2013年8月号
インタビュー
驚異の新素材「アモルファス合金」開発秘話
「音質が素晴らしい、オーディオに搭載せよ」ソニー大賀社長が決断
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増本 健 Profile
(ますもと・つよし)

公益財団法人 電磁材料研究所 理事長
東北大学 名誉教授


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鈴木 耐三 Profile
(すずき・たいぞう)

公益財団法人 電磁材料研究所 理事
元(中国)ソニー電子有限公司 社長


30年余り前に実用化され多くの分野で使われている“アモルファス合金”という素材がある。固体には、原子が規則正しく並んだもの(結晶)と、原子が不規則に配列したもの(非結晶)の2種類があり、アモルファスは後者の物質の状態をいう。アモルファスの金属は1960年に米国の研究者が発見したが、実用化は難しいと考えられていた。そのアモルファス合金を研究し、製品化への技術を開発したのは電磁材料研究所理事長の増本健博士(元東北大学金属材料研究所長/教授)。新技術開発事業団(現・科学技術振興機構=JST)の産学官連携プロジェクト「委託開発」で実用化を進めた。

東北大学の増本研究室の研究生として、1974年に双ロール法で世界で初めてアモルファス合金の薄帯をつくったのは鈴木耐三氏(現・電磁材料研究所理事)。鈴木氏はその後、ソニーで、アモルファス合金を使用したオーディオヘッド開発に取り組んだ。

アモルファス合金の開発をめぐり日米間の特許紛争が起こったが、最終的に米国において増本博士らの先行発明が認められ日本側の全面勝訴となった。産業面でも日本企業がリードしている。まさにわが国の研究開発力、ものづくり現場の優秀さを世界に認めさせたプロジェクトであった。

増本、鈴木両氏へのインタビューから、驚異の新素材アモルファス合金開発の秘められた物語が明らかになった。

(聞き手・本文構成:本誌編集長 登坂和洋)

1.研究の背景

「金属は原子が比較的動きやすいから…」

―先生のご研究は広く知られており、小誌にも1度ご寄稿(2010年2月号)いただきましたが、あらためてアモルファス合金の研究を始められるようになったきっかけからお聞きしたいと思います。

増本健氏

増本 私がアモルファスの合金と出会ったのは1969年です。大学の図書館で手にしたある学術雑誌に、ポール・デュエイというカリフォルニア工科大学の先生が、合金を急冷すると新しい組織ができ、その1つとして非結晶の組織が得られると書いてありました。それが最初のヒントでした。これは何だろうと興味が湧きました。しかし、その論文が発表されたのは1960年でしたから、それから9年間はほとんど誰も注目しなかったわけですね。

われわれ人間が古代から使っている金属は、全て原子が規則正しく並んでいる結晶です。これに対して、アモルファスは、原子が不規則に分散している構造を持っており、ポリマーやセラミックスでは存在します。その典型が透明ガラスです。以前からアモルファスという言葉はありましたが、金属ではアモルファスはできないというのが当時の常識でした。金属の液体をいくら早く冷やしても、結晶になってしまうと言われていました。

また、ガラスのような非結晶のアモルファスでは、一般に脆いと考えられていました。従って、最初は、金属もアモルファスになれば脆くなるだろうと予想しましたが、しかし、何とはなしに、そんなことはないのではないかと直感的に思いました。その理由は、ガラスでは原子間に共有結合という強固な力が働いているのですが、金属の場合は原子間が金属結合によって緩く結合していますから、1個1個の原子が自由に動きやすい状態です。だから、金属はアモルファスにならないと説明されていたわけですが、もしアモルファス合金ができれば、原子が動きやすいことから、変形するのではないかと考えて、調べてみたいと思ったのが最初のきっかけです。

―すぐに研究を始められたのですか。

増本 残念ですけど、この研究は日本ではできなかったのです。その当時は、学生運動が激しい時であり、勤めていた東北大学でも激しい学生運動のために、研究ができる状況ではありませんでした。それで、アメリカの先生に相談し、1969年の9月から1年間ペンシルベニア大学に行くことにしました。アメリカでは、早速、考えていたアモルファス合金の研究を提案し、開始しました。しかし、当時の急冷装置では小さい粉末状のものしか作れませんでした。粉末では強度を測れないので、まず測定できる形状の試料を作る必要がありました。それで、最初にアモルファス合金のテープを作ることを目指しました。このテープを作ったことが、その後いろんな応用につながるのですが、このテープを用いて引っ張り試験をしたところ、非常に強いことが分かりました。その強度が結晶の約10倍もあったのです。それで驚いて、これは面白いぞというので、ますますこの研究に打ち込んだわけです。そして、強さとともに靭性があることも分かりました。

