2016年12月号
単発記事
再生医療で重症心不全患者を救う

2016年8月26日、大阪大学とテルモ株式会社(以下「同社」)は、世界初の心不全治療用再生医療等製品「ハートシート」の共同開発が産学官連携の進展に寄与した功績を評価され、「産学官連携功労者表彰厚生労働大臣賞」を受賞した(本誌10月号掲載**1)。基礎研究から臨床研究、さらには実用化までの一連の産学連携過程は13年に及び、ようやく光が見えてきた。最先端の再生医療現場では何が行われてきたのか。同社の鮫島正執行役員に話を伺った(写真1)。

写真1 テルモ株式会社執行役員 鮫島正氏(左)、大阪大学教授 澤芳樹氏(中央)、同大学特任教授 宮川繁氏(右)

心不全とは

厚生労働省発表の「人口動態統計の概況**2」によると、2014年1年間の高血圧性を除く心疾患による死亡は19万6925人で、死因別死亡数全体の約15.5%を占めており、そのうち心不全での死亡は7万1656人となっている。

心臓は、酸素を含んだ血液を全身に送り出すポンプのような機能を持つ臓器であることは周知の通りで、そのポンプの役割を果たすことができず、全身に血液を送れていない状態を心不全という。病名ではなく状態を指す言葉で、その原因となる疾患は、高血圧症、狭心症、心筋梗塞、心臓弁膜症、不整脈などがある。

心臓のポンプ機能が低下すれば、血液循環が阻害され、心臓から送り出される血液量が減る。しかし、代償作用によって、体は何とか正常の状態を維持しようとし、心臓を大きくしたり、心拍数を増やしたり、あるいは手足の血管を収縮させたりして、血圧維持に努める。だが、この代償作用も長くは続かず、肺に水がたまったり、足がむくんだりして、「息切れ」や「疲れやすい」などの症状が表れてくる。重症化すれば、人工心臓や心臓移植による治療で生命維持を図ることになるわけだ。

ハートシートは、その重症者の治療方法の選択肢の一つとして、人工心臓や心臓移植より安価で、さらに患者の肉体的負担を軽減し、生活の質を向上させる治療として注目されている。

ヒト骨格筋由来細胞シート「ハートシート」

虚血性心疾患は、冠動脈の閉塞(へいそく)や狭窄(きょうさく)などにより心筋への血流が阻害され、心臓に障害が起こる疾患の総称で、狭心症や心筋梗塞がこの分類に含まれる。ハートシート(写真2)は、この虚血性心疾患による重症心不全の治療を目的とした製品である。

写真2 ハートシート

患者の大腿(だいたい)部(太もも部分)から採取した筋肉組織に含まれる骨格筋芽細胞を培養して、直径約4cmのシート状にし、5枚のシートを心臓表面に貼り付けて使用される(図1)。薬物治療や外科手術などの標準治療では効果が不十分な虚血性心疾患による重症心不全治療の新たな選択肢として期待が大きい。

図1 ハートシート5枚を乗せた心臓画のイメージ

治療を受けるための流れは、移植手術の2カ月前から逆算して、病院で筋肉組織を採取し、同社の培養施設で採取した組織に含まれる骨格筋芽細胞を培養する(写真3)。培養した細胞は病院で、シート状に調製して移植されるといった具合だ。

写真3 培養作業

技術指導を受け始めて13年

大阪大学が心筋細胞シートや筋芽細胞シートの基礎研究を開始したのが2000年。当時、遺伝子治療から細胞医療に研究がシフトしつつあったことから、同社では細胞医療での提携先を模索し、大阪大学に技術指導の相談をした。1980年代から人工心肺での共同開発の実績があったこともあり、2003年から大阪大学と同社は筋芽細胞の共同研究を開始した。06年ごろ、ヨーロッパで細胞を直接注射する治療はうまくいかないという論文が発表されたことも手伝い、同社としても本格的に細胞をシート状にして移植する手法での開発を決めた。

