベーションが生み出される仕組みを、経済および社会の多様な要素の継続的な相互関係で成り立つ生態系としてとらえた「イノベーション・エコシステム」である。産学官連携は、そのようなシステムの核心を構成するものと言えるであろう。

ただ、「イノベーション・システム」の国家的な特徴に関する議論は80年代に始まっており、各国のナショナル・システムにおける産学官連携の役割についても相当の知見が蓄積されてきているので、単に要素間の相互作用の側面を強調して「システム」を「エコシステム」と言い換えてみるだけで、政策に新たな視点がもたらされるわけではない。この点について前述のレポートは説得的な議論を提示しているとは言い難いのだが、そもそも政策論に「イノベーション・エコシステム」という概念を導入することは、どのような意義を持ち得るのだろうか。

周知のように「エコシステム」は、一定の条件の下で持続可能であるが、その条件次第では壊れやすくもあるという二重の性質を持っている。構成要素や外的要因のわずかな変化が、システムの持続可能性を脅かすこともあるため、その意味で基本的に変化はシステムにとって回避すべきものである。一方、イノベーションとは、従来にない要素の結合から創発する性質を持ち、それ自体が変化を生み出すプロセスでもあるから、「イノベーション・エコシステム」というレトリックは、明らかな矛盾を内包している。このような概念的な矛盾がリアリティを持つのは、それが記述概念ではなく、規範的な概念として理解される場合に限られる。すなわち、「イノベーション・エコシステム」とは、研究者らの構成した「ナショナル・イノベーション・システム」という記述概念とは出自からして異なっており、ただ持続可能なイノベーション・システムを構築しようとする政策のマニフェストとしてのみ意味を持ち得るのである。

欧州のトップ拠点にみる産学官連携システム

もっとも、わが国において産学官連携をコアとするイノベーション・システムを戦略的に構築する上では、「イノベーション・エコシステム」の概念が創唱された米国より、むしろ欧州での取り組みに参考となる事例が数多く見いだされるであろう。システム概念を政策論議に導入することに伴うメリットの1つは、あるシステムを構成する個別の要素がほかのシステムに比して劣位にあるとしても、要素間の相互作用の仕方によっては、システム全体としての優位性を構築できる場合があるという点への着眼が促されることである。第2次世界大戦後、さまざまな科学技術分野での研究活動において米国の後塵を拝し、人的、物的な資源といった個別要素レベルでの蓄積では、もはや米国に伍していくことが困難になった欧州諸国は、個別要素の相互作用を促すための施策には米国以上に戦略的に取り組んできたと見られる。

文部科学省科学技術政策研究所が平成19年度に実施した「欧州の世界トップクラス研究拠点調査」は、そのような取り組みによって形成されたシステムとして、トップ拠点の特質を抽出している。この調査は、重点推進4分野および基礎科学(数学、素粒子物理)領域に関連する拠点の中から、英国、ドイツおよびフランスの卓越した23拠点を選定してケーススタディを行ったものである。報告書の総括部分では、前年度に実施された米国調査との比較を踏まえながら、以下のように調査結果を分析している。

限られた研究資源から卓越した成果を効果的に生み出していくためには、研究ターゲットを戦略的に設定し、重点的に研究資源を投入しなければならない。研究ターゲットの設定や、その外枠であるビジョンないし研究プログラムの策定には、拠点リーダーに登用された世界トップクラスの研究者が自らの責任において取り組むことが望ましい。しかし、研究資源の制約という問題は、トップ人材を拠点リーダーに登用する上での制約として現れることもある。そのような場合、しばしば研究ターゲットの策定等に関与する評価委員会にトップ人材を巻き込むという方式が、欧州では採られている。

欧州の拠点において、戦略的な研究ターゲットの策定が決定的に重要な課題として取り組まれているのは、それが効果的な資源投入を可能にするばかりでなく、優秀な研究者を惹き付ける誘因となり、政府および産業界が提供する多様な資金源からの研究費の獲得にも結び付いているからである*1。かくして拠点に結集した優秀な人材が卓越した成果を挙げ、研究コミュニティや政府、産業界に認知されれば、それがまた拠点の求心力を高めるという好循環が生まれる。図1に示すように、このような拠点は、あたかも研究コミュニティや資金源との間で入力と出力を循環させるシステムとしてとらえられるのである。

図1

図1 システムとしての世界トップクラス研究拠点の成立要件

システムの持続可能性とは

このようなシステムとしての世界トップクラス研究拠点の持続可能性は、当該拠点が関係している研究分野のライフタイムという要因にも規定されるであろう。ある研究分野において拠点が外部環境との好循環を保持したシステムとして成立していても、その分野のライフステージが衰退期に入れば、やがて当該拠点の役割も終わりを迎えることになる。従って、あるシステムが特定研究分野のライフタイムを超えて、なお持続的に卓越したポジションに立つという状況は、そのシステムが絶えず新しい研究分野を先取りする戦略によってのみ可能となる。そのような戦略のみが、「イノベーション・エコシステム」というマニフェストを、字義通りに実現するための方法となるのである。

実際、今回調査の対象となった拠点の中には、このような戦略を意図している事例がみられた。例えば、フラウンホーファー・コンピュータアーキテクチャー&ソフトウエアテクノロジー研究所では、1つの分野に固執していると世界トップクラスの研究成果を生み出し続けることができないとの認識の下、組織を常に更新させていくために、パーマネントスタッフの割合を制限しているという。 こうした事例では、トップ拠点の役割が、特定分野のライフタイムよりも長期にわたる知的進化のプロセスを担うものとして設計されているのである。

*1
産学官連携に基づく多様な資金源という点に関連して、1つの例を挙げておこう。グルノーブル工科大学とフランス原子力庁が共同で設立したナノテク関連の中核研究機関であるMINATEC( Microelectronics Nanotechnology Innovation Center)には、Co-Finance Grantと呼ばれる学生向けの特徴的なグラントが用意されている。その資金は産業界と政府によって2分の1ずつ負担されており、資金を獲得した学生には、資金を提供した企業のラボで一定期間活動する機会が与えられている(ただし、全期間を大学のラボで研究することも認められている)。