―そのアモルファス合金のテープの成果が最初の論文ですか。

増本 この研究成果は、1970年の国際会議で発表し、翌年に学術論文として発表しました。これが最初の論文です。

―学会の中の受けとめ方はどうでしたか。

増本 国際会議では最後の講演でしたが、全く反応はなかったようですね。

―それが学会や産業界から注目されるようになった経過はどういうものですか。

増本 1年間のアメリカ生活を終えて日本に帰ってきて、すぐに日本金属学会で発表しましたが、全く反応はありませんでした。アメリカで研究した合金は、パラジウム-シリコンという貴金属の合金だったので、あまり興味が無かったのでしょうね。そして、1971年に新聞発表をしたところ、その新聞の内容が英訳され、世界に発信されてから、一躍注目されるようになりました。後で特許紛争となるアライド社の材料研究所のギルマン所長も読んだそうです。そして、1972年9月、ギルマン所長から招待され、アライド社の研究所を訪問して、アモルファス合金の講演をしました。これが、後に特許紛争の源になるとは思いませんでした。

―企業の反応はありましたか。

増本 すぐにはありませんでした。企業の反応があったのは、その後、鉄のアモルファス合金を作ってからです。ご存じのように、鉄というのは極めて広い用途があります。アモルファス鉄合金ができてから、東北大学金属材料研究所(金研)の磁性専門の助教授と、腐食専門の助教授にこの研究に加わってもらいました。それから2年後の1973年、アモルファス合金のいわゆる三大特性――高軟磁性、高耐食性、高強度――を発表してから、多くのテレビ、新聞、雑誌などのメディアで大きく報道されました。それから、多くの企業が研究所に来るようになりました。また、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構=JST)の方もすぐに来られて、ぜひ事業化のプロジェクトをやりましょうということになりました。関心を持つ企業があまりに多いので、同事業団にコーディネートしていただいて、企業29社が参加したアモルファス技術開発推進会という産学官の組織を作りました。

2.量産技術に挑む

世界初の試作品は長さ70センチのテープ

―鈴木さんはいつからアモルファス合金に関わるようになったのですか。

鈴木 1974年です。当時、私は仙台の特殊鋼メーカーで金属材料の研究開発に従事していました。増本先生から会社の役員に、アモルファスの生産技術を担当する研究者を出してほしいという話があり、私が研究生として派遣されることになりました。それから約2年、増本研究室でアモルファスを量産する技術開発の研究に携わりました。

私が担当した実験装置「双ロール法」は、金研だけでなく、電気磁気材料研究所(電磁研)にも設置されていましたが、電磁研の装置の方が取り扱いやすくて、当初はこちらに通って実験していました。

―研究は進みましたか。

鈴木 初めのころは、魚のうろこ状の細片がロールの下方にばらばらと出てくるだけでした。試作機を微妙に改善したり、作成条件を変更したりしながら、何度も実験を繰り返すという日が続きました。3カ月ぐらい過ぎた時に、それまで見落としていた面白い現象に気が付き、それがヒントになって、運良く、ある程度の幅の長尺のアモルファス薄帯ができました。いわばリボン状の形で、長さは1本がおよそ70センチありました。一度うまくいくとあとはどんどん進むもので、そこからは次第に幅を広くすることができ、長さも安定した試料を作成できるようになりました。

―長い材料ができたのは世界初ですね。

鈴木 そうですね。これが最初です。

3.委託開発:音響機器への応用

磁気特性がよく、高音を拾う

―1977年から、新技術開発事業団の委託開発事業で「アモルファス合金の応用」の開発課題がスタートしました。それは4社によるプロジェクトでした。

増本 通常の委託開発では複数の企業が取り組む例はないのですが、この課題は非常に大きなテーマだからというので、日立製作所と日立金属が「電磁材料用アモルファス金属の製造技術」、松下電器産業(現・パナソニック)とソニーが「アモルファス金属の応用技術」を担当しました。この開発期間は1977~81年の5年間でした。さらに、3年後の1980年から5年間、新日本製鐡による「電力変圧器鉄心用非晶質金属の製造技術」が採択されました(表1)。これらの企業は、事業団の「アモルファス技術開発推進会」に加入していた企業であり、その中から次々と応用開発を目指したわけですね。

