2016年7月号
研究者リレーエッセイ
筋萎縮性側索硬化症(ALS)に対する治療開発への挑戦
顔写真

青木 正志 Profile
(あおき・まさし)

東北大学 大学院医学系研究科 神経内科 教授



記者会見でのメッセージ

先日、東京で記者会見を行った*1

難病中の難病である筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis、以下「ALS」。厚生労働省指定難病)に対する、医師主導治験を開始するという内容である。なぜ、記者会見を行ったのか。これは通常の研究成果を広く国民へ知ってもらう目的とは少し異なる。もちろんそれもあるが、記者会見の最大の目的は治験の対象になる患者さんや家族、その関係者にメッセージ(正しい情報)を送りたかったからである。ALSで苦しむ多くの患者さんに、この治験開始のメッセージを伝えたいと同時に、治験に参加できるのは、残念ながら一部の患者さんだけであることも伝えたかったのである。

実は、ALSの臨床試験に関する記者会見を行うのは2回目である。2011年7月に行った最初の記者会見は、5年前に起きた東日本大震災の後の復興のさなかに、手負いの東北大学病院にて、主として安全性と薬物動態を確認する「フェーズI(第I相)試験」を開始するというものだった。このときも記者会見の直後は、ひっきりなしに問い合わせをいただいた。多くはそれで治してもらいたいという患者さんの切実な願いであった。しかし、あくまでも「フェーズI試験」であることをお伝えすると、時間とともに潮が引くように問い合わせが減り、その後は、そのような状況でも参加していただける患者さんを探すのに相当苦労した。それでも多くの患者さんの協力でフェーズ I試験は無事終了し、いよいよ薬剤の効果があるかどうかのフェーズ II(第II相)試験の開始までようやくたどり着くことができた。

医師主導治験

通常、臨床試験の中で薬剤の承認を目指すものを治験と呼ぶが、治験の多くは製薬企業が資金を含めて準備をして、病院へ委託するものである。しかしALSのような難病で、しかも患者数がわが国全体でも1万人程度であると、企業にはなかなか開発に乗り出してはもらえない。したがって今回の試験も医師主導治験といって、企業ではなくわれわれ大学病院が国の機関から公的資金を得て、自らが行う治験である。とはいえ、大学病院で全てができるわけではない。医薬品開発には、さまざまなステップと膨大な費用と時間を要するものであることは周知のとおりである。

私たちは以前から、肝細胞増殖因子*2(Hepatocyte Growth Factor、以下「HGF」)を用いた治療薬の開発を行っているが、幾つかある神経栄養因子の中で、あえてHGFを使用していることには理由がある。他の神経栄養因子(神経細胞の生存、発生、機能に必要とされる因子)は全て海外で発見され、特許を取られているからだ。唯一の例外がHGFであり、私たちが開発できる、いわば日本発の「日の丸印」の薬剤である。

死の谷をいかに乗り越えるか

幸いにしてHGF開発を行っているベンチャー企業があり、私たちはその中で、HGFタンパク質の神経疾患への応用を目指す創薬バイオベンチャー(クリングルファーマ株式会社)と連携して開発を進めている。そこで初めて知ることになるが、ベンチャー企業というのは、常に新しい資金を獲得し続けないと企業の存続さえ立ちいかなくなるという厳しい現実である。さらに医薬品開発を進めるためには、治験薬の製造や非臨床試験という動物を用いた試験が必要となる。これも多額の費用を要するため、費用を研究費として外部から獲得する必要がある。

実は、HGFもまさにこの非臨床試験を前にして死の谷へ墜落しそうになった。もう費用が続かないのである。私はその時は教室の講師であったが、当時の教授である糸山泰人先生とどうしたらよいかと相談をする毎日であった。誰かをスポンサーにできないか、大リーガーのイチローへ資金援助の依頼の手紙を書いてはどうかという案も出たが、それには至らなかった。そうこうしている間に天からの導き(と思うしかないこと)があった。時の政権交代の目玉としてスーパー特区構想が始まり、慶應義塾大学の岡野栄之先生を代表に申請を行ったところ、先端医療開発特区として見事に選定されたのである。従来とは1桁異なる研究費が全てを解決した。その後、スーパー特区はあっという間に消滅し、世間から制度は忘れ去られたようだが、この制度がなければこのプロジェクトは、死の谷から這い上がれなかったことに間違いはない。

東北大学でのALS治療開発研究は1993年にSOD1*3遺伝子が一部の家族性ALSの原因遺伝子であることが北米ボストンのRobert H. Brownらにより発見され、日本からもそれを支持する報告と新たなSOD1遺伝子変異の発見がなされた時から始まる。

図 東北大学におけるALS治療研究の歩み

ノウハウの蓄積の大切さ

ALSに対する治験は海外でも多くが手掛けられているが、ほとんどが失敗である。なぜ失敗の連続なのかは、それだけALSが難敵であることに他ならない。ノウハウを蓄積しないバイオベンチャーが、次々に新しい試験にチャレンジしては失敗して、撤退を繰り返しているらしい。これではなかなか難しい気がする。HGFが成功するかは分からない。一方で、今回の試験でチームを組むことになった大阪大学も、東北大学と同じように医療法上の臨床研究中核病院に選定されており、両病院はアカデミア発の医薬品開発を先導する使命がある。このチャレンジをノウハウとして蓄積していくことの先に間違いなくALSへの治療法の開発のゴールがあると信じている。

次回の執筆者は、九州大学大学院医学研究院 教授 中西洋一氏です。

*1
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/2016/05/press20160513-02.html (accessed 2016-05-23)

*2
肝細胞増殖因子(HGF)は初代培養肝細胞の増殖を強く促進する因子として精製されたサイトカインであり、肝臓の旺盛な再生力を支える肝再生因子の有力な候補。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/119/5/119_5_287/_article/-char/ja/ (accessed 2016-05-17)

*3
スーパーオキシドディスムターゼ(Superoxide dismutase):細胞内に発生した活性酸素を分解する酵素。