2018年2月号
単発記事
臨床試験データの知財的活用を巡る議論
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石埜 正穂 Profile
(いしの・まさほ)

札幌医科大学 大学院医学研究科・医学部先端医療知財学 教授/ARO協議会 知的財産専門家連絡会 代表者/医療系産学連携ネットワーク協議会(medU-net)運営委員長/東京医科歯科大学 客員教授

はじめに

医療シーズの実用化評価における最大の課題は、臨床POC*1の取得である。しかしアカデミアシーズを技術移転するスキームは、基礎研究成果(特許等)の移転を主眼とし、臨床POCの取得に向けたインセンティブや必要なコストに対する配慮が不足している。このことは、アカデミア側の臨床試験データの有償移転を求める医療現場の切実な声につながっている。新しい医療の開発を促進するため、アカデミアと企業の双方が合意できる考え方と仕組みの構築が求められる。

臨床試験データと対価の請求について

最近ではアカデミア(以下「大学等」)における臨床試験支援組織(Academic Research Organization: ARO)が整備され、技術移転に耐えるレベルの臨床試験が医師主導で行われるようになってきた。医療シーズの事業化に見合う投資を担保できるエビデンス(望ましくは臨床POC)を得るために、臨床試験の実施は避けて通ることができない。AROの拡充は、オープンイノベーションや、アカデミア系医療機関が開発段階で大きな役割を果たす個別化医療や再生医療などの普及の流れと軌を一にしている**1

そのような中、技術移転の際に大学等が臨床試験のデータ*2の対価(使用料等)を求めることに関して、議論が盛んになってきた*3。論点は、当該対価の請求が企業にとって受け入れ可能なのか、可能な場合にどの程度の算定額となり、どのように支払われるか、といったところにある。

大学等が実施する臨床試験は多岐にわたるが、研究シーズの技術移転という観点では、医師主導で行う臨床試験が問題となる。大学等が、コストと労力を払って得た臨床試験データの移転について、対価を求めるのは道理であるし、特許の裏付けがなくても、企業としてその支払いに合理性が認められることは十分にあり得る*4。ところが、特許と併せたパッケージとして技術移転する場合であっても、大学等は臨床試験データの対価を別途、企業に求めるのである。そもそも移転に係る医療技術の価値は、特許やノウハウ、データなどの相互の兼ね合いで総合的に算定すべきで、臨床試験データだけ切り離した財産評価を求めるのは筋が通らない。では、大学等はなぜ臨床試験データに特化した対価に固執するのであろうか。

大学等の事情

大学等の医学研究者は、自らの発意で研究を行い、新たな医療につながる成果を生み出す。成果の実用化が「医薬等」の開発を必要とする場合、所属機関が特許を取得する。しかし前述のとおり、その後の技術移転や開発に進展するか否かは、臨床POCの取得に懸かっている*5(成果が革新的なほどその傾向は大きい)。ところが大学等の研究者は、教育・研究のほか、診療や社会貢献、組織運営の責務を負って多忙である。臨床開発については、これを行う義務もないし*6、そもそも単独ではできない。ARO機能が充実化してきた近年でも、GCPに準じた臨床試験*7を行う際の研究者の負担は相当なものになる。それにもかかわらず身を削って臨床試験にまい進する研究者がいるのは、新しい治療技術を世の中に出して、治療困難な病気を持つ患者に朗報をもたらしたいとの使命感によるものである。

研究者が基礎医学部門に属している場合、ことはさらに深刻である。彼らはまず臨床講座に臨床試験の実施をお願いする必要がある。そのような過大な負担を引き受けてくれる講座や臨床研究医を探すには、講座間に学位取得支援の交流等がある場合を除き、なかなか困難と考えられる。研究者は協力的でありながらも競争的であり、依頼に当たっては学術的興味のみならず、コストの負担、得られる対価の配分にも配慮する必要がある。しかし、そこには特許法の「職務発明制度」が大きな課題として立ちはだかっている。

当該制度は2016年に改正され、法人は、戦略に応じた柔軟なインセンティブ施策を講じることが可能になった**2。だが大学等ではその恩恵を生かせていない。なぜなら、特許の移転を基本とする大学等の技術移転スキームは、企業が開発を担うことを前提とし、大学等が技術移転に必要とする負担は、特許維持管理や技術移転の部分程度と認識しているからである。大学等がコストと労力を費やして臨床POCを取得しないと特許の移転が困難な医療分野の事情は、工学、農学などの多様な技術分野の中では、単なる特殊事情となり理解され難い。結局、対価の配分は依然として発明者に大きく偏り(図1)、技術移転に多大な貢献をもたらす臨床試験の実施に係る努力は報われない。