表1 新技術開発事業団の委託開発事業に採択された「アモルファス合金」開発課題

鈴木 先生の研究室は、これが大学の研究室なのかと思うくらい企業の研究者がいっぱいいました。先生のところから出ていった人がそれぞれの企業で量産に成功しています。今でもその人たちとはお付き合いさせてもらっています。

―私が取材したところによると、ソニーにおけるアモルファスヘッドの開発は、当初、いろいろやってみたがうまくいかなかったようですね。そこに、東北大の増本研究室でアモルファス金属を世界で初めて試作した鈴木さんが入社することになったのですね。

増本 ソニーの研究所が手掛けた双ロール法は量産が難しい方法です。少量で単品の場合には良い製法ですが、量産というわけにはいかない方法です。この方法で作製したアモルファスをソニーはカートリッジのトランスに使いました(1980年)。ソニーが世界で最初にアモルファス金属を使った製品として売り出したのです。磁気特性がいいものですから、カートリッジとしての音響特性というのが非常に良かったのですね。その後、すぐに単ロール装置を開発してから大量生産が可能になりましたけれども、それまで大変苦労したようです。

鈴木 増本研究室でアモルファスの量産技術の研究が一段落した後、私は会社に戻りましたがその後、縁があって、1979年にソニーに入社することになりました。入社して間もなく、上司から「アモルファス合金の磁気特性は非常に面白い。オーディオヘッドに使ってみたいので、急ぎ組成の開発と量産技術の確立をしてほしい」との命が下りました。

―アモルファス金属づくりはどうだったのですか。

鈴木 量産に適した合金の溶解方法や合金の噴き出しノズルの開発、ロールの回転数の最適化などを行い、約4センチの幅で長さが20メータのものを作れるようになったのが1981年です。その広幅のアモルファスの製法は、増本先生が開発された単ロール法を採用しました。単ロール法というのは、銅製のロールを高速で回転させ、この上にノズルを突き付けて、そこから溶融した合金を噴き出して急冷し、アモルファス薄帯を作製させる方法です。この方法も、先生のところの実験機を見せてもらって、ソニーで量産機を開発しました。

オーディオヘッドを作るには磁気特性の優れた材料が必要ですが、どういう組成のアモルファス合金が適しているかもアドバイスをいただきました。先生のところから基本的なことを全部教えていただいたので、比較的短時間で立ち上げることができたわけです。

―ソニーの中央研究所が一生懸命やってもできなかったということを知ると、生産技術がポイントになっていたことが分かります。単ロール法は日本の発明でしょうか。

増本 われわれが開発した製法ですが、残念ですが、この単ロール法の特許を出さなかったのです。

―なぜですか。

増本 当時は、大学から特許を出せなかったのです。ですから、単ロール法の技術は、国内外の大学や企業にオープンにしたのです。もちろん、ソニーだけじゃなく、公平に皆同じように教えたので、この原理を利用して各企業が独自に競争して開発したのです。今でいう産学官連携とは違うんです。現在の産学官連携では、確立した技術や特許があって、それを基に共同で開発するのですが、アモルファス合金の場合は特許がなかったんです。先に言ったように、大学では、特許出願は国有特許にしなければ駄目だった時代でしたが、かといって国が出願の資金を出さないので、個人で払わなければならなかったのです。だから、特許を出せなかったのです。そこで、私たちの成果は論文でどんどん出しました。

鈴木 企業では、ある程度うまくいくと分かればお金を出しますが、先ほど話したように、ソニーでは当初、アモルファスをあまりうまく作れなかったので、お金はあまり出せないような状態だったと思うのです。そういう中で、上司からやりなさいと号令が掛かった時に、新技術開発事業団からの開発資金は大変ありがたかったですね。ある程度先が見えてからは、ソニーからのお金はどんどん出ました。

―そこからオーディオへの応用が始まるわけですね。

鈴木 1981年の7月の中ごろ、私の上司がアモルファス合金で試作したオーディオヘッドを搭載したカセットデッキを大賀典雄社長のところに持って行って聞いてもらったところ、「音質が素晴らしい」と大変気に入って、すぐ「年末商戦に間に合わせるように」と指示したそうです。

