2016年1月号
研究者リレーエッセイ
オープンイノベーションのための
オープンキッチン:川崎iCONM
顔写真

片岡 一則 Profile
(かたおか・かずのり)

東京大学大学院 工学系研究科/
医学系研究科 教授/公益財団法人川崎市産業振興財団ナノ医療イノベーションセンター センター長

筆者の携わる領域は「ナノ医療」、すなわちナノテクノロジーの医療展開である。何故、ナノテクと医療なのか?と聞かれることもよくある。平たく言えば、現在の医療技術は超早期診断と低侵襲治療の実現、そしてその一体化にあり、そのためには、超微細・超精密・超集積を目指すさまざまなナノテクノロジーの集結が期待されているということに他ならない。

ここまでは回答として簡単であるが、さて、このような先端的ナノ医療技術を社会実装していくとなると、単に技術開発のみでは掛け声倒れになってしまう。ここで考えるべきことはざっくり言って二つある。一つは、ナノ医療においては、既にある市場を置き換えることよりも、新たな技術の実現によって新たな医療ニーズが顕在化し、市場化につながる要因が大きいことである。従って、研究開発の初期段階からそのことを意識する必要がある。もう一つは、素晴らしい技術が完成したとき、それを受け入れ、社会実装を認めるための審査体制をあらかじめ準備しておくことであろう。技術が完成してから、審査の土俵に持ち込まれ、さて、これをどう審査しようかという議論が始まっていては、社会実装は数年、あるいは下手をすると十年単位で遅れることになり、その間に技術の陳腐化や国際競争からの脱落に至ることになろう。

縦型連携から水平連携へ

これまでの医療技術の単なる置き換えではなく、革新技術の投入による新しい医療システムの実現と、それを通じた社会全体のイノベーションを考える際には、やはり、基礎から応用に至るという従来型の線形モデルは通用しない。このエッセイの主題である産学官連携に即して言えば、ニーズは産、シーズは学、という縦型連携では対応は難しい。「産」が気付かないニーズを「学」が把握する場合もあるし、逆に「産」の現場から全く新しいシーズが生まれることも多い。審査は「官」ということになるが、これもまな板の上の新技術をさてどのように料理しようかと考えているうちに、肝心の技術が傷んでしまうことになるので、まな板に載せる前から料理法を研究する、いわばpro-activeな(先を見越した)対応が重要である。

実際、米国ではFDA(食品医薬品局)とNIH(国立衛生研究所)、さらには大学や企業との間での情報交換が密に行われており、新しい医療技術がまな板に載った瞬間からスムーズな料理、つまり、審査が開始される体制が整っている。最近、一部のレストランでは、シェフが食材生産者と緊密に連携を取りながらメニューを考え、客の反響を見ながらフィードバックをかけていくスタイルが人気を博している。いわば水平分業であるが、医療技術の開発でもこのような産学官の水平連携の確立がとりわけ重要であると言えよう。

水平連携からの新医療技術の社会実装は、「論語」の「和而不同(和して同ぜず)」という言葉と相通じるものがある。和と同の違いについては、中国の古典「春秋左氏伝」に分かりやすいたとえ話がある。晏子が斉の景公に「和すとは素晴らしい味の羹(あつもの:スープ)を作るようなものであり、山海の優れた素材が味として調和しつつも、個々の素材の特徴が感じ取れることです」と語ったという。同じように、産学官から異なるバックグラウンドを持った人たちが1カ所に集い、それぞれの特徴を活かしつつ、素晴らしい味の羹のように優れた医療機器や医薬を世に出して行くことが理想であろう。そうなると、学の壁や産の壁を越えた、まさにオープンイノベーションの場、つまり、羹を作るためのオープンキッチンが必要である。

ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)

このようなオープンキッチンができないものかと考えていたところ、幸いにも、羽田空港(東京国際空港)の対岸である川崎市の殿町地区、通称、キング・スカイ・フロントに、文部科学省と川崎市の支援によって、ナノテクノロジーの医療展開を産学官の壁を越えて実現するための施設として、2015年4月に「ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)*1」が開設された。筆者はそのセンター長として運営に携わることになった。iCONMでは、さまざまな企業・大学・研究所が集い、ナノ医療実現に向けて、まさに、組織の壁を越えて研究開発を始動させている。各階にマグネットエリアを配置するなど、研究者のたこつぼ化を防ぐ試みも随所に取り入れた運営を行っている。2015年6月には、新しい医薬と医療機器の融合化領域として中性子捕捉療法の開発で、早くも、NHK(日本放送協会)などのマスコミにも取りあげられるなど*2、成果を挙げつつある。羹を作るキッチンには、当然、燃料が必要である。これに当たるものが文部科学省の「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」*3である。iCONMを運営する公益財団法人川崎市産業振興財団は、全国で18の拠点中、唯一、大学以外の組織としてCOI STREAMに採択された。この「スマートライフケア社会への変革を先導するものづくりオープンイノベーション拠点(COINS)」では、わが国の強みである「ものづくり」を基調として、医療にかかる手間やコスト、距離を意識することなく、病気の治療から解放されて日常生活の中で自律的に健康を手にすることができる「スマートライフケア社会」の実現を目指している。その中核となる技術が、24時間われわれと共にあり、病気の予兆を見つけ、治療を行い、体外に情報を直ちに知らせるシステム、いわばスマートナノマシンの開発であり、その究極はIn-Body Hospital、いわば「体内病院」の実現という夢多きイノベーション・プロジェクトである。

iCONMが位置する殿町地区には、近々、東京の世田谷区にある国立医薬品食品衛生研究所が移転することも決まっている。さらに、多摩川を挟んで対岸に位置する羽田空港との間には、2020年の東京オリンピックまでに橋を架けることも閣議決定された。優れた素材(産学官の技術と知識)、オープンキッチンと羹を作る鍋(iCONM)、燃料(COINS)、出荷体制(羽田空港)と、川崎に舞台はそろった。これから、文字通り、キング・スカイ・フロント発の産学官オープンイノベーションの成果が世界に向かって次々と発進されていくに違いない。

次回の執筆者は、東京女子医科大学 特任教授 岡野光夫氏です。