図1 発明者への対価配分率(旧帝大、石埜調べ)

北海道大・名古屋大・九州大は実施料等収入額に対する配分率、その他の大学は、実施料等収入額から出願関連経費等を控除した後の金額に対する配分率である。なお九州大は一律25%を技術移転手数料の名目で控除するため、その分を織り込んで算定している。

そこで臨床試験データの対価という考え方が出てくる。技術移転の対象を特許と試験データとに切り分ける考え方は、後者を丸ごと臨床開発に必要なコストやインセンティブに割り振ることができるため、大学内部の事情として整理しやすいのである(図2)。臨床試験データは知財の一種*8として、移転の際に成果有体物規定で扱うことができる。臨床試験データのみを対象とする学内規定を別途設けた大学も複数ある*9

図2 発明寄与分とデータ創出分での対価切り分け

ARO協議会における議論

ARO協議会*10知財専門家連絡会(図3)では、ここ数年、臨床試験データの財産的活用における課題について、情報の集約や議論を意欲的に行ってきた。最大の課題は、臨床試験データの有償での移転がなかなか企業側に理解されないことである。そこで、請求の根拠となる合理的な対価算定について主に検討がなされた。その中で得られてきたコンセンサスを筆者なりに整理する。

図3 ARO協議会 知的財産専門家連絡会 メンバー機関

まず、臨床試験データ収集に係る経費の積算は、既に大学等において行われている。経費には、試験研究自体にかかるコスト(試験薬や治療費)や人件費が含まれる。各AROでは業務内容ごとの経費を定めた料金表を作成しているので、これを対価計算の根拠として活用できる。なお試験経費は公的研究費で賄われていることが多いが、その場合でもその額を移転先企業に請求するのが妥当とされた*11。一方、臨床試験があらかじめ企業との共同研究契約で実施される場合には、研究費を算入して実施されることもあるが、その場合は途中で研究が打ち切られてもよいよう、達成基準ごとに見込まれる経費をマイルストンで分割して請求するなどの工夫がなされている。

しかしながら、臨床試験データ作成に要した実費のみを対価の算定根拠とするのでは、臨床試験データ収集のインセンティブに課題が残る。そもそも料金表の実費には業務ベースで支援する専門家等の人件費が含まれるのみであり、研究の一環として臨床試験を主導する研究者の人件費は含まれない。上述のとおり、臨床試験に関与する研究者にはかなりの負担が本来業務に加算されるので(それが日本の大学における現状)、一定のインセンティブも必要である。一方で、臨床POCを得るまでの投資リスクを大学等が負うこと、大学病院等の活用により患者リクルートが容易になること、規制当局相談にアカデミア優遇措置を享受できることなど、企業にとってのさまざまなメリットを考えた場合、対価支払いにおいて実費計算からの上乗せ分を付加価値として企業に請求するのは道理といえる。この上乗せ分は「データ使用料」の名義で請求され、その額は、試験データの内容、市場性、社会的位置付けによって左右される。

結論として、われわれは臨床試験データの対価算定について、「実費+データ使用料」が理想と考えている。その中で、臨床試験の支援を業務として行うAROの資金は、料金表に示される実費ベースでの経費補填(ほてん)がベースとなる。一方で、臨床研究者はあくまでも研究活動として大学の支持の下に臨床開発を行っているので、「データ使用料」はインセンティブとして、臨床試験を実施した研究者や講座、大学の研究費などに配分されるのが妥当ということになろう(図4)。

図4 データ創出に係る対価の内訳と活用

市場価値との乖離および今後の課題

しかし、上記の事情と解釈は大学側の一方的な都合に基づくものである。大学等が求める対価と、企業が事業利益などから算定し得る支払額とには通常乖離(かいり)がある。特に、希少疾患や、対象が限定的な適応拡大やドラッグリポジショニングなど、企業からすれば「データ使用料」どころか実費相当額さえ支払えないケースも存在し得る*12。ただ、医療現場で必要とされている医薬や用途については、たとえ市場価値が低くても、製薬企業として上市することが社会的に求められる*13。そこで、上記乖離がある場合であっても、売り上げに応じたマイルストンや、分割による一定額支払いにするなど、妥当な落としどころを見つけることにより、積極的に技術移転を進めることが重要となろう。