07年、大阪大学で、動物実験の結果を受けてヒトへの有効性と安全性を検証するため、補助人工心臓装着下の心臓移植待機患者に筋芽細胞シートを移植し、人工心臓からの離脱に成功。臨床研究で50人の重症心不全患者に本治療を行い、心機能・臨床症状・生命予後改善を明らかにした。12年、同社が大阪大学から技術移転を受け、多施設共同治験を実施し、14年に製造販売承認申請。15年9月、世界初の心筋再生治療製品として、ヒト(自己)骨格筋由来細胞シート「ハートシート」が条件および期限付き承認を受けることになった。

16年1月の公的医療保険適用と5月の販売開始を経て、8月に保険診療下で初めての移植が行われた。大阪大学との共同研究開始から13年が経過していた。

遺伝子治療は1990年代に期待されていた治療方法だが、がん化するなどの副作用が認められた。また、細胞の注射では、血流に乗って細胞がどこに運ばれるかのコントロールが難しい。患部にとどまらないのだ。細胞シートは直接患部の心臓にとどまるが、当初は、表面に細胞を乗せただけだと効果はないのでは、心臓の中に入れなければ生着しないのでは、と鮫島氏は感じたそうだ。だが、大動物で試すと、確かに注射より細胞シートの方が効果を確認できた。注射より目視ができ、より簡単な方法のように思えたという。これこそ外科医ならではの発想だ。このような発想を開発に取り入れるため、今でも同社は研究員を大阪大学に出向させている。

5年以内の本申請を

再生医療は、機能の失われた臓器や組織の細胞を使用し、機能改善を行う。わが国では、iPS細胞(人工多能性幹細胞)をはじめとする研究で世界を驚かせたが、実用化では遅れをとっている。そこで、14年に薬事法が改正され、薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)で再生医療の条件および期限付き承認を認め、臨床試験の症例数が少なくても、安全性が確保できていると認められ、有効性が推定されれば市販が可能となった。医薬品でも医療機器でもない新しい基準で、治験から承認まで大幅に短縮されることとなった。「細胞製品の申請と審査は前例がなく、申請する側も審査する側も先が読めなかった。法改正でとにかく申請はできるのだが、規制が厳しいのか緩いのか、期間が長いのか短いのか、価格も決められないなど何一つ予見できないため、企業として投資回収の判断が難しい」と鮫島氏。

移植には、組織を採取して培養するという段階が必要で、手術日まで2カ月かかる。患者の組織を採取し、戻すだけの一見簡単な治療過程なのだが、安全性確保のための工程はその都度行われ、データを積み重ねる。患者一人一人ハンドメイドの仕組みで、製造プロセスで大量生産ができないため、治療費は合計1,476万円となる。患者の収入によって変わるが、保険適用で患者負担は約9~20万円になった。

再申請には最低でも5年間で60例の治験が必要となるが、同社としては年間20~30人に供給し、国内売り上げを5億〜10億円に持っていくのが第一段階だという。

ハートシートの場合は、法改正がなければ100例近い治験を必要とし、承認まで5年から7年はかかったかもしれない。安全性は問題なく、有効性は推定できると認められ、今後販売をしながら検証数を蓄積し、5年以内に本申請をする予定だ。

(取材・構成:本誌編集長 山口泰博)

●参考文献

**1
山口泰博.“第14回 産学官連携功労者表彰~つなげるイノベーション大賞〜内閣総理大臣賞に、電源を切っても記録を保持する磁気抵抗メモリー”産学官連携ジャーナル2016年10月号.
https://sangakukan.jst.go.jp/journal/journal_contents/2016/10/articles/1610-08/1610-08_article.html,(accessed2016-12-15).

**2
厚生労働省.“平成26年(2014)人口動態統計(確定数)の概況 第7表 死因簡単分類別にみた性別死亡数・死亡率(人口10万対)”厚生労働省.
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei14/dl/11_h7.pdf,(accessed2016-12-15).