2019年9月号
リポート
「スポーツ・アンド・ヘルスイノベーションコンソーシアム」概要
顔写真

仰木 裕嗣 Profile
(おおぎ・ゆうじ)

慶應義塾大学 政策・メディア研究科兼環境情報学部 教授


コンソーシアム立ち上げのきっかけ

慶應義塾大学SFC研究所内に企業、競技団体らと協力して研究活動を行う「スポーツ・アンド・ヘルスイノベーションコンソーシアム」が設置されていて、筆者は代表を務めている。コンソーシアムは2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定を機に2015年にスタートした。コンソーシアムが目指すのは、「人体の動きをデジタルに捉え、デジタルに表現する・支援することを科学する=“デジタルヒューマニクス”」を通じて、東京オリンピック・パラリンピックの成功へとつながるアスリートや関係者を支援する技術開発を行い、さらにはその発展として、医学・看護、介護・福祉などの健康科学におけるQOL向上といった社会課題解決に資するような技術や事業の創出、である。

研究開発事例紹介(1)

一つめは、陸上車いす競技選手が用いるグローブの開発である。パラ陸上競技の中でも車いすマラソンなどの長距離種目では、選手たちはこれまで熱可塑性樹脂を使って自らの手にあったグローブを自作してきた。グローブといっても革製グローブではなく、樹脂製の硬いグローブである。彼らの手による従来のグローブ作りでは、左右のアンバランス、寿命が短い、全く同じモノを作ることが困難といった問題があった。そこでコンソーシアムメンバーであるJSR株式会社の協力を得て3Dプリンターを用いたグローブ開発に取り組んできた。

選手がこれまでに使ってきたグローブの中でも、完成度の高いものを入手し、これを3Dスキャンし、反転させることで左右全く同じコピー品が3Dプリンターを用いることで、何度でも作り出すことが可能になった(図1)。

図1 選手自作のグローブとその3Dスキャンデータから3Dプリンターで製作したグローブとの比較


2016年リオ・パラリンピックでは実際に選手が 3Dプリンターで作られたグローブを使い出場した。その後、新たにコンソーシアムメンバーに加わった株式会社ブリヂストンの協力によって現在ではグローブ表面に貼り付けするゴムの開発も同時に進めている*1。筆者ら大学側の役割としては、これら開発した試作品の性能評価を進めることである(写真1)。これまでに生理学的な評価、力学的な評価などに取り組んできた。パラ陸上競技連盟とも連携しながら2020年東京パラリンピックに向けてこの研究開発は最終段階にさしかかっている。

写真1 モーションキャプチャ・高速度カメラ等を用いた車いすグローブ開発評価実験の様子


研究開発事例紹介(2)

二番目に紹介するのは、コンソーシアムメンバー、NISSHA株式会社と共同開発してきた、世界最大規模の圧力センサを使った歩行の応用研究である*2。「足圧センサー」と名付けられたこの大面積圧力センサは、これまで同社がスマホやタブレット表面の圧力検出に用いてきたフィルム型センサを大型にし、かつ縦長に連結していくことで数十メートルもの距離を歩き、その歩きの分析を可能にする、というものである。 昨年行われた半導体の見本市、SEMICON JAPAN 2018で、この足圧センサーが15メートルにわたって敷き詰められ、来場者の歩きを即座に分析するデモンストレーションを行った(写真2)。従来は数十センチ四方の面積の圧力センサやフォースプレートと呼ばれるものが、スポーツ科学やリハビリテーションの現場で用いられてきたが、「この枠の中を踏んでください」といったインストラクションを与えなければならず、「自然な歩行」を採取するのは事実上困難であった。ところが我々の開発した長大な圧力センサは一見すると単なる絨毯(じゅうたん)にしか見えないため、ごく自然な歩行が十数歩にわたって採取できる。歩行には腰や下肢の障害の特徴が現れるという知見もあり、また近年では認知症の前駆状態にその歩行に特徴が見いだせる、といった報告もされており、「自然な歩行」を計測する意義がここにある。すでに、これまでに数千人分の歩行データを採取しており、現在は疾患との関連などについて分析しているところである。

写真2 15メートルの歩行を計測する世界最大規模の「足圧センサー」


研究開発のゴールとは何か?

一番目に紹介した事例は、パラリンピック競技への支援であったが、コンソーシアムの活動を通じて、パラリンピック競技の支援技術開発で気付かされたことは、開発する用具は全て、「安全・安心」なものでなければならない、ということである。したがって、今後健康科学分野での技術開発に大きな指針になると信じている。

パラリンピック支援に限らず、国の資金源に由来する事業や、企業との共同研究で取り組んでいる大学の研究では、我々は研究費によってその活動を行っている。したがって、研究費が途絶えた場合にはこれまでにやってきた研究開発を我々は放棄しなければならないという宿命にある。もちろん、ボランティア精神のもとで研究開発、用具開発が行われる分野もあるかもしれないが、材料費や工賃など実際にかかるコストを捻出することを未来に渡って保証することはできない。これを「熱が冷めた」などと嘆くのは、こうした研究開発を誰かの資金援助によらなければ達成できないと決めつけている人たちの考え方である、というのが筆者の主張である。

そこで、筆者は深く考えた末の結論として、「自分の使う道具は自分で作れるようになる」ということがきっとパラアスリートの未来を拓くであろう、という想いを抱くようになった。そこで、「3Dプリンターを使った車いす競技用のグローブ作り」を通して3D造形の手ほどきをパラ陸上競技選手たちに行う活動をコンソーシアムで実施した(写真3写真4)。

写真3 車いす競技選手を対象にした3Dプリンター講習会


写真4 選手自らが自分に合ったグローブを自作することを通じて3D造形を学ぶ


自分が使うグローブを自分自身の手で作り出すというこの試みは、パラ選手たちを虜にした。各自が自分で使うグローブを熱心に造形し、そして3Dプリンターから打ち出されるグローブに魅入る。手を動かし、自身のための道具作りを通して、モノづくりのノウハウを学ぶことは、アスリートがセカンドキャリアを考えることにも貢献し得ると筆者らコンソーシアムメンバーは確信している。

研究開発が世に出た末、それが実際に使われるには産業化しなければならない、という既成概念を打ち破って、研究開発品を提供されてきた側の人たちが今度は自らの手でそれを作っていく、という新しい文化が我々のコンソーシアムから生まれようとしていると筆者は感じている。

*1
産学連携による車椅子陸上競技への支援
https://www.kri.sfc.keio.ac.jp/ja/press_file/20171122_sh.pdf(accessed 2019-09-15)

*2
大面積・高精度の「足圧センサー」を共同開発-20mを超える歩行計測と可搬性の両立を実現-
https://www.kri.sfc.keio.ac.jp/ja/press_file/20181206_nissha.pdf(accessed 2019-09-15)