今後の課題としては、革新的な創薬やドラッグリポジショニング、医療機器、再生医療材料の開発と実用化が一層推進されるよう、臨床研究資金の充実化を図るほか、企業と大学の双方の事情に配慮された新しいインセンティブシステムの在り方を日本全体の枠組みで検討する必要がある。

●参考文献

**1
石埜正穂.大学に移動してきた医療開発の重心~新たな社会構造の中で大学は知財戦略をどうすべきか.IPマネジメントレビュー.2016,vol.20,no.3,p.4-9.

**2
“職務発明制度の概要”.特許庁.
https://www.jpo.go.jp/seido/shokumu/shokumu.htm,(accessed2018-02-15).

*1
ある物質(医薬候補等)が治療に使用できるという仮説(concept)は、実験レベルでは比較的容易に得られる。臨床POC(proof of concept)とは、その物質が患者に対して実際に治療効果を示すことをヒト臨床試験によって直接実証することであり、倫理性と科学性に配慮した大掛かりなプロジェクトが必要となる。

*2
「臨床試験データ」の具体的な内容は、試験の実施経緯(契約の有無)や技術移転の時期による事情もあり、ケースバイケースとなる。もっとも医師主導治験の場合は、薬事承認の際に必要となる治験の総括報告書、あるいはそれに加えて症例報告書(CRF)や、非臨床試験データ等も含むパッケージを指すと考えるのが妥当であろう。

*3
レギュラトリーサイエンス学会2017 シンポジウム5「アカデミアから製薬企業へ:医療研究開発データの知的財産的取扱と導出手続き」(2017.9.9 東京);UNITTアニュアル・カンファレンス2016 セッションD3「臨床試験データの取扱について」(2016.5.28 仙台)

*4
再審査期間の存在や、コピー非容易性のバイオ医薬品のケースなど、特許がなくても一定の独占状態を保てることもあるし、直接的な利益につながらなくても、希少疾患の治療など企業の社会的責任(CSR)を満たすメリットもある(注釈12参照)。

*5
もちろん、基礎研究成果と臨床試験の間には治療手段(モダリティ)の選択・開発という大きな壁がある。この点、新規低分子医薬の開発は製薬メーカーに頼るべきところが大きいが、ドラッグリポジショニングはその限りでないし、最近は細胞・バイオ医薬品など、大学等の研究がモダリティに直結するケースが増えてきた。

*6
国立がん研究センターのように、臨床試験を業とする研究者を抱えているアカデミア機関も一部には存在する。

*7
GCPはヘルシンキ宣言に基づいて制定された基準であり、臨床試験における倫理性と科学性を担保する。GCPの順守は技術移転に耐える信頼性にも直結するが、研究に求められる技術・労力・コストのハードルは高くなる。

*8
成果有体物やノウハウとして扱われる。筆者は編集著作物の権利も十分に主張可能と考える。

*9
大阪大学が最初に規定を作り、名古屋大学もこれに倣った。現時点で、他の複数の大学も検討中である。

*10
ARO協議会
http://www.aro.or.jp/

*11
政府の研究費を得て試験を実施した大学等が、企業からも同じ名目で資金を得るのは二重取りとの意見もある。しかし、少なくとも公共機関である大学等が、特定の企業に無償あるいは破格値で試験データを移転すれば、便宜供与になる危険性がある。企業から回収した対価を新たな臨床試験の実施に再投資するのであれば、国の方針にも沿い問題ないとのコンセンサスである。

*12
最初の用途と拡大用途の間で、売上額の判別が困難といったテクニカルな課題が対価支払いを阻む要因になっているとの意見もある。一方、特許切れで後続薬が出てきた場合や、薬価が大きく下がった既存薬のドラッグリポジショニングの場合など、製薬企業が交渉すら拒否する場合もある。

*13
企業の社会的責任(CSR)は医薬の適応拡大の側面でも求められる。大学の臨床試験データは、社会が必要とする適応拡大等の効率的な実現に活用できる場合があり、企業からも歓迎され得る。