2017年9月号
研究者リレーエッセイ
暗号技術と産学連携
顔写真

松崎 なつめ Profile
(まつざき・なつめ)

長崎県立大学 情報システム学部 情報セキュリティ学科 教授


私は前職の民間企業の研究部門で30年以上、そして教員になった現在も一貫して暗号技術に携わっている。本稿では、暗号技術と産学連携について思うところを記したい。

暗号技術について

暗号は今やインターネットやコンピュータの個人や企業の情報などの保護に欠かせない技術である。例えばインターネットでの送金では、暗号を用いてIDやパスワードのログイン情報や送金金額を外部から分からないように秘匿し、また利用サイトが正しいことや通信が間違いないことを保証する。このように暗号技術は、すでに実用化された技術となっている。一方、将来を見据えた基礎的な暗号研究も盛んである。例えば暗号化したまま検索やデータ分析を可能とする新暗号方式が研究されている。この研究成果を用いると、IoT機器で収集された情報をその場で暗号化し、クラウドでは暗号化したままビッグデータ分析ができる。そのため、万が一クラウドからの情報漏えいがあっても、個人の情報が保護される。しかしながら、企業においてこのような基礎的な暗号研究に長中期的に投資することは難しいと考える。その理由として次の3点を挙げる。

まず1点目は優先度の問題である。独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の調査*1によると、情報セキュリティの人材不足は、人的不足8万1590人、質的不足15万9041人といわれ、対応が急務とされている。しかし、そのほとんどは社内の情報セキュリティ管理者や、サイバー攻撃に対応するセキュリティ技術者であり、暗号研究よりもこれらに対し優先的に投資がなされる。

2点目は実用化に時間がかかるという点である。現在の暗号研究では、数学的理論に基づく安全性の証明が必須である。例えば、前述の新暗号方式における安全性証明には、広い数学的知識が必要となり、研究者の数は限られ時間も要する。実用化には、この安全性の要件に加え、例えば暗号処理速度やメモリー容量などの実装性と管理運用の容易さなどが必要であり、これらをバランスよく満たす方式の設計には、まだまだ時間がかかる模様である。

3点目は費用回収の問題である。前述の新暗号方式は、主には個人の情報を守る技術である。しかしながらブログなどで自分の情報を発信するなど、昨今のユーザは自分の情報を守りたいという意識が希薄と思われる。そのため、個人からの直接的な費用回収が困難であり、新暗号方式を活用するための新たなエコシステムを作る必要がある。

以上の理由により、基礎的な暗号研究の必要性は理解しつつも、一企業が単独で暗号研究に力を入れることは難しい。

産学連携について

そのため、産学連携など複数組織の連携が重要となる。

私は前職時代に、幾つかの大学や外部研究機関と共同研究を行った。その経験から産学連携をウィンウィンで進めるには、次の点が大切だと考える。

①ある程度の分担を決める。私が企業側として取り組んだ案件では、例えば図1に示すような基礎から応用のレイヤで分担して取り組んだ。

②応用としてのアプリケーションを共有して、セキュリティや実装の要件を明確にする。

③身近なアウトプットとして、特許や論文発表などの目標を決める。


図1 産学連携での分担例

そして最も大切なことは、お互いの研究に対する価値観を尊重した上で、議論するための言語を共通化するなど歩み寄る気持ちだと考える。

教育者の立場になって

いま私が属している長崎県立大学情報システム学部情報セキュリティ学科は、国内で初めて情報セキュリティを専門に教育する学科として2016年4月にスタートした。本学科では最初の2年間で情報セキュリティの基礎となるIT技術を十分に教育する。その上で、2年後期より専門技術を学ぶカリキュラムとなっており、数学、暗号といった基礎座学はもちろん、最新の設備を備えたセキュリティ演習室において実践力を鍛える。

この教育の現場の中、私は実社会に役に立ちたいという思いを持った学生の育成が重要だと考えている。暗号技術を学ぶことは、当然暗号に対する攻撃についても学ぶことになる。この学んだスキルを悪用しないための倫理教育はもちろん、社会との接点を多く持つことにより社会貢献を目指す志の高い人材を育成したい。さらに、他と協調連携し、コミュニケーションを取るスキルも必要である。暗号は要素技術であり、システムを構築する部署、実装する部署や運用する部署など、他部門と連携することで実際に役に立つ技術として具現化できるものと考える。暗号の安全性だけでなく、実用化に関する要件をバランスよく設計、研究できる柔軟な人材の育成を目指している。

最後に

本稿では、暗号研究における産学連携の重要性を述べた。産学連携は優秀な研究成果を社会に役立てるための有用な方法であり、その根本は社会に役立ちたいとの産学共通の思いである。教育者の立場となった今、私は長年の企業経験を生かし、社会に貢献する意欲を持った学生を多く輩出したいと考えている。

*1
“情報セキュリティ人材不足数等に関する追加分析について”. 独立行政法人情報処理推進機構(IPA).
https://www.ipa.go.jp/files/000040646.pdf