―しかし、すぐラインに乗せるという状況ではなかったのですね。

鈴木 まだ手作りに近い状態だったのです。アモルファステープ(薄帯)をエッチングでコアの形に抜き、これを重ねて樹脂に埋め込んで、オーディオヘッドを作りました。ソニーは、事業化すると決めたら人もお金も投入しますから、あとは皆で頑張るだけでした。そして、1981年の暮れに、初めてソニーの「エスプリシリーズ」という高級オーディオの磁気ヘッドとして搭載されました。商品名は「アモルファス・レーザーヘッド」です。

―音楽家でもあった大賀社長をうならせた音響特性ですか。

鈴木 音質をどう評価するかは、聞く人の好みにもよるのです。それまで「センダスト」という材料のオーディオヘッドを使っていました。センダストは、増本先生のお父さんの増本量(はかる)先生が開発された材料です。私は、実はそちらの方の音が好きなんです。センダストの方が音の迫力があるのです。アモルファスの方は磁気特性がいいものですから、高音のほうも全部拾うのです。ですから、ノイズっぽい音まで拾って、私にはちょっとうるさい感じがしました。ところが大賀社長は音の専門家ですから、アモルファスはバイオリンの弦の音の全てを拾うので、これは素晴らしいと言ったらしいのです。

―増本量先生が発明した材料とは驚きですね。幸せな研究者親子ですね。

鈴木耐三氏

増本 実は、センダストの発明は私が生まれた年の1932年なのです。古い材料ですけれども、今でも多くの電子機器、トランスなどに使われています。

鈴木 オーディオ関係者でもセンダストのファンがおりましてね。センダストは超ロングセラーです。

―素晴らしい話ですね。

鈴木 私が電磁研でアモルファスの量産化の研究をしていた当時、増本量先生は電磁研の所長でした。私が初めて70センチの長さのアモルファステープの作成に成功した時に、所長室に「できました!」と持って行ったんです。その時はとても喜んでくれました(普段は怖い先生だったのですけれども……)。

―それからウォークマンに展開するわけですね。

鈴木 「エスプリシリーズ」というオーディオデッキに使ってから2年後ぐらいに、ウォークマンに搭載しました。高級デッキの音を大賀社長が非常に気に入ってくれまして、それでアモルファスを全面展開しようということで、ウォークマンもやろうということになりました。それからしばらくの間、いわゆる“ソニーの音”はこのアモルファスヘッドで創られたのです。

増本 最初に売り出した製品は、この電磁研の展示室に陳列してありますよ。

4.広がる用途

送電ロス2%削減のトランス

鈴木 われわれがある程度の工業化をしてから、その後、日立金属が例のトランス材で事業を展開しました。日立金属の量産技術は大変な技術だと思います。

―今、産業界は厳しい環境にありますが、日本発の技術は頑張っていますね。

鈴木 アモルファス合金は、今、日立金属が年間10万トン以上の電力トランス用材料として生産しています。アモルファストランスは、従来のものに比べ2%ぐらいロスが少ないのです。日立金属からそれを購入している中国、インドをはじめ新興国は、電力トランスの稼働中のエネルギーロスを少なくすることで、大きな利益を得ることになります。電気の2%は大変な金額ですよ。この省エネ効果は大きく評価されてもいいのではないかと私は思います。地球環境への貢献という意味でも。

―そういう意味では、増本先生の研究が社会・経済へ果たした貢献は大きいと言えますね。

鈴木 アモルファス合金の発明は、今になって大きな貢献を果たしていますね(表2)。

表2 日本企業が開発したアモルファス合金素材の推定製造額

―「委託開発」のころ、その関連企業だけでなく、勉強会の企業も出入りしていたので、増本先生の研究室はにぎやかだったでしょうね。

鈴木 前にも言いましたが、増本研究室は、どの部屋も本当に企業の人がいっぱいで、「いいのかな」と思うくらいオープンでした。どの企業の方がいつ来るか全部白板に書いてあって、企業の動きが全部分かるのです。それはお互いさまでしたけれどもね。後にアモルファスでいろいろ実績を出された方はそのときに一緒にいた人たちですね。

―東北大学の学風というのでしょうか。やっぱり伝統だと思いますね。

鈴木 例えば、先ほどのオーディオにふさわしい合金組成をはじめから見つけるとなったら、3年ぐらいはかかります。先生のところに行くと、すぐに教えてもらえるので、さっと作れてしまうわけです。

増本 創立以来の金研の伝統がありました。私がアモルファス合金を発表したとき、すぐに金研内からいろいろな分野の研究者35名が集まって「アモルファス合金研究会」が結成され、総合的研究が開始されました。このようなことは、まさしく金研の伝統のおかげであると思います。そして、その研究成果は、金研が発行する英文誌「RITU」に投稿して、全世界に配布しました。このおかげで、金研がアモルファス合金の発祥の場所となって、急速に世界に広がりました。

また、当時の大学では、産業界と連携することが非常に困難な時代でしたが、新技術開発事業団の支援によって産業界との協力体制ができたことが、わが国のアモルファス合金の応用研究が世界を先導した大きな理由であったと思います。本当に、金研の伝統と新技術開発事業団の支援のおかげですね。

5.研究プロジェクト:ERATOの成果

ナノグラニュラー磁性材料が実用化

―1981年から先生は、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構=JST)が始めた創造科学技術推進事業(JSTの戦略的創造研究推進事業ERATO型研究に発展する元の事業)「特殊構造物質プロジェクト」の総括責任者を務めました。このプロジェクトの期間は1981年10月から5年間でした。創造科学技術推進事業は、わが国が自らの進路を切り開くためには創造的な研究、特に基礎的な充実が不可欠であるとして始めた新しい研究システムで、「特殊構造物質」はその第1期の4プロジェクトの1つでした。ほかに、林主税氏の「超微粒子」、緒方直哉氏の「ファインポリマー」、西澤潤一氏の「完全結晶」のプロジェクトがありました。先生の研究は委託開発の延長だったのでしようか。

増本 いや全く違います。プロジェクトの話があった最初は、アモルファス合金の研究を考えていたのですが、文部省と科学技術庁の関係から、科学技術庁の事業では「アモルファス」という名前は使えなかったのです。それで「特殊構造物質」というタイトルにしました。従って、プロジェクトではアモルファス以外のことも広くやったわけです。

―結果的にはそこでテーマを変えられたのがよかったのですね。

増本 そうです。アモルファス合金の研究は東北大学の研究室で行うことにして、このプロジェクトでは、いろいろな特殊構造物質について総合的な研究をしました。その結果、「ナノグラニュラー磁性材料」という新しい材料が見つかったのです。今でもこの研究が続けられており、大きく発展しています。

―ERATO「特殊構造物質プロジェクト」から生まれた成果ですね。

増本 そうです。ERATO「増本特殊構造物質プロジェクト」の本部を電磁研内に設置して、産学官の方々と共同研究を行いました。そして、1983年、ナノ金属粒子をセラミック相中に分散させたナノグラニュラー組織の磁性薄膜を初めて見つけ、発表しました。この研究が、現在も電磁研で継続している「ナノグラニュラー磁性薄膜材料の研究開発」の発端になり、現在は有用な新材料として応用分野が拡大し続けています。

実は、このナノグラニュラー磁性材料の研究を発表した国際会議で、一騒動があったのです。私たちの発表論文に対して、磁性専門家が「このデータはおかしい。結晶粒子を細かくすると軟磁性にはならないはずで、データは信用できない」と論文を却下するよう求められました。私たちは、われわれのデータは真実であると主張しましたが、当時の磁性理論では考えられない結果であったのです。論争の結果、編集委員会の判断により、著者責任で掲載が認められることになりました。その後数年経って、一定粒径以下のナノ粒子では軟磁性になる、という理論が発表され、私たちの結果が間違っていないことが証明されました。今では、専門書の「軟磁性材料」の項目に「ナノグラニュラー磁性薄膜材料」が掲載されています。ようやく認知されたわけですね。

―ナノグラニュラー磁性薄膜材料の産業化の現状はどうなっていますか。

増本 その後の研究により、ナノグラニュラー軟磁性材料は高周波帯域用電子部品として実用化が図られています。特に、大きなトンネル型磁気抵抗効果(TMR)を発見し、現在は高性能磁気デバイス(GIGS®)として製品化されて、用途展開を図っています。それらは電磁研の展示室に掲示してあります。

―先生の経験から、研究支援方法などへのご感想はどうでしょうか。

増本 今まで長い間、基礎研究から応用研究への展開を図ってきましたが、この過程で、当時の新技術開発事業団(現・科学技術振興機構=JST)から大きな支援を受けました。このおかげで産学官の連携が推進されたのですが、特許では大変苦労しました。今の研究者は特許出願への手厚い支援があり、恵まれた環境にありますね。わが国の科学技術の発展のために、一層の役割を期待しています。ただ、現在は、以前の創造科学事業のような自由な研究ができる雰囲気ではないようであり、残念に思っています。研究者の独創性を重んじる自由度のある制度であってほしいと思います。

6.日米特許紛争・貿易摩擦

特許紛争では日本側が全面勝利、しかし貿易摩擦で妥協

―アモルファス合金といえば、日米の特許紛争、日米貿易摩擦に触れないわけにはいきません。

増本 アモルファス合金の日米の研究開発の経緯を年表にしました(図1)。私が最初に国際会議で論文を発表したのは1970年6月です。そして、71年8月に新聞発表しましたが、翌72年12月に米国のアライド社がアモルファス合金の組成特許を出願し、日本にも優先権付出願をしました。これは物質特許であり、特許請求の組成範囲がすごく広く、当時の日本では認められてない特許でした。しかし、アメリカではすぐに特許として登録されたのです。また、76年11月に、同社から製法特許が出願されました。これらの2つの特許を基に、日本企業が特許侵害をしたと言って、アライド社が米国際貿易委員会(ITC)に訴訟したのです。

図1 アモルファス金属の日米特許係争と貿易摩擦の年表

―特許紛争に巻き込まれて大変でしたね。

増本 大変でした。私たちは、特許申請をしないで全ての研究成果をオープンにしたのですが、アライド社は特許化することにより権利を確立していました。そして、アライド社は、1983年、日欧企業が特許侵害をしたとして、ITCに提訴したのです。訴えられた企業は、私が技術指導した日本企業4社と欧州企業2社でした。そのため、私が参考人としてこの裁判に出席して、当時のわれわれの全ての実験資料を提出して、日本の先行発明であることを強く主張しました。3年間におよぶ審査の結果、アライド社のアメリカの組成特許は無効となり、また製法特許も特に侵害はないとの最終審判が下り、日本企業の全面勝訴となりました。私たちの先行発明が認められたためで、大変喜びました。

―90年代になると貿易摩擦が起こるわけですね。

増本 困ったことに、アライド社は、諦めずに「アモルファス合金」を日米貿易摩擦の1つとして取り上げるようブッシュ大統領(父親)に直訴し、スーパー301条による日米政府間協議の課題となりました。結果として、日本側は、半導体等の他の産業の保護を優先するため、アモルファス合金については、全面的に日本側が譲歩し、国内でアモルファス合金薄帯を生産・販売することができなくなり、日本や欧州の企業の大半がこの分野から撤退しました。そして、国内の東芝などの数社のみが、アライド社と組んで小型電子部品の販売をする程度になりました。しかし、ITC裁判で最後までアライド社と戦い、勝訴した日立金属だけは、独自に製品化事業を続けていました。そして、2003年になって、紛争相手であった米企業のアモルファス製造部門を買収して、現在の生産量は世界の約60%を占めるまでになっています。最近の情報では、アモルファス合金の生産量は年間10万トンを超え、省エネトランスや電子部品として大量に生産されているそうです。ただ注目すべきは、最近は中国がアモルファス合金の生産量を急速に伸ばしていることです。

―先生は孤軍奮闘されたとお聞きしています。

増本 特許紛争から貿易摩擦までの期間は、私は病気になるぐらい大変でした。ITC 裁判では、研究者個人として全面的に協力し、膨大な初期の実験資料の提供や、当時の研究内容の証言などの支援を行いました。前に説明しましたように、審判結果は、私たちの先行発明が認められ、日本の全面勝訴となったのですが、今でも勘違いして、特許紛争で日本が負けたと思っている方が多いのです。最終的に、貿易摩擦の問題として取り上げられ、日米政府間協議により日本が大幅に譲歩したので、日本が負けたという話になってしまっているようです。先ほど話したように、ITC裁判でアライド社の組成特許は無効との決定が下され、学問的にも技術的にもわれわれの方が明らかに先行していたことが証明されたと言えるでしょう。

―ありがとうございました。